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夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

リメイク 氏素性の解らぬ作品 鯉 川合玉堂筆 昭和30年頃

2019-12-23 00:01:00 | 掛け軸
本日は休日ということもあり、気軽に楽しめる作品??の紹介と思ったら、休日ではなくなっていましたね。

落花生の収穫は今年もなんとか終えました。義父が亡くなって収穫が遅れ、だいぶ野鼠に食われて少ない収穫量です。ただ来年は庚子・・・、そう庚は「金」、子(鼠)は「大黒様のお使い」・・・。野鼠に捧げものをしたことになり、収穫、天日干し、皮むき、選別、炒りと家族で行い、今年は金運に恵ままれるかも・・。今年の落花生は貴重なものとなりました

作品を整理していたら、下記の作品が出てきました。ずいぶん前に入手した作品で、本ブログでも紹介されていますが、あらためて調べてみましたので紹介します。

リメイク 氏素性の解らぬ作品 鯉 伝川合玉堂筆 昭和30年頃
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱
全体サイズ:縦1802*横603 画サイズ:縦390*横458



いわゆる鯉の滝登り、登龍門という縁起物の画題ですね。



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登龍門(とうりゅうもん):成功へといたる難しい関門を突破したことをいうことわざ。 特に立身出世のための関門、あるいはただ単にその糸口という意味で用いられる。鯉の滝登りともいわれ、鯉幟という風習の元になっている。

壁画に描かれた李膺
「膺は声明をもって自らを高しとす。士有り、その容接を被る者は、名付けて登龍門となす」。

この諺は『後漢書』李膺伝に語られた故事に由来する。それによると、李膺は宦官の横暴に憤りこれを粛正しようと試みるなど公明正大な人物であり、司隷校尉に任じられるなど宮廷の実力者でもあった。もし若い官吏の中で彼に才能を認められた者があったならば、それはすなわち将来の出世が約束されたということであった。このため彼に選ばれた人のことを、流れの急な龍門という河を登りきった鯉は龍になるという伝説になぞらえて、「龍門に登った」と形容したという。 なお「龍門」とは夏朝の君主禹がその治水事業において山西省の黄河上流にある龍門山を切り開いてできた急流のことである。

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当時当方での記録には「入手先の説明では「出品前に改装した。」とのことで、前所有者が書家ということもあり、書の表装のように改装したと思われます。」とあります。なかなかの上表具のようです。



作品中の落款と印章、共箱の箱書きは下記のとおりです。

  

「隋軒」の号の印章は川合玉堂の晩年の作品によく押印されています。



川合玉堂の書体は年によって大きな特徴があり、書体も晩年の頃、昭和30年前後のものと思われます。





本作品と構図が同様の作品では、無落款で印章もありませんが、「川合玉堂の遺族(親族)より出た?」とされている下記の作品があります。よく似ている作品があるものです・・・??

本日紹介する作品が真作なら、男子の誕生などを機会にどなたかに依頼されて描いたものかもしれませんね。



鯉の図柄を川合玉堂はよく描かいており、昭和24年76歳の作品が玉堂美術館に所蔵されています。

 

下記のような作品も描いています。

参考作品
鯉仙人
紙本水墨 緞子裂 合箱
本紙寸法29.7 ×105 全体寸法431×192.5㎝

 

本日紹介した作品は鯉のユーモラスさと軽快なタッチが面白く、滝の流れの表現と昇りきろうとする鯉の表現がよいと思いますが、あくまでも真贋は不明です。表具や登竜門を愉しむ吉兆図ですね。

庚子は新たなことが始まる年、今年は仕事では近々事務所の移転、今年も新たな投資をしますが、今年の落花生は心して食べるようにしましょう。本作品を眺めながら落花生をボリボリ・・・。

少し早いですが、よいお年を・・・。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
購入いたしました (なかやまとしはる)
2022-10-05 14:10:43
折り目のある鯉の絵、ヤフオクで購入いたしました 川合玉堂さん一家が奥多摩に疎開されたころ ご近所さんから野菜などをいただいた お返しに鯉の絵をいただいたらしいです 昭和17年のことだそうです 絵の裏に昭和17年と書いてあります
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良い買い物 (夜噺骨董談義)
2022-10-05 17:06:17
コメントをありがとうございます。良い作品を入手されたものと思います。
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