教育委員会定例会
上記は町HPの中、会議録が収録されているページ。
6月定例会の会議録に私の最後の議案審議や一般質問に対して、
教育委員各位のコメントが残されている。
常々思っていた事だが、
もちろん終わってからの検証も大事だが、
議案や一般質問は、特に教育委員会に対しての場合、
私なんか教育委員会事務局に質問したいのではなく、
5人のボードとしての狭義の教育委員会に対して、
質問したい。
そしてきちっと協議してほしい。
それなのに、答弁書は事務局が書いてしまう傾向があるように感じる。
定例会で報告として終わらせるのではなく、
始まりの通告書を提出するあたりから議論をしてほしい。
教育委員会不要論が出て来るのはこうしたことも背景にあるのではないか。
そもそも教育委員は現場と触れ合うことが非常に少ない。
教職員も保護者も児童生徒も教育委員に本音をぶつける機会などない。
だれかの監視のもとでの会議しか設定されていないから。
なんのための教育委員会なのか。
それは子どもたちのための教育委員会でなくてはならない。
質問する議席は失っても、
質問できなくなったとは考えていないのであしからず。
教育委員会改革は、国にまかせるものではなく、
基礎自治体で考えるべきものであると私は思う。
まずは、わがまちの教育委員がどのような考えを持っているかを知ることが必要だ。
この6月定例会会議録には、
中学校の昼食の考え方について、各委員からの本音が見えてくるので、
ぜひお読みいただき、家族で話し合ってみるといいと思う。
「モンスターペアレント」というような、
保護者を一括りにするような風潮は、
決していい結果を生まない。
上記は町HPの中、会議録が収録されているページ。
6月定例会の会議録に私の最後の議案審議や一般質問に対して、
教育委員各位のコメントが残されている。
常々思っていた事だが、
もちろん終わってからの検証も大事だが、
議案や一般質問は、特に教育委員会に対しての場合、
私なんか教育委員会事務局に質問したいのではなく、
5人のボードとしての狭義の教育委員会に対して、
質問したい。
そしてきちっと協議してほしい。
それなのに、答弁書は事務局が書いてしまう傾向があるように感じる。
定例会で報告として終わらせるのではなく、
始まりの通告書を提出するあたりから議論をしてほしい。
教育委員会不要論が出て来るのはこうしたことも背景にあるのではないか。
そもそも教育委員は現場と触れ合うことが非常に少ない。
教職員も保護者も児童生徒も教育委員に本音をぶつける機会などない。
だれかの監視のもとでの会議しか設定されていないから。
なんのための教育委員会なのか。
それは子どもたちのための教育委員会でなくてはならない。
質問する議席は失っても、
質問できなくなったとは考えていないのであしからず。
教育委員会改革は、国にまかせるものではなく、
基礎自治体で考えるべきものであると私は思う。
まずは、わがまちの教育委員がどのような考えを持っているかを知ることが必要だ。
この6月定例会会議録には、
中学校の昼食の考え方について、各委員からの本音が見えてくるので、
ぜひお読みいただき、家族で話し合ってみるといいと思う。
「モンスターペアレント」というような、
保護者を一括りにするような風潮は、
決していい結果を生まない。
以前に住んでいた場所でもそうだったように覚えているのですが、あれはどうなのか?っとかこれはどうなってる?っとか聴くだけで特に解決策や方向性が出されるわけでもない・・・
もう少し教育委員会がイニシアチブをとって教育行政を進めてもいいように思います。
そのためにはもっと人を増やしてもいいでしょうし、いろいろなところから人を呼んでもいいでしょうし。
大磯町なんて"人"しか資源が無いわけですから教育ってもっと大事に考えたほうがよいんじゃないんですかね。
わたしが子持ちだからそう思うのかもしれませんけれども・・・
教育委員は定数も決まっているし、非常勤だし、報酬も少ないし、根本から変えていく必要があるのかもしれません。(ここは法の縛りがあるので地方分権をぜひ進めてほしい)
おかしなことのひとつに、当初予算案の審議。
数年前に、なんと「議会に説明前ですから、教育委員には金額をお示しできません」と定例会で事務局が言ったときには、たまげました。
なんで金額がわからずに予算案了承できるのでしょうか。
そういうおかしなところをおかしいと言えるレイマン(素人)コントロールを機能させるのが、本来の姿のはずだと思うのですが。