origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

磯田光一『思想としての東京』(講談社文芸文庫)

2008-02-29 22:33:44 | Weblog
主に明治維新以降の「東京」を巡る評論。著者は文学作品と流行歌の歌詞をもとに、「東京」の実態とイメージがどのように変化してきたか、探っていく。
「東京=都会、地方=田舎」といった単純な二項対立ではなく、東京の中にも都会的なものと地方的なものがあると指摘。関東大震災前後に、都会的な西東京が次第に地方的な東東京の優位に立ち、東京が地方からの憧れを集める都会として成立していったと論じている。しかし日本の都会である東京は、世界的に見れば地方であるという二重性を持っていた。まるでレイモンド・ウィリアムスを先取りしたかのようで刺激的である。
著者は結論部分で日本の近代化がある意味失敗に終わったことを指摘している。明治維新以降の東京も近代的都市というよりかは古代シャーマニズムのようなものに包まれた都市だ、とまで大胆に言い放つ。近代化されていない日本においては、明治以降も日本の伝統的なものが存続した。その好例が文壇の党派性である。近代文学史を日本的な党派性をキータームに見なそうとする著者の発想は、伊藤整の論とは大いに異なっており、独自性を感じさせる。「近代主義」にも「反近代主義」にも属さず、その中間で明治以降の日本を見ていこうとするのが著者の立場である。
磯田は小林秀雄や山本七平と同じく、実証性を犠牲にしてインパクトのある論に持っていくタイプの批評家である。そこが多少古く感じられるが、しかし発想自体は今読んでも興味深い。柄谷は磯田光一を敬意を込めて「鈍い人だった」と述懐しているが、流行に乗れない「鈍い人」だからこそこのような斜に構えた独創的な著作を書けたのだろうな、と思う。

英語は論理的な言語であるのか

2008-02-29 21:49:14 | Weblog
「英語は論理的な言語であり、日本語は論理的でない言語である」という説がある。
「そうではない」とこの説に反対する人々もいる。
私はどちらかというとこの説には賛成である。「論理的」という概念時代がギリシアのロゴスに端を発した西洋的なものである。ヨーロッパの伝統の中では、哲学を始めとする学問は"logical"でなければならないとされ、多くの学者によってlogicalな文章が書かれてきた。一方、日本では「論理的」という概念そのものがヨーロッパに比べて希薄であった。例えばアウグスティヌスと親鸞を比較してみれば、前者がいかに論理的・「学術」的であり、後者がいかに散文的・感性的であるかがわかると思う。「ロゴス」を賞揚するような考え方がなかった日本においては、別に思想や宗教書は"logical"なものである必要がなかった。アンセルムスの「神の存在証明」のような、論理を突き詰めた末に超越者の存在が証明できる、などという発想もあまりない。むしろ強いのは、言葉なくして真実は伝わるという「不立文字」「以心伝心」の思想である。
このような背景を探ってみれば、"logic"を重んじるヨーロッパの言語である英語が、日本語に比べて、相対的に"logical"である、という論は大きく間違ってはいないと思う。ただ、言語は変化性のあるものであり、明治維新以降、日本語も英語・ドイツ語を取り入れて"logical"なものへと変化してきた。英語は日本語より"logical"であったし、今現在もそうであるとは思うが、しかし未来永劫に渡ってそうである、とは考えられないだろう。
そして言うまでもなく、「論理的なものが優れている」という考え方自体が別段、普遍的な真理ではない、ということに留意しなければならない。

塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』(新潮文庫)

2008-02-28 19:28:28 | Weblog
チェーザレは元々残酷な君主というイメージがあったが、ブルクハルトがボルジア家を批判的に描いて以降、そのイメージが更に強くなっていった。塩野は「単なる残虐な君主」としてのチェーザレではなく、「残虐でありつつも英雄的な魅力のある君主」としてのチェーザレを描く。
内容はさすがは塩野といったところで、まるで小説を読むような面白さで読み進めることができた。
時のローマ教皇アレクサンドル6世の私生児として生まれたボルジア。すぐに枢機卿へと出世していくが、私生児であるためにそれ以上出世することができなくなる。そのためチェーザレはキリスト教の聖職者としてではなく世俗的な君主として出世を志すようになった。チェーザレは、フランス王ルイ12世と親交を結び、教皇領を拡大し、初めて「イタリア統一」ということを目指した人物であった。
「イタリア統一」というチェーザレの夢は、父親の死後、敵対するジュリオ2世の謀略によって脆くも崩れ去ることとなる。イタリア統一がなされたのは、チェーザレの死から350年以上後の1861年、ヴィットリオ・エマヌエル2世のイタリア王国によってであった。

惣領冬実『チェーザレ 破壊の創造者』(KCデラックス)

