おせっちゃんの今日2

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F兄上、お誕生日おめでとうございます

2023-04-03 13:33:24 | わが家の話

我が家では長兄を大きい兄ちゃん、次兄を小さい兄ちゃんと、兄ちゃん付で読んでいましたけれど、3兄からは名前で呼んでいましたね。だから今日このブログでも「Fちゃん」と呼ばせてもらいますね。
Fちゃん、昨日は92歳のお誕生日でしたね。先ずは健康を保って、無事にお暮しとのことお喜び申し上げます。92歳の年も、ご自愛くださいまして健やかな日々を過ごされますようにお祈りいたしております。

4月2日のFちゃんのお誕生日が来ると思い出すことがあります。Fちゃんの得意話です。
「昔から、馬鹿と天才は紙一重というからな、Fちゃんは天才なんじゃ」。エイプリルフールと2日の誕生日が、カレンダーの紙一重で並んでいるということを、自慢にするのでした。
生意気な妹は「馬鹿と何とかは紙一重ともいうよね」(○○は使用禁止語です)と言い返すのでした。
「それかいのう。そうともいうかあ」と笑いの中母手作りのご馳走でお祝い会が始まるのでした。

Fちゃんにはこんな思い出もあります。Fちゃんが山口大学生で、大学の寮に暮らしていたころのことだったと思います。実家は瀬戸内に面する防府市です。Fちゃんが何か大事そうに抱えて帰ってきました。なになに?とらい太と興味津々。「お~ぉ、開けてごらん、ええもの買って来たぞ。きれいだぞ~」。
見ると、我が家ではその後「西洋皿」と呼びましたが、直径25センチほどの洋皿5枚、確か赤いバラの花の一節が描かれていたものでした。戦後で物のない時代、和食器はあって西洋物はそれまでなかったでしょうか、子どもの私には、これ以上ないほど美しく思えました。
「きれいじゃろう!?山口で見つけたから買って来たんよ、その分お金が無くなったからFちゃんは歩いて帰って来た」と誇らしげに言いました。
わが家の戦後復旧の兆しでした。

私にとっては有難い思い出もあります。私は高校に進学する歳になりました。その頃地方ではまだ女子は大学に進学するというのは珍しいことだったのです。女子クラスは5クラス。その一クラスのみが進学組と呼ばれて男子と同じカリキュラムで学ぶのでした。
その頃わが家は経済的に貧窮しておりました。父は「女は学問はいらんじゃろう。S姉(私より干支一回り上でした)も大学には行ッちょらん。進学組に入ることは許さん」というのでした。姉と同じようにという親心を言いながら、経済的に無理なことを言い隠したのかもしれません。
その時、Fちゃんが言ってくれたのです。お父ちゃん、時代は大きく変わってきちょるよ、もし、Fちゃんが将来結婚するときは、多分お相手は大学出をもらうことになると思うよ。その時おせっちゃんが肩身を狭くすることにならんかねえ」

この言葉で父は考えを変えてくれました。1年遅れて、2年生から私は進学組に入ったのでした。

わが家の貧窮は、私が大学に行く頃もそれほど改善されてはいませんでした。毎月の生活は、奨学金とアルバイトの家庭教師でどうにか賄いましたが、学年はじめ、学期初めの教科書を求めるなどは、難しかったのです。
ちょうどそのとき、Fちゃんはフルブライト留学生としてアメリカに留学しました。Fちゃんは、大学の助手に職を得ておりましたので、アメリカに行っている間の俸給は、父の所へ振り込まれるようでした。
Fちゃんは言ってくれたのです。「おせっちゃんの学費が足りない時は、この中から出してやっていいからね。せっかく入った大学をお金のために退学させないように」と言ってくれたのでした。

お陰様で、アルバイトに明け暮れする、貧しい学生生活でしたが、青春の時代を楽しんだのでした。

Fちゃん本当にありがとうございました。今までこうしてきちんとお礼を言ったことがなかったような気がします。本当にありがとうございました。


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4 コメント

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Unknown (yakko)
2023-04-03 17:36:22
F兄チャン!
カッコいい・・

おせっちゃんの今ある人生に多大な貢献をしてくれたのですね。
器の大きいF兄チャン・・
百歳までも幸せに長生きして頂きたいですね。
美しい兄妹愛の秘話でした!
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yakko様 (おせっちゃん)
2023-04-04 14:31:53
私が7番目、らい太が末っ子の8番目。兄姉がよくしてくれました。その援助があってこその私です。ありがたいことです。
折角行かせてもらった大学ですが、特に何を研究したということもしなかったおせっちゃんです。ただ、良い青春時代を過ごさせてもらいました。
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Unknown (らい太)
2023-04-05 09:19:24
いろいろあった60年前、おせっちゃんの3年あと、少しは時代も豊かになっていたのでしょうが、おせっちゃんが、”女も大学”、道をつけてくれて、わたしはスムーズに進みました。私の大学生活は6歳上の5兄が援助してくれたのでした。ありがとうございました。
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らい太様 (おせっちゃん)
2023-04-05 15:18:40
はあ、あなたの面倒はTちゃんがしたのね。
私たち二人、それなりに苦労生き生きてきたと思っているけれど、兄姉にはせわをかけたのねえ。ありがたいことです。
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