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夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

浅絳山水図 奥原晴湖筆

2011-12-27 06:13:41 | 掛け軸
昨夜はなんやかんやで同僚たちとは今年の最初で最後の? 忘年会。
今年はいろいろあり、万感の思いの一年でしたが、近年はどうもそういう年ばかりのような気がします。
一日早い休みを頂いて、明日の早朝のフレイトで田舎に帰省します。今年は寒くて雪が多いそうです。除雪、昼ごはん、家の準備、感謝感謝の地元の人たち・・。

さて本日の作品は女性が描きながら、さながら男顔負けの粗放な?画家、奥原晴湖です。
人気のない南画ですが、本作品は秀作です。だらしのない明治期の南画の男性陣に活を入れているようでもあります。


浅絳山水図 奥原晴湖筆
紙本水墨淡彩 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1940*横645 画サイズ:縦1360*横495




荒々しい筆、墨の具合でありながら、情感たっぷりです。





賛に「壬子」とあり、奥原晴湖が亡くなる前年の1912年(明治45年)の作品である。

 

はてさて賛はなんて読むのでしょうか?

 

野口小蘋とともに明治の女流南画家の双璧といわれ、また安田老山と関東南画壇の人気を二分しましたが、この二人についてはまだ小生の所蔵にはありません。いつか良い作品と巡り合えるといいですが、明治期の南画は・・・。

奥原晴湖(おくはらせいこ):(1837―1913)明治の女流南画家。本名は節子。下総古河藩家老職池田氏に生まれる。初め同藩の枚田水石に学び、のち明清諸家を研究し、とくに鄭板橋と費晴湖に私淑した。1865年(慶応1)奥原氏の養女となり、江戸に出て下谷摩利支天に住し、勤皇の志士や諸名流と交わりながら画名を高める。一時は門人300人を数えるほどに流行したが、南画衰退の時流に伴って91年(明治24)中央画壇を去り、熊谷在川上(埼玉県)に隠棲(いんせい)した。粗放な筆致による墨画山水は明治の南画の特色をよく表している。当時としては異例の断髪にするなど、風采および性格ともに男性的で、逸話の多い女性であった


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2 コメント

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良いお年を (夜噺骨董談義)
2011-12-27 23:28:35
本年中はたいへんお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
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お疲れさまでした。 (米吉)
2011-12-27 13:00:24
最初で最後の?忘年会での楽しいひと時を有難うございました。
既に帰省し、除雪に汗を流していることと思いますが、くれぐれも気をつけてください。
今年も何かと気ぜわしい一年でしたが、来年も相変わらずの状況が続きそうですが、宜しくお願いいたします。良いお年を・・・。
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