腐れゲー道

プレーしたゲームの感想文を、ダラダラと粘着質に綴ります。

大玉

2010年10月02日 02時04分09秒 | ゲームキューブゲーム感想文
「他と違うこと」「独自性」は、正義である。
これはもう、現実世界全体に適用できる摂理であると思う。
ダイヤモンドに価値があるのは、その採掘量が少ないからだ。
パンダに価値があるのは、見た目の愛嬌もあるが、その生息数が少ないからだ。
イチローが有名であり高給取りなのは、その野球の能力に並ぶものが殆どいないからだ。
数か少ない、貴重だからこそ、価値がある。逆に言えば、幾らでもあるものの価値は小さい。
……あんま考えると己の価値を実感して死にたくなるので普段はあまり意識してないが、
別に語るまでもない、世の中の真実だと思う。

して「大玉」、間違いなく「他と違い」「独自性」に溢れたゲームである。
こんなゲーム、見たことない。この点は断言できる。
……が。それに価値があったのか。貴重だったのか。正義だったのか。
この点には大いに疑問が残ってしまった。



とにかくこのゲーム、独自性の塊だ。他に類を見ない。
それでも既存のゲームに例えると、「ピンボール」+「ピクミン」+「音声入力」だろうか。

順に説明すると、まずピンボールは、そのままの意味である。
タイトルになってる「大玉」はピンボールで弾くボールのことなのだ。
プレーヤーはLRボタンでフリッパー(ボールを弾くバー)を操作し、大玉を弾いてゲームを動かすことになる。
この要素に変な部分はなく、ただのピンボールと思ってよい。
ただピンボールはゲームの主要素ではないので、一般作のような仕掛け(当てたらボーナスが入るオブジェクトとか)の類は殆どない。
今作はピンボールゲームではあるのだが、ピンボールとして遊ぶのには向いてないと思う。変な話だが。
ピンボール自体は誰でも遊べるゲームなので、やったことない人でも、触ってみればどういうものかはすぐ分かると思う。
ちなみに大玉の挙動はかなり重めで扱いにくく、爽快感は薄い。
そういう意味でも、今作はピンボールゲームとして見るべきではないだろう。本当に変な話だが。


次にピクミンだが、このゲームは明らかに「ピクミン」にヒントを得て作られている。
ゲームの舞台は戦国の合戦場で、プレーヤーは総大将、そしてピクミンとして兵隊がいるわけだ。
兵隊はプレーヤーの指示に従って動く。物を運んだり道を塞いだり敵と戦ったり、まさにピクミンだ。
そしてあまりにも儚くあっけなく死んでいく様も実にピクミンだ。
ちなみにこの兵隊達が昇天する演出は、完全にピクミンのオマージュになっている。
大玉を戦場に転がすと、敵だけじゃなく味方を巻き込んで殺してしまうことも多い。時には戦略上わざと巻き添えにすることもある。
このシュールな残酷さも正にピクミンである。あのゲームの雰囲気(ゲーム性ではない)が好きだった人に、今作はかなり向いているかもしれない。

制作者によると、このゲームで最も表現したかったのは、彼ら名も無い兵隊達の運命だという。
「一山いくら」の安い命であることはゲーム上でも明らかな彼らでも、当然一人一人に意思があり、生きることへの執着がある。
そんな彼らがどんな思いで理不尽な命令に従い、そして死んでいくのか、そこを考え、何かを感じ取ってほしい……ということらしい。
まぁ、言わんとすることは分かるな。他ならぬ俺自身、現代における一山いくらの存在であることを良く知ってるから。
雑兵達の無念、ある程度は分かるよ。上の人間達に好き放題やられるだけの木っ端存在、惨めだよなぁ。虚しいよなぁ。
でも同じ木っ端の存在だけに、「そんな事嘆いても誰も聞いてくれないよ」とも思うよ。
結局木っ端は木っ端。いてもいなくても大差ない。代わりは幾らでもいる。
仮に戦国時代に織田信長がいなければ大変なことになるが、雑兵Aがいなくても歴史は何も変わらない。
もし雑兵Aが見えない所で輝かしい戦績を上げていたとしても、歴史に残っていない以上、彼の立場に変わりはない。
いつの時代も「その他大勢」の立場は変わらんよ。誰にも鑑みられることはない。それを気にしてもならない。
……ま、あんまし考えると死にたくなるのでやめとこう。はぁ。


最後に「音声入力」だが、これは今作の特徴として一応有名だと思う。
コマンド入力ではなく、同梱されているゲームキューブマイクを使い、音声にて兵士達に指示を出すのである。
ちなみにこのマイクは「マリオパーティ6」や「伝説のクイズ王決定戦」に同梱されてのと同じものだ。
コントローラーで操作しながら使うので、ホルダーも一緒に入っている。

