唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

「何となく」が、実は当たっている事が多い様な。

2021-02-09 16:53:11 | 思う事

病気で、長年「見舞われる立ち場」、「面倒を診てもらう立場」、で生きていると、

 その人が、本心から 「やりたいのか?」 
     「やりたくないのか?」 

何となく雰囲気で本心を感じるものがあるのです。

そして、その感覚は、大体当たっているのです!


多分それは、
 以前、営業や渉外の仕事をしていた時にも鍛えられ。。。。。。

もっと遡れば、
 幼少期に虐待されて、親から嫌われていた時に一番敏感に働いていたのかも知れません。


営業や渉外の仕事では、見込みのない客に時間を費やす事が一番無駄です。
 相手が興味を持っているのか、いないのか?
 私の事を好きなのか、嫌いなのか?
 条件次第では、脈があるのか、無いのか?
そう言う事が感じられなくては、話が進みません。 駄目な営業マンは、客と交渉しているだけで仕事をしているつもりになって、逆に話を伸ばしたりします。


幼少期の虐待されている子供が親の反応を敏感に察知するのは、言わずもがなです。
 子供にとって、家庭内の関係、とりわけ親子関係が人間関係の殆ど全てですから、生きるために必死になって親の気持ちを探るのです。

そして、その感覚は、それ以降の人生で廻りの全ての人に向けられるのですから、、、、

 それは、それは、私は鍛えられて来たのです!

その感覚は、今も、廻りの人に向けられます。

医師、看護師、看護助手さん、事務員さん、全てに向けられ、私の評価が下されています。

評価は、後から答え合わせとなるのですが、
それ程大きなズレは、無い様に感じます。

問題は、それを、相手にぶつけてしまう事なのです。
正しかろうが、良いアドバイスだろうが、言われた相手は、気分を害します。
関係性は悪くなり、時には恨みも買います。

 何も良い事が無いのに、やってしまうのですから、悪い癖です。
(こう言う行為は、自分の正義感を示したいからと言う説もあります。)

関係のない人々が、それぞれ自分の意思で行動し、生きているのです。
それで、廻っているのに、外野である私がとやかく言う事ではないのです。

これからは、私の人を見る目が正しのか確認する程度にして、直接相手にぶつけるのは、無しにしましょう。


 大きな課題です。