信用を得る為に頑張るとか、信用を得る事を動機だと意識する事はなかったが、
人生最大の武器は 信用だと 自然と悟っていた。
今思えば、幼少時に信用されなくて、それが心にこびりついての事だったのだろうが。
信用されたくて信用されたくて仕方がなかったのだろう。
そういう意識を持ちながらの人生で、
自分の中で少しづつ育っていった 信用力は いつしか大きくなってくれていて自分を救ってくれるようになっていた。
心細くて、どうしようもなく、信用されたくて命がけだったのだろう。
信用されなければ生きていけない、命を懸けても自分の信用を勝ち取る。 自然とそういう意識が芽生えていたのだろう。
幸いな事にそういう生き方が理解されて、こちらが驚くほど自分に良くしてる、信用される人生もあったのか、、などと思う。
命がけの信用。
幼い時の心細さとは物凄い力を持つものだ。 しかし、その本質は無理以外の何者でもないのだろう。 無理は心身を蝕む。 自由でないから。
詐欺師のTVドラマを見ながらそんな事を思った。
実生活で、
こちらがそういう意識で生きているから、 周りの、軽い表面的な付き合いが透けて見える。
こいつは本気か?、 こいつは表面的か?
透けて見え、それが、許せないから腹が立つとか、嫌いになるとか。。。。。。。色々と出てくる。
他人のことなどどうでもいいのに、
人それぞれ本気の意味も違うし、 求める付き合い方の深さも違う。
一方で、そんなに重たく考えず、軽い気持ちで私の人生を支えてくれるほどの施しをしてくれる人もいる。
自分事のように、家族とおなじように気にしてくれるひとがいる。
そういう人は、命がけとか、人生が、、とか、どれだけお世話をしてあげたとか、、、、そういう事は考えない。
「やりたいからやっているの、、気にしないでね。」 とか、
「何もできなくてごめんね。」 出てくるのはそういう言葉。
自由なのだ。、 縛られての行為は長くは持たないから。
それを長く持たせて来たから破綻する。