長岡花火を見に行ったのは、26年前。 初めて見て、あまりのスケールのでかさに軽いカルチャーショックを受けたのを覚えている。
新潟支店で社会人としてのスタートを切り、2年目の夏、
突然、支店長に「長岡の花火を見に行こう」と、言われて、新幹線で新潟から長岡までいく事になった。
面子は、総務の先輩女性社員と同期の女の子二人。 なぜ、そういう不自然な面子なのか全く理解が出来なかった。 他の女子社員はうらやましいな、とか、いいな、と言っていた。
席も決まっていない川原に腰をおろし、上を見上げながら見る花火は想像以上にすばらしく言葉では言い表せないくらいの感動を覚えた。 間隔の長い間延びした花火大会しかしらない田舎者の自分は、視界に入りきらない花火など見た事なかった。
川原一面が光で照らされる風景は、ベトナム戦争映画を髣髴させるような、リアルな臨場感を味あわせてくれて、なんとも心に響くものがあった。 今思えば、空襲の追悼の意もあるというからそういうものを自然に感じていたのかも知れない。
思いがけずに花火に強い感動を覚え、余韻の残るまま焼肉を食べて、ビールを飲んで帰ってきた。
業後に新幹線で花火を見に行くという今までにない経験をさせて頂き、社会人の遊びのスケール感の違いにも軽いショックをうけた。
しかし、本当のショックは数日後にやってきた。
なんと、いきなり転勤の辞令が出たのだ。
入行1年4ヶ月。 同期でもまだうわさも聞いたことがない転勤に自分がなったのである。
銀行の転勤は事前の内示などは無く、辞令が来て、はんこを押して、10日後には引継ぎをすませて次の部署に出勤する。
いきなり、新潟を10日後には出る事になったのだから驚いた。
そして、当然支店長は移動の事をしている。
長岡花火は、 長年住み慣れた新潟を離れる自分への支店長からのプレゼントだったのだ。
あの一日は自分の人生にとって重要な一日となった。 今でも思い出すと当時の支店長には感謝します。
転勤が決まると、送別会が入ってくる。 自分の場合は新入生としては異例で、連日連夜 空きはすべて埋まって、転勤当日まで土日を含めて空いた日が無かった。 引越しは全部業者に詰めてもらった。
そんな中、支店長が辞令の後に一番先に予定を抑えてくれて、一日さしで飲むことになっていた。
そこで、言われたのは、どうせ判る事だからとの前置きの後、
「東京に転勤を出したかったけど、新入生を受け入れてくれる支店などない。 でも今回は、前任者が逃亡して行方知れずになっているので補充の話があって受け入れてくれる事になったのだ。 ものすごく大変な思いをすると思うけど乗り切ればそれだけ成長するし、そうできると思うから出すので、がんばれ。」 というもの。
その後、支店長社宅へ呼ばれて仕事の話をされた。
(具体的で細かい指導を受けたが、残念ながらこちらは事の重大さがわかっていないので上の空だった。)
ここまでは、いい話なのだが、、、、1年4ヶ月で次の支店に配属されれれば、どれだけ悲惨な事がまっているのか今は想像がつくが当時は全く危機意識が無かった。 社会人として自覚がなく、甘かったのだ。
そんなアマちゃんに、とんでもない 人生最大といってもいい位のピンチがやってくることなど想像も出来なかった。