ここの所、
肺炎や、貧血など色々あったが、わざわざ心配のネタを連絡する事もないので、
(本当に心配してくれる人には、悪い報告はし辛いものだと最近感じさせられます。家族に対しては、全く無かった感覚です。)
心配してくれる親戚のみなさんに連絡を入れずに暫く経ってしまったのでした。
昨日、一昨日、母方の叔父さん、叔母さんには何件か連絡して、近況報告、世間話などをしました。
今日は、こちらから連絡しなかったので、別な叔母さんから逆に電話をもらってしまいました。
一番事情を知っていて、一番配慮をしてくれます。
親との確執を知っているので、「親孝行とまでは行かなくても少しは親を大切にしなさい。」などと、軽い強要をする事さえしません。
ただ、ひたすら、
「今まで何年も一人で頑張って来て偉いね。」
「大丈夫だよ、あなたは強いから、また、新しいやり方を編み出していくから。」
長年、十分な、十分過ぎる支援を頂いているにも関わらず、
「何もしてあげられなくてごめんね。何かして欲しい事があったらいつでも遠慮なく言って頂戴。」
と、言われて、恐縮するばかりです。
手厚い支援があったから生きて来られたのですし、
いつも、心配してくれている安心感から心穏やかに入院生活を送れているのです。
話をすると、有り難くて、有り難くて、
前向きな、感謝の精神状態にしてもらえて、また、ここで一つ救われるのでした。
一体、私は、どれだけ大きな支援を受けられるのでしょうか。
母親が急に涙声で、叔母の所に電話をかけて来たりするそうですが、
叔母さんは、特に大騒ぎしません。。
話のついでに出す程度です。
毒親ですから、、変わった人ですから、、廻りの同情が欲しくて大袈裟な事をやったりするのが常です、叔母さんは、解っていて、特に取り立てないのです。
これが、物の本質が見えない人だと。。。。
「お母さんは悩んでるよ、反省してるよ。何でもっと優しい出来ないの? 親不孝ばかりしてないで、たまには電話位してあげなさい。」等と言って来るのでしょうから、、、、困りものですが。
本当に、全てお見通しの叔母さんで助かります。
しかし、当たり前ですが、未だに病気は治っていない様です。毒親ですから、治らないのですが、これでは付き合えるはずがないのです。
(しかし、叔母さんの凄い所は、それ程酷い毒親の私の母親とも何も無い様に付き合いが出来る所です。)
今は、もう、どうでもよくなりかけている過去の事ですが、この快復も、叔母さんの長きに渡る細やかな配慮があったからここまで来れたのです。
今にして思えば、初めから筋書きがあったかのような経緯をたどってます。
自分の身を滅ぼすのではないかという位に親を憎んで、恨んでました。
それが、病気を繰り返し、病気の本質を学ぶ機会に恵まれ、何と馬鹿な事をしていたのかと気付き。。次第に心が変わって来たのです。
サポートしてくれる、温かい廻りの人がいて、何とか快復の道を歩み初めたのでした。
色々経緯出来て、多くの多彩な人間と関わりを持たせて頂きながら、私の人生は、順調に進んでいます。