今日は小生の65歳の誕生日。本日紹介する作品はまくりの状態での入手であり、屏風や襖から剥がされた作品のひとつかもしれません。表具してみるのが愉しみな作品のひとつです。
芭蕉下家鴨図 蓑虫山人筆 その16
紙本淡彩軸装 合箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横420*縦1280
8作品ほど続けてインターネットオークションにて出品された青森の南部美術(八戸)からの入手。こちらの作品はまくりの状態で14万円にて入手。蓑虫山人としては破格の高い落札金額となりした。
「青森に8年余り長逗留し、某家の襖・戸板等々に描いた家より譲り受けた作品」という説明でしたが、落款や印章から真作と判断されます。実際に蓑虫山人が青森と関わってのは下記の年表に記されています。
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1877年 明治10年 42歳 東北地方への旅にでる。岩手県水沢滞在。
1878年 明治11年 43歳 秋田・岩手・青森への旅に出る。田名部の徳玄寺、佐井の箭の根八幡宮・長福寺に滞在。
1879年 明治12年 44歳 青森に滞在する。
1880年 明治13年 45歳下北半島に滞在する。
1881年 明治14年 46歳 深浦の白崎家・広田家、追良瀬の今家・黒滝家、秋田小池村千田家などに滞在する。
1882年 明治15年 47歳 1月舞戸の一戸家に滞在。 2月鰺ヶ沢の戸沼家に滞在。4月鰺ヶ沢の高沢寺に滞在。5月相野(現森田村)の盛家に滞在。6月宮川(現中里町)の古川家、筒木坂(現木造町)の三橋家に滞在。この月、浪岡で書画会開催。7月弘前で侫武多を観る。8月宮川の古川家に滞在。9月五所川原の石井家に滞在。佐々木嘉太郎と会う。油川の西田家・津幡家に滞在。10月小泊の秋元家に滞在(~翌年5月)。
1884年 明治17年 49歳 枝川(現田舎館村)の工藤家に滞在。秋大鰐の加賀助旅館滞留、中野(現黒石市)中野神社に遊ぶ。十和田湖を経て三沢に至り広沢安任と会う。
1885年 明治18年 50歳 青森に滞在する。
1886年 明治19年 51歳 8月弘前で佐藤蔀と会う。9月浪岡町の平野家・木村家に滞在。日本考古学の先駆者神田孝平氏と会う。
1887年 明治20年 52歳 4月青森県に滞在。亀ヶ岡遺跡の発掘調査をおこなう。5月青森で奥村準作と書画会を開く。6月三沢で古代器物展覧会を開く。会記を広沢安任が記す。
8月上京し、文部技官・神田孝平と会う。10月秋田へ行く。
1888年 明治21年 53歳 秋田に滞在。神田氏に長者屋敷石器採集の状況を報告
1890年 明治23年 55歳 3月まで横手に滞在。6月宮城県仙台に滞在。
1891年 明治24年 56歳 濃尾大地震起こる。宮城県から岩手県へ移る
1892年 明治25年 57歳 岩手県に滞在
1893年 明治26年 58歳 2月岩手県から結村役場に濃尾震災による郷里の被害状況を問い合せている
1894年 明治27年 59歳 1月岩手県に滞在
1895年 明治28年 60歳 1月秋田に滞在。4月秋田扇田で肖像写真をとる。5月青森の村本家に滞在。7月弘前、碇ヶ関に滞在。
1896年 明治29年 61歳 1月秋田県扇田の麓家を最後に東北地方における長年の旅を終わり、名古屋の嫡兄左金吾宅を訪ねる。
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1879年~1887年の8年間を青森県内を旅しています。断言はできませんが、他の山水画の作品が中野山あたりの風景と推定されることから1884年頃の作品と思われます。
少し時代が後になりますが、ユニークな作品を描く倉田松涛を本ブログにてクローズアップしていますが、山水画などは蓑虫山人、人物画は倉田松涛が優れていると思っています。
落款と印章は下記のとおりです。左下の印章(朱文白楕円印)については残念ながらよくわかっていません。
蓑虫山人の特筆べき筆法は墨と水分をたっぷり蓄えた絵筆で一気に描くみずみずしさでしょう。
画家というよりも風俗史を記録する絵師という評価でしたが、その絵の魅力は尽きることがありません。
蒐集する方が一昔前まではたくさんおられていたそうですが、そのせいで贋作が出回り、人気は下火になったと言われています。このよいうなことで評価を下げた画家は数多くいますが、繰り返しになりますが、今一度再評価されてもよい画家だと思います。
そういう観点から「日曜美術館特別編 井浦新が追う!蓑虫山人」が放映されたのは嬉しい限りです。出浦新氏が訪れたのは青森郷土記念館がある津軽、残念ながら私の郷里には蓑虫山人に関する資料を展示しているスぺースも、きっと展示する資料も少ないのでしょう。
我が郷里は当て外れな刀剣愛好家は多く、ええかっこしいが多いのですが、文化的レベルは非常に低くまともな展示館が無いに等しい。福田豊四郎を展示している小坂では役所的で休日は閉館、平福記念館のある角館は作品に面白みがない作品ばかり、寺崎廣業の作品のある横手は交通の便が悪い・・・
なにか方策を考えるべきで、たとえば東京に郷土展示館のような・・、奇抜な企画で人を呼び込むような・・・。
先週には賛同して広告を掲載したので届いた郷里の新聞、「**の問題」という特集ですが、まさしく過疎地の代表的な郷里です。小生は徹底して過疎化が進んだ方がいいと考えており、逆に男の隠れ家の拡張を画策しています。こういうへそ曲がりが多い方がいい。行政による企業誘致、若者確保のための就労活動、道路の整備、医療の充実などという流れを再考した方がいい時期に来ています。
