唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

虐待。

2017-01-12 20:56:34 | インポート

 虐待がテーマのTVドラマ。
 
 俺と同じレベルか? 
  俺の母親はタバコを吸わないからタバコの火を押し付けられた事はない。
  ドラマのように、働くまで同居で初任給をむしりとられる事もなかった。 

棒で殴られるのは同じ、 ただ、俺の場合は真冬でも裸にされて、4歳から小学校高学年までほぼ毎日続いたから、継続的に、長期的という所で俺の勝か。 
 家はそれ程貧乏でなかったから、兄にだけ与えて自分に与えられない事のダメージも俺の方が大きかったかな?
 
 
あの程度の事は当時も今もなんとも思わない。 虐待は悲惨なものだと十分理解している、、だからそういうものだろうという感じ。
 
 当時は親子関係とはそういうものだと思っていた。 
 そして、今はもう親への憎しみも怒りもそれほど感じない。 あきらめたから、どうでもよくなっている。
  ただただ、 関わり合いたくないだけだ。 キチガイ。 鬼畜。 悪魔、そういう事である。



 ただ、日常で、こちらの事が理解されない事で急に怒りが込みあげてくる事がしばしばある。


 まあ、感じ方は人それぞれだし、処理の仕方も個人で違う。 
 受け手側の問題もあるし、憎しみを募らせる深さも人それぞれだから、一概にどれが酷いとか惨いとか言うことでは無い。
  起こってしまった過去は仕方が無いから、自分で上手に生きていくしか手立てはない。
 

 しかし、これのどこが文科省選定?なのか。  

 虐待は愛情の現われなどと本気で思っているのか? 

愛情から暴力をふるう事は絶対にない。
 継続的にされるなどありえない。  全ては子供憎し、という感情からだと断言できる。
  
 こいつらの幼少時に現れて、散々虐待してあげないと何も感じられないらしい。
 
 いじめで自殺する人間がいるのに、数年前までいじめの報告が全くなかった、それをよしとしていた文科省らしいところである。 アホが税金でのうのうと。。。
  

  何が言いたいのか全く解らないドラマだった。  
 




 


 
 
  
 


 





信用は 命賭け。

2017-01-11 16:56:37 | インポート

 信用を得る為に頑張るとか、信用を得る事を動機だと意識する事はなかったが、
    人生最大の武器は 信用だと 自然と悟っていた。
 
 今思えば、幼少時に信用されなくて、それが心にこびりついての事だったのだろうが。
   信用されたくて信用されたくて仕方がなかったのだろう。
 
 そういう意識を持ちながらの人生で、 
  自分の中で少しづつ育っていった 信用力は いつしか大きくなってくれていて自分を救ってくれるようになっていた。
 
 心細くて、どうしようもなく、信用されたくて命がけだったのだろう。
 信用されなければ生きていけない、命を懸けても自分の信用を勝ち取る。 自然とそういう意識が芽生えていたのだろう。 
 

  幸いな事にそういう生き方が理解されて、こちらが驚くほど自分に良くしてる、信用される人生もあったのか、、などと思う。

 命がけの信用。
 幼い時の心細さとは物凄い力を持つものだ。 しかし、その本質は無理以外の何者でもないのだろう。 無理は心身を蝕む。 自由でないから。 


詐欺師のTVドラマを見ながらそんな事を思った。

  実生活で、
 こちらがそういう意識で生きているから、 周りの、軽い表面的な付き合いが透けて見える。
こいつは本気か?、 こいつは表面的か?

  透けて見え、それが、許せないから腹が立つとか、嫌いになるとか。。。。。。。色々と出てくる。
他人のことなどどうでもいいのに、
 人それぞれ本気の意味も違うし、 求める付き合い方の深さも違う。

 
 一方で、そんなに重たく考えず、軽い気持ちで私の人生を支えてくれるほどの施しをしてくれる人もいる。
 自分事のように、家族とおなじように気にしてくれるひとがいる。
 
  そういう人は、命がけとか、人生が、、とか、どれだけお世話をしてあげたとか、、、、そういう事は考えない。
「やりたいからやっているの、、気にしないでね。」 とか、
「何もできなくてごめんね。」  出てくるのはそういう言葉。 
 

 自由なのだ。、 縛られての行為は長くは持たないから。
 

   それを長く持たせて来たから破綻する。
  
 

  


新年。

2017-01-02 20:13:48 | インポート

 半年前には、

  気がつけば酸素の量が減っていて、実は退院からの長期で考えれば順調に回復していてよかったと記した。
 そして、年末までの半年の目標が 在宅酸素から開放される事。 だったのだが。。。。。

一転、逆に腹の具合が悪化して最悪の年明けを迎えた。
 
 酸素の量が減ったのは、体が慣れただけで、慣れには限界があるということ。 数値も回復したわけではなく 辛くなくなったと言うだけの話。
 激しい下痢が止まらず、食事を変えても、減らしても、食べない選択をしても。。。どうにも、なんとも、コントロール不能状態となってしまった。 体重は今日の朝食後で 60.8kg。 約1ヶ月で9キロ減。
  気になるのは、以前はこれほど体重が減らなかったという事。 そして痛みが酷いという事。 何かが変わっているような。。。嫌な予感。

 元々食養を心がけていたから それ程悪いものは体に入れていない。 そうすると、

 食事が原因ではないのかな。 食事が原因でなければ、食養に期待しても的外れというものだ。
 逆に、栄養失調から来る下痢なのか。
 胃腸が運動不足で弱っていて動かないのか。
 食養が効いて来て、好転反応なのか。
 ステロイドを抜いて1年半、未だにリンバウンドが続いているのか。
 胃腸に繋がる神経系がおかしくなってるのか。
 腸内の細菌が弱り果てているのか。
 酸素不足で胃腸が参っているのか。

などと、色々と考えるが答えは出ない。 

 もはや 新年の目標など立てる意欲も失せて、しばらく静観するのが一番いいと 自分に言い聞かせる。
 
 
過去、一瞬にして戻った例は、
1.冬場に南国へ旅行に行ったら、2日目に急にまともな便がでてびっくりした。
2.炎天下、1時間走って汗だらだら、シャワー、その後餃子をあてにビールをたらふく飲んだら次の日は、、あらびっくり全く出ない。
  不安で何度もトイレに行くが、全く気配なくそのまま一度は正常に戻った。
3.全く外食も肉食もしていない時期、外出で仕方なく牛丼を食べたら、次の日だけはしっかり便に戻っていた。

  などで、明らかに食事とは関係なし。
食養もいいのだが、原因でなければ効果なしというのが当たり前だ。

 自律神経の問題か?
 
 今は外国へ行けない。 走れない。 でも、大きな気分転換が鍵。。 脳をだます。
  
    でも、俺の脳は猜疑心が強くて中々騙されない。 日常にも慣れてしまっている。