しかしこの音声入力システム、ハッキリ言って失敗してると思う。
制作者曰く「いつしか貴方の命令と兵士達の掛け声が重なり合い、最高のBGMになるでしょう」との事だが、全然そうはならない。
序盤こそ様々な命令を取得できるが、中盤からは殆ど「押せ」と「集まれ」しか使うことがなく、単調極まりない。
場面場面で多彩な命令を出せれば面白かったはずなのに、完全にアイデア倒れになってしまっている。
まぁそもそもゲームの目的自体は単純なので、多彩な命令を用意されても使い道がないのだが。
もう少し練り込んで、音声入力の面白さを出してほしかった。戦略上無意味な遊びコマンドを用意するとかさ。
このゲームに限らず、マイクデバイスはいまいちゲーム業界に定着しないなぁ。
一番使われたマイクがファミコン2Pのアレだというのは何ともアレである。




今作はこんな感じで、ピンボール台に模した戦場で大玉を弾き、同時にピクミン的兵士達に命令を出すゲームである。
ゲームの目的は「釣鐘衆」と呼ばれるキーユニットを所定の位置まで導くことだ。
釣鐘衆は基本的に自動でゴールを目指すが、当然敵兵士の妨害を受けるし、様々な仕掛けに道を塞がれることもある。
そんな障害を雑兵に命令して排除し、また釣鐘衆に迂回ルートを通らせたりして、ゴールを目指していく。
当然ステージによって地形・仕掛けは様々であり、その場に適した戦術を練る必要がある。

……さて、ここでこのゲーム最大の欠点を書きたい。
難しい。むっちゃくちゃ難しいのだ。
誰でもクリアー可能と思われるステージはせいぜい1面だけで、2面から早くも難所。4面は投げ出したくなる高難度っぷりだ。
その後も「これ、本当にいいのか?」と思えるステージばかりが続く。このゲームの正体は、奇ゲーではなく難ゲーだと思う。
地形・仕掛けがとことん嫌らしく、こちらを只管困らせるように配備されてので、全く思い通りに事が進まない。
プレーヤーが自由に動かせるのは大玉だけだが、相当ピンボールが上手くなければ、そうそう狙い通りに弾くことなどできはなしない。
結果として延々と 細い通路を狙う→外す のようなミスを繰り返すことになり、気分が萎えてくる。
更にステージ毎に課されている制限時間がこれまた厳しく、チンタラやってたらあっという間にゲームオーバーになってしまう。
奇天烈なゲーム性を楽しめるのは本当に最初だけで、その後は真面目に挑まなければとても太刀打ちできない仕上がりである。

尤も、難しいだけなら別に問題はない。今作は非常に難しいが、別に他ゲーと比べて突出しているというわけでもない。
ただ何と言うか、その難しさが「面白くないもの」なのだ。
ピンボールという扱い辛い装置に、思うように動いてくれない釣鐘衆と兵士達、そして無尽蔵に湧いてくる敵の増援。
ゲームの根元を自分の手で操作することが非常に難しく、繰り返されるミスをいちいち理不尽に感じてしまうのだ。
これがよく出来たアクションゲーム等なら、ミスに「自分が下手なのが悪い」という意識が働き、再挑戦意欲が湧いてくる。
だが今作の場合は「どんな調整だ」と嘆きたくなる理不尽さで、再挑戦どころかゲームを投げたしたくなるステージばかり。
「優れたゲームにおける再挑戦意欲の大切さ」は任天堂も強く意識し、「社長が訊く」ではこの手の話題が何度も出ている。
今作は色んな意味で任天堂らしくない作品だが、難度調整はその最たる部分だと思う。
誰を狙ってこんな調整にしたのか、やってみてもさっぱり理解できなかった。


大玉は敵味方区別なく兵士を殺し、そこがゲーム性になっているのだが、この辺の調整も上手く出来ていたとは思えない。
本来は味方を避けて敵だけを大玉で潰すべきなのだが、俺ではそんな細かいプレーはできなかった。
仕掛けを動かす為に狙いを定めるのが精一杯で、とてもじゃないが味方兵士の命にまで気を配っていられないのだ。
本当に、制作者は今作のプレーヤーにどれだけのピンボール技能を要求しているのだろう。
ピンボール上手い人なんて今時殆どいないと思うんだけどなぁ。

しかしぶっちゃけ、実は味方兵の命を気にする必要はあまりないのだ。
戦場であるアイテムを取ると、大玉が緑に光り、一定時間「天の玉」状態になる。
天の玉は味方兵を一切傷つけず、敵兵だけをなぎ倒すという素晴らしい武器なのだが、
それだけではなく、倒した敵兵を拿捕して味方にすることができるのだ。
これにより、大量の敵兵・少数の味方兵というゲームオーバー寸前の劣勢でも、いや劣勢であればあるほど、
偶然出てきたアイテムを取って天の玉状態に出来れば、並み居る敵兵を一気に殲滅し、同時に味方兵を大量に補給することが可能となる。
まさに形勢逆転であり、このゲームにおける数少ない快感シーンである。

