夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

寒牡丹 麻田辨自筆

2011-02-26 05:31:53 | 掛け軸
暖かいと思ったらすぐに寒の戻りのようです。
いいと思ったことはなかなかいいことばかりは続かない・・また悪いことばかりでもない。
世の中は天気と同じ・・・。

寒牡丹 麻田辨自筆
紙本着色軸装共箱 軸先骨
全体サイズ:縦1510*横752 画サイズ:縦523*594


ちょと掛け軸としては異様な感じを受けます。
額装にして明るいところで鑑賞したい作品ですが、なかなかどうして床の間も照明を点けれるところならいいと思います。





麻田辯自の紙に描かれた味わいのある作品。表具は改装されております。

  


辨自は麻田鷹司の父です。麻田鷹司の作品は後日、紹介します。

麻田辨自:明治33年、現在の京都府亀岡市に中西家の次男として生まれる。本名辨次。
京都市立絵画専門学校に学び、1921年(大正10)第3回帝展に初入選。昭和2年に上村松園の弟子麻田ツルと結婚し麻田姓を名乗ることとなる。

1929年(昭和4)に西村五雲に師事し、その画塾「晨鳥社」に入る。また創作版画も手がけ、30年(昭和5)の第11回帝展には日本画作品とともに版画「燕子花其他」を出品。

師五雲から受け継いだ即妙な写実的表現による花鳥画で戦前期の官展 (帝展・文展)などに出品を重ねた。戦後は日展に出品し、1950年(昭和25)第6回日展で《樹蔭》が特選、52年(昭和27)第8回日展《群棲》で特選・白寿賞、59年(昭和34)第2回新日《風騒》は文部大臣賞を受賞するなど風景画に新境地を開いた。65年(昭和40)日本芸術院賞を受賞。

日展評議員、晨鳥社顧問をつとめた。75年(昭和50)京都府美術功労者となる。著書に『巴里寸描』(1977年)がある。1984年 (昭和59)没日本画家。京都生。京都絵専卒。

日本画家麻田鷹司は長男、洋画家麻田浩は次男。

日本画のほか創作版画も手がけ、戦後は的確な表現により風景画に新境地を開いた。日展理事・審査員。芸術院賞受賞。京都市文化功労者。京都府美術功労者。昭和54年(1984)歿、84才。


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