芭蕉下家鴨図 蓑虫山人筆 その16
紙本淡彩軸装 合箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横420*縦1280
8作品ほど続けてインターネットオークションにて出品された青森の南部美術(八戸)からの入手。こちらの作品はまくりの状態で14万円にて入手。蓑虫山人としては破格の高い落札金額となりした。
「青森に8年余り長逗留し、某家の襖・戸板等々に描いた家より譲り受けた作品」という説明でしたが、落款や印章から真作と判断されます。実際に蓑虫山人が青森と関わってのは下記の年表に記されています。
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1877年 明治10年 42歳 東北地方への旅にでる。岩手県水沢滞在。
1878年 明治11年 43歳 秋田・岩手・青森への旅に出る。田名部の徳玄寺、佐井の箭の根八幡宮・長福寺に滞在。
1879年 明治12年 44歳 青森に滞在する。
1880年 明治13年 45歳下北半島に滞在する。
1881年 明治14年 46歳 深浦の白崎家・広田家、追良瀬の今家・黒滝家、秋田小池村千田家などに滞在する。
1882年 明治15年 47歳 1月舞戸の一戸家に滞在。 2月鰺ヶ沢の戸沼家に滞在。4月鰺ヶ沢の高沢寺に滞在。5月相野(現森田村)の盛家に滞在。6月宮川(現中里町)の古川家、筒木坂(現木造町)の三橋家に滞在。この月、浪岡で書画会開催。7月弘前で侫武多を観る。8月宮川の古川家に滞在。9月五所川原の石井家に滞在。佐々木嘉太郎と会う。油川の西田家・津幡家に滞在。10月小泊の秋元家に滞在(~翌年5月)。
1884年 明治17年 49歳 枝川(現田舎館村)の工藤家に滞在。秋大鰐の加賀助旅館滞留、中野(現黒石市)中野神社に遊ぶ。十和田湖を経て三沢に至り広沢安任と会う。
1885年 明治18年 50歳 青森に滞在する。
1886年 明治19年 51歳 8月弘前で佐藤蔀と会う。9月浪岡町の平野家・木村家に滞在。日本考古学の先駆者神田孝平氏と会う。
1887年 明治20年 52歳 4月青森県に滞在。亀ヶ岡遺跡の発掘調査をおこなう。5月青森で奥村準作と書画会を開く。6月三沢で古代器物展覧会を開く。会記を広沢安任が記す。
8月上京し、文部技官・神田孝平と会う。10月秋田へ行く。
1888年 明治21年 53歳 秋田に滞在。神田氏に長者屋敷石器採集の状況を報告
1890年 明治23年 55歳 3月まで横手に滞在。6月宮城県仙台に滞在。
1891年 明治24年 56歳 濃尾大地震起こる。宮城県から岩手県へ移る
1892年 明治25年 57歳 岩手県に滞在
1893年 明治26年 58歳 2月岩手県から結村役場に濃尾震災による郷里の被害状況を問い合せている
1894年 明治27年 59歳 1月岩手県に滞在
1895年 明治28年 60歳 1月秋田に滞在。4月秋田扇田で肖像写真をとる。5月青森の村本家に滞在。7月弘前、碇ヶ関に滞在。
1896年 明治29年 61歳 1月秋田県扇田の麓家を最後に東北地方における長年の旅を終わり、名古屋の嫡兄左金吾宅を訪ねる。
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1879年~1887年の8年間を青森県内を旅しています。断言はできませんが、他の山水画の作品が中野山あたりの風景と推定されることから1884年頃の作品と思われます。
少し時代が後になりますが、ユニークな作品を描く倉田松涛を本ブログにてクローズアップしていますが、山水画などは蓑虫山人、人物画は倉田松涛が優れていると思っています。
落款と印章は下記のとおりです。左下の印章(朱文白楕円印)については残念ながらよくわかっていません。
蓑虫山人の特筆べき筆法は墨と水分をたっぷり蓄えた絵筆で一気に描くみずみずしさでしょう。
画家というよりも風俗史を記録する絵師という評価でしたが、その絵の魅力は尽きることがありません。
蒐集する方が一昔前まではたくさんおられていたそうですが、そのせいで贋作が出回り、人気は下火になったと言われています。このよいうなことで評価を下げた画家は数多くいますが、繰り返しになりますが、今一度再評価されてもよい画家だと思います。
そういう観点から「日曜美術館特別編 井浦新が追う!蓑虫山人」が放映されたのは嬉しい限りです。出浦新氏が訪れたのは青森郷土記念館がある津軽、残念ながら私の郷里には蓑虫山人に関する資料を展示しているスぺースも、きっと展示する資料も少ないのでしょう。
我が郷里は当て外れな刀剣愛好家は多く、ええかっこしいが多いのですが、文化的レベルは非常に低くまともな展示館が無いに等しい。福田豊四郎を展示している小坂では役所的で休日は閉館、平福記念館のある角館は作品に面白みがない作品ばかり、寺崎廣業の作品のある横手は交通の便が悪い・・・
なにか方策を考えるべきで、たとえば東京に郷土展示館のような・・、奇抜な企画で人を呼び込むような・・・。
先週には賛同して広告を掲載したので届いた郷里の新聞、「**の問題」という特集ですが、まさしく過疎地の代表的な郷里です。小生は徹底して過疎化が進んだ方がいいと考えており、逆に男の隠れ家の拡張を画策しています。こういうへそ曲がりが多い方がいい。行政による企業誘致、若者確保のための就労活動、道路の整備、医療の充実などという流れを再考した方がいい時期に来ています。