夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

白描山水図 伝任伯年筆

2011-03-07 06:00:01 | 掛け軸
昨日は自転車で少し郊外まで・・畑の中をひた走り、古い民家を保存しているところを見てきました。
旧坂東家住宅・・・亡くなった家内の実家に似ていますが坂東家のほうが少し小振り・・・。子供の頃はあちこちにあった家。懐かしい空気を吸ってまいりました。


白描山水図 任伯年筆
紙本水墨絹装軸軸先木製合箱
全体サイズ:横420*縦1750 画サイズ:横310*縦700




「光緒戊子仲冬 山陰任頤伯年」と賛があり、1888年(明治21年、光緒14年)の作であり、任伯年が49歳の時です。




左下の印章は「陳清蔵画」とあり所蔵印のひとつと思われます。



任伯年の山水画は、人物画背景に簡逸放埓な筆墨で巧みな山水を描いていますが、純粋な山水画は少ないです。

人物画については下図のような作品がインターネットにありました。
さすがにうまい。






早年は藍瑛、石濤に習い、中年以降、明の沈周、丁雲鵬から元の呉鎮へ遡る。1885年《人物山水冊》から《雨打梨花深閉門》など縱肆勁真な白描山水の作品がある。本作品は簡素に描かれた白描画であり、数少ない山水画の真蹟と判断される。任伯年の画は人気が近年非常に高いらしい。

任伯年:清時代末期の画家。浙江省山陰(紹興)の人。1840年道光十九年鴉片戦争勃発の年農村に生まれる。

父、任声鶴は米店を営む民間の肖像画家、大伯に任熊,二伯任がいる。少時から画を得意とし売画。

1854,5年15,16歳頃上海で、当時人気の任熊のサインを入れた自作の扇面を売画、そこに任熊本人がとおりかかり、かえって認められ弟子になるというエピソードがある。

初名は潤、のち頤、号は小楼、次遠、伯年は字。初め任熊、任薫兄弟に画を学ぶ。のち上海で張熊に学び、1883年高邕の紹介で呉昌碩を知る。1887年呉大徴題、兪?序『任伯
年先生真迹画譜』出版 この頃上海での人気沸騰。

人物・花鳥画に新風をうちたて上海画壇に大きな影響を与え、胡公寿と並び称された。任熊・任薫・任預とも〈四任〉といわれる。門下に王一亭がいる。

1895年光緒21年(明治29・1896)56歳11月初4日(12月19日)紹興の資産の消失による心痛、鴉片の害もあり肺炎から卒享年57才。


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