織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(41)裏燧林道 「段吉新道」

2011年07月24日 | 尾瀬




 尾瀬紀行(41)裏燧林道 「段吉新道」   、




兎田代


顔を覗かせた兎田代付近の湿地


風景も無色の立ち木に白一色の地面で、モノトーンの世界がズーと続いている。
山(燧ケ岳)を下りるときもスキーのグループを数パーティ目撃したが、登山者らしき人にはお目にかかっていない。 

変化のない、彩のない尾瀬は、普通のその辺の雪山、野山と同じく余り注目をされない、興味を示さない自然なのであろうか・・?。
まして裏燧は、尾瀬の花香るゴールデンシーズンであっても、比較的訪れる人は少ないコースなのである。 
自問自答し、自分自身を納得させながら、歩を淡々と進める。


シボ沢(渋沢)のもう一つの大きな沢を渡り、更に、いくつかの小さな沢を渡る。
ブナの木など広葉樹林の原生林の中を進む中、やがてぽっかりと森が開けて「兎田代」という小さな湿原に到着した。
今は猫の額ほどの小さな雪の原(湿原)であるが、陰鬱な樹林帯の中を彷徨するように歩いてた身としては、たとえ小さくとも明るい青天井の原を伺うとホッとする。


一息入れて、やや急な斜面を登ると間もなくして燧裏林道分岐に達した。 
分岐の左方向は段吉新道が伸び、赤田代、尾瀬ヶ原に続いている。
御池からここまで2時間少々のウォーキングである。

段吉新道は只見川の三条の滝や平滑の滝の名所を通らず、燧ヶ岳西麓、山裾を通りを直接、赤田代から尾瀬ヶ原に至るコースで、ブナ林を横切るように延びるほぼ平坦な歩きやすい道という。 


新道の由来は・・・?  
古く、赤田代に温泉小屋(1932年;昭和7年)が開設された当時は、御池や湯之谷村から赤田代、尾瀬ヶ原に至るためには、アップダウンの激しい急峻な岩場である三条ノ滝分岐や平滑ノ滝付近の道を行き来するしかなかった。

温泉小屋の初代で平野長蔵氏の甥・「星段吉」氏が、もっと安全で歩きやすい道を作ろうと思い立ち、長男と共に測量や整備を行いながら、約3カ月間の大変な苦労の末、1937年(昭和12年)9月に新道を開通させたという。

新道はハシゴやクサリ場のある滝コースを迂回するコースとして拓いた道で、起伏の少ない「段吉新道」と呼ばれ、特に、急ぎの場合や足に自信の無い方におすすめであろう。


次のすぐ隣には、三条の滝や平滑の滝へのコースと渋沢温泉小屋へ通じる分岐点にきた。
ここを過ぎると程なく三条の滝の大下りが始まった。 

分岐から三条ノ滝へは急坂な山道をジグザグに下る。 
尾瀬の雪解け水が集中して流れ落ちる只見川のⅤ峡谷の山道を下る。
これはもう転げ落ちるしかないくらい急である。 
1.2キロとあったが、100メートル進むのにも苦労する。

しかも、通常は滑りやすい歩きにくい急坂であろうが、積雪があってボコボコと不規則な階段状の急坂は、雪道のお陰で・・?、今は逆にアイゼンがしっかり利いて安心である。

所々、足元付近には大きな岩や大石が露出している。


次回、 「三条の滝




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