めざせサブ4! (~_^)/

フルマラソンであと17分短縮できれば、3時間台。そしてウルトラ完走するための記録。
加えて主に登山、バスケ観戦の記録。

マッキンリー遭難捜索打ち切り

2012年06月18日 | ニュース記事

マッキンリー遭難捜索打ち切り=宮城の登山家4人絶望―米アラスカ・国立公園事務所
 6月18日(月)2時49分配信

 【ニューヨーク時事】米アラスカ州の北米最高峰マッキンリー(6194メートル)で宮城県勤労者山岳連盟(仙台市)登山隊の日本人5人が雪崩に巻き込まれ、4人が行方不明になっている事故で、現地のデナリ国立公園事務所は17日朝(日本時間18日未明)、4人の生存が絶望視される上、二次災害の危険が大きいことから捜索を打ち切ると発表した。
 同事務所によると、16日の捜索で、唯一助かった扇等さん(69)=仙台市泉区=が転落したクレバスの底(約30メートル下)に、4人と扇さんの体をつないでいたロープの端があるのを発見。掘り出そうとしたが、周辺の雪や氷が崩落する危険が大きいため断念したという。
 同連盟によると、行方不明になっているのは、宮城県涌谷町、加藤慶昭さん(64)▽同県加美町、須田正子さん(50)▽同県大崎市、鈴木道子さん(56)▽仙台市青葉区、鈴木玉雄さん(63)。 

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「振り向くと雪崩」=現場で4時間、仲間捜索-生還の登山隊長扇さん

  「サーっと音が聞こえ、振り向くとすぐそばまで雪崩が来ていた。考える暇もなくのみ込まれた」。米アラスカ州のマッキンリーで、登山中の日本人5人が雪崩に巻き込まれた事故で、唯一生還した登山隊長の扇等さん(69)は17日、電話取材に応じ、雪崩の瞬間の様子を語った。
 扇さんによると、下山途中で下り坂を歩いていた際に雪崩にのみ込まれた。5人はロープで体をつないでおり、最後尾にいた扇さんはクレバスに転落。ロープは切れてしまったという。
 雪崩のあった現場は「標識となるポールが立っている、誰でも歩く通常のコース」と説明。未明の下山については、現地は白夜で一日中明るく、日中よりも気温が上がらないため雪崩の危険が少ないと話した。(2012/06/17-15:18)

<マッキンリー遭難>「危ない」間に合わず 山岳連盟会見

6月17日(日)13時43分配信

 「『サーッ』という音がして振り返ったら、雪崩はすでに足元に迫っていた」。宮城県勤労者山岳連盟所属の5人が巻き込まれた米アラスカ州のマッキンリー山の雪崩。唯一自力で下山した扇等さん(69)から電話で報告を受けた赤間弘記会長(65)は17日、仙台市内の連盟事務所で記者会見し「登山隊の準備や計画は問題がなかったと思うが巻き込まれた。不運で悔しい」と仲間の無事を祈った。

【遭難の一報と現場写真】米マッキンリー:雪崩で日本人4人不明 1人は自力で下山

 会見によると、5人は天候の悪化などのため登頂を断念し、現地時間13日未明から下山を開始。クレバスへの転落防止のため、50メートルのザイルでつながった状態で縦列で歩いていた。登山隊長の扇さんは最後尾。雪崩に気づき、約10メートル前の4人に「危ない」と叫んだが間に合わなかった。

 扇さんも雪崩に巻き込まれ、気がついた時にはクレバスの深さ約20メートル付近。荷物が氷壁に引っかかり転落を免れた。自力ではい上がり、しばらく現場で4人を捜したが見つからず1人で下山。日本時間15日午後4時ごろ、赤間会長に電話で報告した。扇さんは「大声を出して呼んでも、4人から応答はなかった。かなり大きな雪崩だった」と冷静に話していたという。

 5人は10年からマッキンリー山登頂を計画。当初は昨年の予定だったが、東日本大震災の影響で延期していた。【竹田直人】

 ◇「根っからの山好き」声落とす知人

 加藤慶昭さん(64)は山岳愛好家でつくる「古川どっぽ山の会」(宮城県大崎市)の会長を四半世紀近く務め、須田正子さん(50)と鈴木道子さん(56)も同会会員だった。

 同会の佐藤泰治副会長によると、加藤さんは09年にヒマラヤ、10年にはアフリカのキリマンジャロに登頂。県勤労者山岳連盟の遭難対策隊長も務め、登山愛好者らに滑落時の体の止め方やザイルの使い方を指導していた。雪を掘って雪崩の起きやすい層かを見極める力もあったという。

 デイサービス施設を運営する須田さんは先月、佐藤副会長から冗談交じりに「ヒマラヤの方が良くないか」と言われ「前々から決めてあることだから」とマッキンリー登山への決意をのぞかせた。鈴木道子さんは昨年10月、北アルプス常念岳(長野県)へアイゼンを携行したが、例年より雪が少なく、今回の登山の訓練にならず悔しがっていたという。

 仙台市青葉区の鈴木玉雄さん(63)宅の近所の男性(54)によると、鈴木さんは約3年前に資格を取った庭師の仕事をしながら、山登りを楽しんでいた。東日本大震災では、地元の避難所設置を先頭で進めるなど町内の中心的存在だったという。男性は「根っからの山好きで、住民同士で集まってお酒を飲む時もよく山の話を聞かせてくれた」と声を落とした。【小原博人、金森崇之】


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