goo blog サービス終了のお知らせ 

おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

高齢者の運転

2020-10-12 13:34:18 | ニュースから

先週、見ていていたたまれなくなったニュース。池袋での車暴走、母子が犠牲になった事件の裁判が始まったというニュース。

亡くなった母と幼い女の子のいかにも幸せそうな素敵な笑顔の写真。三人で当たり前のように営んでいた幸せな生活を一瞬にして奪われた残されたお父さん。どうしても憎しみの気持ちを持ってしまう暴走車の運転をしていた高齢の男性。非難の気持ちを抑えることが出来ない自分と、高齢者のこれからの贖罪の日々を思いやってなんとも暗くなる自分の気持ち。やりきれない事件です。

決して一方的に、この高齢運転をした方を非難するわけではありません。考えてみたいのです。

私の娘は地方都市に嫁ぎ、暮らしています。今地方では公共の交通手段はほとんどありません。自分の車か、家族の送り迎えかが必須の生活です。池袋は違います。自家用車以外にも交通手段はある地域です。公共の乗り物は体力的に使えないというのなら、ハイヤー・タクシーが使えない地域でもありません。おまけに、現役の時はエリート官僚だった方のようです。タクシー代が捻出できない経済状態の方ではないのです。自分の運転は止めるべきでしたでしょう。老いた方を鞭打つようですが、自己に甘かったと思います。この方だけではありません。多くの高齢者が、自分の都合で、または、どうしようもない交通手段として車を運転していらっしゃると思います。
何らかの手段を考え、運転は止めるべきです。地方自治体も、こうした人の交通手段を考えるべきでしょう。

わが家が移動手段の電車バスに恵まれたところに住んでいるからですが、夫はもう15年ほど前に免許証は返却しました。その後はもっぱら自転車を愛用していましたが、それも危ういと自覚したのでしょう、この春「自転車もやめる。目の前にあると乗りたくなるから、裏の倉庫に仕舞おう」と思い切りました。ちょうどコロナ騒ぎで、お家生活が多くなり、近所の生活になりました。わたしも「リハビリ・鍛錬と思って歩け歩け」と励ましています。

車の不具合だ、ブレーキは踏んだとの主張をなさっているようです。それは今からの裁判で明らかにされると思うのですが、今は、犠牲者を悼む心、妻子を無くされた方の気持ちをくんだ謝罪の気持ちを真摯にあらわされることが必要なのだと思います。謝罪は負けだ、決して謝ってはいけないと考える国民性も他国にはあると言います。でも日本人の心情はそうではないと思います。