……で、色々試した結果、味方兵の命は気にせず、天の玉状態を待って形勢逆転を狙った方が攻略の効率がいいと判断できたのだ。
アイテム出現はランダムなので運任せになるが、元々「まぐれ」がなければクリアーできないようなゲームなので、これでいいと思う。
この、あまりにも運に左右されるゲーム性も批判したい所だが……ある程度狙ってるとも思えるので、仕方ないのかな。
難しい難しいと書いたが、運の良い人なら非常にあっさりクリアーしてしまうかもしれない。その余地はある。
はぁ。


ちなみに、プレーヤーは山之内家(任天堂前社長山内氏から取ったと思う)嫡男という設定なのだが、この家に伝わる家訓が「任天道」であるという。
曰く

任我無心
天在降臨
道義通命

なり。「我心を捨て、皆が心を一つにすば、天意が我らを導き、その道は正義に通ず」という教えであるらしい。
任天堂のパロディであることは言うまでもないが、ゲームの世界設定には合っていると思う。
もうちょい面白いゲームなら、こういう遊びを心底から楽しめたのになぁ。
糞難しいステージ続きで、プレー中はこういうのを笑う余裕を作れなかった。
はぁ。




と言うわけで、今作の難度は悪い意味で非常に高い。
もし今から挑戦する物好きなプレーヤーがいたら、覚悟しておけと言いたい。クリアーに拘らないなら別だけど。
当然ながら、プレー開始後の印象は殆ど最悪だった。止めたくて仕方なかったが、ただ義務感だけでプレーした。
プレーはおろか電源入れるのすら嫌になる。同じステージで何度もミスしてますます嫌になる。
それでも何とかクリアーまで辿り着けたのは……最終的には、結局、面白かったんだよな。
まぁ面白かったは言い過ぎかもしれない。「ご褒美に上手く釣られた」かな。

釣鐘衆を所定の位置に移動させると、めでたくそのステージはクリアーとなる。
その際釣鐘衆の近くにいた兵士達「だけ」が共にゴールし、次のステージへの持ち兵に加えられる。
逆に言うと少数の兵しかいないのにステージクリアーしてしまうと、
次ステージ開始時の持ち兵が極端に少なくなり、下手すると戻ってやり直す羽目になる。
今作は糞難しいだけに止まらず、クリア条件にも気をつけなくてはいけないのだ。ホント大変なゲームである。

んで何がご褒美かって、ステージクリアー時の演出だ。
釣鐘衆と共に戦場を突破した兵士達がカウントされ、その数がどんどん増えていく。
しんどく難しいステージを突破した喜びに加え、このチャリンチャリンと増えていく突破兵士数カウントが、何とも快感なのだ。
中盤以降はこの快感にやられてしまい、不快な調整もあまり気にならなくなった。
相当な回数のやり直しを強いられたのに、平気でゲームにハマっていたのだ。近年珍しい現象だった。
例えるなら、モンハンのクエストをクリアーした時の快感かな。かけた労力が一気に報われる至高の瞬間だ。
まぁモンハンは戦闘も面白いので、比べるのは失礼かもしれないが。

恐らくこのゲームは序盤で投げ出した人が続出したと思う。それも殆ど嫌悪感に近い悪印象を抱いて。
俺ももう少しでその一人になりかけたのだが、幸か不幸か予想外の部分が好みにヒットし、最後は割と好印象に終わることができた。
それでも「噛めば噛むほど味が出た」わけではないので、根本的に褒めることはできないな。
つくづくこのゲームを任天堂が発売したことが信じられない。
宮本氏や岩田社長にやらせたら絶対発売止められると思うぞ。
外部制作だから、チェックが甘いと言うか、制作会社に任せる契約だったのかなぁ。
「ASH-アルカイックシールドヒート-」でも同じことを思ったが、アレも同じ理由なのかな。
はぁ。



