朝日新聞朝刊に、「特派員メモ」というコーナーがあります。今朝は和気真也さんがロンドンで書いていました。
和気さんは昨年9月、ウエストミンスター寺院前で、4時間葬列を待った。女王の棺に夢中でシャッターを切った。そして、前の晩見た追悼番組を思い起こした。
女王は、開かれた王室を志向し、市民の前に姿を現し、手を振ってこたえることを好まれた。ある時、不満をこぼされた。「最近、皆んなの表情が見えなくなった」と。
原因はスマートフォン。貴重な一瞬を手元に残したい。人々すべてがスマホをかざす。
スマホ越しにしか人々はお顔を見ない。
和気さんは、棺がさらに近づいた時、ほんの2秒ほどだったと思うけれど、スマホから目を外し、棺を直接見て、心の中で女王を思った。
記者としてはまずい2秒だったか?と思ったが・・・
**********************
私共も、同じような体験をしているのではないでしょうか。最近では、熱戦を繰り広げ、世界を歓声の渦に巻き込んだサッカー選手たちが成田に帰ってきた時。迎えたファン、出迎えたのは、掲げたスマホの揺れでした。折角の選手たちを、目を合わせて迎えはしなかった。写真よりは、自分の目で直接見た笑顔、誇らしい顔、これ一生残ると思うけど。
私は、もう少し若かった時、隅田川の花火大会が好きで、4・5年続けて見に行ったことがありました。夜空一杯にはじけ、広がる花火、ドーンと腹に響く音、そして鼻をくすぐる硝煙の匂い、これがそろってこその花火だと思うのです。
それなのに、折角その場に来ているのに、小さなスマホの画面に閉じ込めてしまう人々、なんだか惜しい気がするのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます