病気で、長年「見舞われる立ち場」、「面倒を診てもらう立場」、で生きていると、
その人が、本心から 「やりたいのか?」
「やりたくないのか?」
何となく雰囲気で本心を感じるものがあるのです。
そして、その感覚は、大体当たっているのです!
多分それは、
以前、営業や渉外の仕事をしていた時にも鍛えられ。。。。。。
もっと遡れば、
幼少期に虐待されて、親から嫌われていた時に一番敏感に働いていたのかも知れません。
営業や渉外の仕事では、見込みのない客に時間を費やす事が一番無駄です。
相手が興味を持っているのか、いないのか?
私の事を好きなのか、嫌いなのか?
条件次第では、脈があるのか、無いのか?
そう言う事が感じられなくては、話が進みません。 駄目な営業マンは、客と交渉しているだけで仕事をしているつもりになって、逆に話を伸ばしたりします。
幼少期の虐待されている子供が親の反応を敏感に察知するのは、言わずもがなです。
子供にとって、家庭内の関係、とりわけ親子関係が人間関係の殆ど全てですから、生きるために必死になって親の気持ちを探るのです。
そして、その感覚は、それ以降の人生で廻りの全ての人に向けられるのですから、、、、
それは、それは、私は鍛えられて来たのです!
その感覚は、今も、廻りの人に向けられます。
医師、看護師、看護助手さん、事務員さん、全てに向けられ、私の評価が下されています。
評価は、後から答え合わせとなるのですが、
それ程大きなズレは、無い様に感じます。
問題は、それを、相手にぶつけてしまう事なのです。
正しかろうが、良いアドバイスだろうが、言われた相手は、気分を害します。
関係性は悪くなり、時には恨みも買います。
何も良い事が無いのに、やってしまうのですから、悪い癖です。
(こう言う行為は、自分の正義感を示したいからと言う説もあります。)
関係のない人々が、それぞれ自分の意思で行動し、生きているのです。
それで、廻っているのに、外野である私がとやかく言う事ではないのです。
これからは、私の人を見る目が正しのか確認する程度にして、直接相手にぶつけるのは、無しにしましょう。
大きな課題です。