難度に次ぐ今作の欠点が、ボリュームがないことだ。
なんと、全部でたった11面しかない。非常に短いゲームだ。
ゲームオーバー回数が矢鱈と多いので総プレー時間はそこそこあるが、もしある程度サクサク進めたら数時間で終わると思う。
かと言ってクリア後のオマケが充実してるわけではなく(ただフリープレー可能になるだけ)、やり込み甲斐のあるステージがあるわけでもない。
こんだけ短いなら各ステージの調整に相当時間がかかったのかもしれないが、難度を見るとそれも考えにくい。
まぁこの難度で30面とか用意されても困るが、それはまた別の話だろう。
ボリュームなんかなくても奇抜なアイデアだけで売り抜けると考えていたのなら、それは間違いなく制作者の傲慢だ。
理不尽に難しく、よって気楽にプレーできず、それでいてボリュームもない。
今作は全然売れず、盛大に値崩れしたが、ハッキリ言って市場の評価は適切だ。
俺は数年前に新品580円の投売りで買ったから別に構わんが、これを発売日に定価で買った人はどう思うんだろう。
何と言うか、残念なゲームだなぁ。愛着を持てない。



今作の「奇ゲー」っぷりを一番表現してるのは、実はゲームシステムではなく、ナレーションである。
老人役として現役バリバリの俳優「大滝秀治」氏が担当しているのだが、これが奇抜なようで実にはまっている。
大滝氏の名前を聞いてもピンと来ないかもしれないが、顔を見れば、そして声を聞けば一発で誰か分かるはず。
彼の非常に特徴的な声と語り口が、ゲームの雰囲気を一種異様に盛り上げてくれるのだ。

役割としてはナレーションではなく、総大将たるプレーヤーの側近、言わば「じい」である。
プレーヤーを「御屋形様」と呼び、開始時にはステージの紹介、敗退時には罵倒、クリア時には賞賛の言を述べてくれる。
今作では、プレーヤーはもちろん「じい」もビジュアルは一切ないが、それでもゲームを進めていくうちに、本当に主従関係があるような感覚を得られるのだ。
更にゲームオーバー時は「……え? なんですか?」「……えっえ? どうなったんです?」など素に返ったような反応を見せ、これがまたはまっているのだ。
……うーん、上手く説明できないな。
とにかく大滝氏の今作における役割は、プレーすれば一発で分かると思う。それが見事にはまっていることも。
正直システムにも調整にも制作者のセンスの良さは感じなかったんだが、ナレーションだけは感嘆に値するものがあった。
今作一番の売りはここかもしれない。こんな味のあるゲーム、他にないよ。




ふぅ。感想書くのが難しいゲームだな。
取り敢えず今はクリアーできてホッとしている。途中で投げ出さなくて本当に良かった。
……けど、もう一度挑戦する気持ちにはなれないな。それだけの魅力はどこにもない。
ちなみに任天堂公式サイトにかなり詳細な攻略が、しかも全面分掲載されているので、プレーするなら必見だ。
自力でやれるようなゲームじゃないことを任天堂も分かってるから、全面攻略なんて暴挙をやっているのだろう。
はぁ。


任天堂が発売した最後のゲームキューブソフトは、GC版「ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス」となっている。
しかしGC版トワプリはネット専売という異例のソフトなので、実質の最終作は今作「大玉」になると思う。
その、任天堂がGCの最後を飾るべく送り出したタイトルが、異様なまでの奇ゲーだった。
GCは明確に失敗したハードだから、それだけならある意味末期ハードらしくて面白かったかもしれない。
しかし大玉は肝心のゲームの出来がとても褒められたものではなく、市場に全く受け入れられなかった。
結果として盛大に値崩れし、GCの最後を飾るどころか汚すタイトルになってしまった。
任天堂の自業自得だから話にならない。最後まで一体何をやっていたんだと思う。
はぁ。


冒頭に書いたように、数が少ないこと自体は確かに価値があると思う。
大玉は他に例のないゲームであり、その事は大きな強みになる。
だが、「希少」がイコール「貴重」ではない。数が少ない、珍しい、それ「だけ」では結局大した売りにはならないのだ。
大玉は奇天烈な作品である以前に、ゲームである。比類なき任天堂が発売したゲームソフトである。
だったら、何よりもまず「面白さ」を要求されるのは当然だ。
それを実現できなかった以上、ただ珍しいだけで、「価値がある」と評価されなかったのは仕方のないことだと思う。


俺が求めるものは基本どんなゲームでも「面白さ」なので、今作に対する感想は芳しくなかった。
しかし、矛盾するようだが、物珍しさ、新しさは確かに強烈な武器だし、そこはとても大事だとも思うのだ。
娯楽が飽和気味であり、似たような作品が溢れるほど供給される現状なら尚更である。
大玉を開発したビバリウムは、「シーマン」等の奇ゲーメーカーとして知られている。
安定した作品作りを望む一方、ビバリウムのようなメーカーが奇天烈な作品作りに挑戦し続けることを願う。
もちろん面白さを前提に、な。


まだまだ新しいネタはあるはず。まだまだ面白いアイデアはあるはず。
そうでなきゃ娯楽に未来はねーよ。そうでなきゃ生きててもつまんねーよ。
比類なきテレビゲームの無限の可能性を信じて、了。
とか。
はぁ。









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