夜噺骨董談義

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石山寺観月図 菊池容齋筆

2023-11-24 00:01:00 | 掛け軸
師である菊池容斎と弟子である渡邉省亭が同じ題材を、同じ構図で、同じような画風で描いたと思われる作品を紹介します。



現在、加島美術のしかけで評価と人気が高くなっている渡辺省亭ですが、師である菊池容斎は現在では忘れ去られた画家と称しても差し障りのないほど評価されていません。しかしその画力と後進を育成した指導力は高く評価すべきでしょう。

上記写真の渡辺省亭の作品は以前に紹介していますが、今回は新たに入手した菊池容齋の作品の紹介です。



石山寺観月図 菊池容齋筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦1920*横570 画サイズ:縦980*横420

 

この構図と題材は滋賀県大津市にある石山寺には、源氏物語の筆者・紫式部が一室でその構想を練ったという伝承にちなんで多くの画家が描いています。



「紫式部観月図(石山寺蔵:絹本着色)」の作品の影響を菊池容斎が受けていたのかもしれません。同様に門下生である渡辺省亭も師から直接または間接的に影響を受けたかもしれません。



他にも菊池容斎を紹介していますが、あらためて菊池容斎の画歴は下記のとおりです。

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菊池容齋:(きくち ようさい) 天明8年11月1日(1788年11月28日) ~明治11年(1878年)6月16日)。享年91歳。幕末から明治時代初期にかけての絵師。旧姓は河原。本名は量平または武保、別号に雲水无尽庵など。

『前賢故実』の作者として広く知られています。徳川幕府の与力の家に生まれ、狩野派を学んで画家になり、さらに有識故実と大和絵を研究して歴史画に新画風を創め、時代性描写にも特色を持ち込み、多くの遺作があり、その画風は広義の復古大和絵派に分類されています。



補足
幕府西丸の御徒・河原専蔵武吉の次男として、江戸下谷長者町で生まれた。父は菊池家から養子に来た人であったが、系図によると南朝遺臣の菊池武時の後裔であるという。15歳の時に早世した兄に代わって河原家を嗣でいたが、28歳の時に父の生家が断絶し、量平はこの名家が廃されるのを惜しみ、妹に婿養子を迎えて河原家を嗣がせたのち38歳で致仕し、菊池武長の後を継いで菊池家を再興した。菊池武保と名乗るのはそれからである。「容斎」という号は厳格さのあまり他人を容赦しない自分の性質を戒めるためにつけたという。 



幼いときから絵を描くのが好きだったが、画を学ぶことを父から許されなかった。16歳の時に描いた両親の肖像画を見て初めてその伎倆を認められ、許しが出たという。文化2年(1805年)から高田円乗に師事し、狩野派や南蘋風の絵を学ぶ。円乗の死後は師につかず、その教えを守り流派にこだわらずにその長所をとることに努めた。生活は楽ではなかったが、画を認めてくれた旗本・久貝正典の財政援助を得て「阿房宮兵燹の図」「呂后斬戚夫人図」などの大作を描いた。学問上の知己として羽倉簡堂がいる。 


 
文政8年(1825年)西丸御徒勤めを辞して作画が本格化したとみられる。文政10年(1827年)から京や大和に5年ほど滞在して円山四条派や土佐派、浮世絵を学び、有職故実や古器物の研究を行う。



この成果が職を辞した年から取り掛かり、天保7年(1836年)に完成させた『前賢故実』である。これは10巻より成り、神武天皇の時代から、後亀山朝にいたる日本史を代表する500人を選び、画の上にそれぞれ小伝を加えるか、または詩歌を掲げたものである。この著は容斎の歴史趣味と尊皇愛国の精神を遺憾なく伝えた代表作である。明治元年(1868年)9月に刊行。明治天皇が東京に遷るときにあたって推薦する人があり、右大臣・三条実美と左中将・東久世通禧の働きによって天皇の目に留まり、容斎は天皇より「日本画師」の号を賜られた。一説によると刊行前に孝明天皇に献上され、天皇を動かして和気清麻呂に神号を追贈させるきっかけとなったという。明治7年(1874年)「土佐日記絵巻」2巻を描く。明治10年(1877年)の内国勧業博覧会に出品し、最高の竜紋褒賞を授与された。翌明治11年(1878年)、神田お玉が池の自宅において逝去。 

*作品中の落款と印章は下記のとおりで、違和感はありません。



『前賢故実』は明治36年(1903年)、孫の菊池武九によって、有職故実の考証1巻を加えて『考証前賢故実』全11巻として東陽堂から刊行された。『前賢故実』は国家意識の高まりの中で歴史画が盛んに描かれ出すと、そのバイブルとしての役割を果たした。日本画家のみならず、洋画家や生人形師、写真家、果ては講釈師まで参考にしており、その影響力の大きさが伺える。 
容斎の門人として、松本楓湖、渡辺省亭、鈴木華邨などがいる。とりわけ松本楓湖の門からは、速水御舟、今村紫紅、小茂田青樹など、次代を担う画家が輩出された。容斎に私淑していた画家としては、尾形月耕が風俗画で名を成し、梶田半古は弟子に『前賢故実』を書写させ、その中から小林古径や前田青邨といった歴史画家が育っていった。

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表具は上等な誂えとなっています。



以前に紹介していますが、冒頭での一方の渡辺省亭の作品は下記のとおりです。

月下湖麗望図 渡辺省亭筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦1991*横670 画サイズ:縦1270*横505(改装後:縦1265*横505)



渡辺省亭の佳作のひとつと言えます。この構図は師である菊池容斎の作品「石山寺観月図」(仮題)とほぼ同じ構図で、筆致もよく似ている。このことはこの作品が菊池容斎の作品「石山寺観月図」の影響を受けていることと推測していいでしょう。



顔の部分の比較は下記の写真のとおりです。



渡辺省亭の作品に注目している昨今ですが、師である菊池容斎との比較から鑑賞してみるのも良いでしょう。



古くは下記の作品との比較が面白い作品ですが、これを題材にした作品もまた複数存在します。

参考作品        
石山寺観月図 土佐光起筆        
江戸時代 17c 絹本著色          
H-122.3 W-55.6   

             
渡辺省亭においても他にも令和3年東京芸術大学の展覧会に下記の作品が出品されています。(同時期にNHKの日曜美術館にて放映)

東京芸術大学展覧会出品作
石山寺
個人藏
H-119.3 W-49.7



この画題と構図の作品を何点か描いた可能性があるようです。当方でも画題としては他にも所蔵している作品があったと記憶しています。

紫式部観月図 渡辺省亭筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦1910*横645 画サイズ:縦1255*横507





色々と調べていくと関連性のあることが多く面白いものです。




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