2008-02-28 18:45:55 | Weblog
マンガはそれほどたくさんは読んでいないのだけど、最近読んだマンガの中では『チェーザレ』が抜群に面白かった。作者は少女マンガ畑の人らしいが、少女マンガが苦手な私でも面白く読むことができた。ちなみに4巻は政治学者の佐々木毅が解説を担当している。
15世紀末のイタリアを舞台に、イタリアの青年アンジェラを主人公に据え、彼が敬愛するチェーザレ・ボルジアの生涯を描いた作品である。父親である教皇アレクサンデル6世、画家のレオナルド・ダ・ヴィンチ、政治学者のマキャヴェリといった錚々たる歴史上の人物も登場する。
歴史学者がバックについているだけあってチェーザレ・ボルジアを巡るイタリアの歴史的な事実がかなり詳細に描かれているが、ボルジアの片腕のミゲロットがユダヤ人であったり、ボルジアがイスラム教に深い共感を示していたりと、作者独自のアレンジも楽しい。まさに虚実皮膜の傑作。
個人的に好きな場面は第2巻のダンテ『神曲』の話。地獄篇の第33歌においては、ピサの大司教ルッジェーリがウゴリーノ伯を陰謀にかけて殺害したという事実が言及されている。陰謀でウゴリーノを殺害したルッジェーリは地獄へと落とされているのだが、チェーザレはむしろルッジェーリをミラノに秩序をもたらした者として評価する。地獄篇の解釈を通して、権謀術数に長けたチェーザレの性格が明らかになる。この描写は実に見事だなと思った。
第2巻は「政治の天才」チェーザレと「芸術の天才」レオナルド・ダ・ヴィンチとの邂逅も描かれており、現在読むことのできる4巻の中でも最も面白い巻だった。
さて、チェーザレ・ボルジアと言えば、多くの人が『君主論』を想起するだろう。『君主論』第7章では、最近のイタリアの政治家の中ではフランチェスコ・スフォルツァとチェーザレ・ボルジアが理想的な政治家だと論じている。前者はしっかりと築かれた土台の上で才能を発揮した例であり、後者は苦難に喘ぎながらも類まれなる力量で才能を発揮した例である。特に「兵士に慕われると共に畏怖され」、「峻厳であると共に慈悲深い」チェーザレに対する賛辞は、マキャベリ自身のこの政治家に対する陶酔を示している。
最も政治的妥協のゆえにチェーザレが晩年ジュリオ2世を教皇へと推したことに対しては、マキャべリは批判的だったようだ。ボルジアは自らに危害を加えようとした教皇や枢機卿を認めるべきではなかったと苦言を呈している。
マキャベリの君主の理想像とチェーザレ・ボルジアには多くの共通点があったことは確かだが、人間の運命は神によって定められていると説くマキャベリとチェーザレの間には相違点もあるだろう。マキャベリがチェーザレの政治をどう解釈したのか、想像してみるのもまた楽しい。

李白と杜甫

2008-02-28 18:43:11 | Weblog
唐代の2大詩人。詩仙が李白であり、詩聖が杜甫である。高校の頃は杜甫がストイックで、李白が快楽主義者だと思っていた。だから、私はどちらかというと杜甫の方が肌に合うのかなと考えていた。しかし、大学生の頃、実際に読んでより面白かったのは李白である。
真面目に儒教的な人物だった杜甫と比べて、李白は世俗を越えた道家的な人物だったという。李白は思想的には陶淵明に近いところがある。隠者として生きることを好み、自然との一体化を望む。しかし、過度に禁欲的なことはなく、食事や酒を楽しむ。そのような彼らの人生観には心を惹かれるものがある。
李白に「江上吟」という詩がある。「仙人 待つ有り 黄鶴に乗り / 海客 心無く 白鴎に従う」詩人は、海に訪れる者のように、何も考えずに白鴎と遊ぶという。静かに暮らし、心をなくし、自然に染まる。これは『列子』からの引用だが、この一文を見ても李白が儒教よりも老荘思想に近いということがわかると思う。

森三樹三郎『老子・荘士』(講談社学術文庫)

2008-02-27 20:57:07 | Weblog
老子・荘子についての研究書。
老荘思想の研究、老子と荘子の伝記、書物としての『老子』『荘子』についての詳細なテキスト研究、老荘思想をもとにした道教の研究、老荘的な仏教の研究など、様々なパースペクティブの研究を含んだ書物である。
一気呵成に読むことは難しいので、じっくりと気楽に読んでいきたいと思う。老子と荘子のおおまかな違いについてだが、老子が政治的であったのに対して、荘子は宗教的で政治を超えた宇宙的な視野を持っていたという。老子は無為自然という思想を政治にも適用し、民を自然なままにしておく国こそが最も理想的な国だと論じている。老子は孔子的な仁義・道徳ではなく、自然を国家統治において重要なものとして考えた。一方で、荘子にはそのような政治的なヴィジョンというものはない。彼にあるのは、人間の認識や行いを全て相対化するような視点である。例えば、以下の文章は荘子の思想の魅力を端的に表現していると思う。
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無限の高さに達した大鵬の目からみれば、地上の人間の喜びや悲しみ、あるいは戦争と平和といったことでさえ、すべてその対立の意味を失い、青一色のうちに塗りつぶされてしまう。まさしく万物斉同の境地がそこにある。
(78)
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無差別・万物斉同というものはキリスト教の平等とは異なっている。そこには二項対立的なものはない。超越的な視点においては全ては同じであり、全てが肯定されるべきものである。人間と動物の差も存在しなくなってしまう。
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人間が天地のあいだに生きるのは、白馬が戸のすきまを走りすぎるのにも似て、つかのまのことにすぎない。
(85)
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無常。「生に死に冷たい目を投げかける。騎手よ、通り過ぎよ」と言ったイェイツは荘子から影響を受けているのだろうか。イェイツは一時期タオイズムに入れ込んでいたらしいし。
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自然は人為を排除するばかりではなく、神をも排除する。徹底した自然主義者、運命論者である荘子は、また同時に無神論者であった。
(89)
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荘子が重んじたのは自然と運命であり、人格的もしくは理性的な神ではなかった。最も天の運命に対しては信仰と呼べるほどのものを有していたらしく、厳密な意味での無神論と呼べるかどうかはわからない。少なくとも、荘子は唯物論的無神論とはかなり違う立場にある。
老壮思想は女性原理的だと言われることがある。二項対立を好まず、争いを好まず、論理にも拘泥せずに柔らかに剛を制する。アーシュラ・ル=グウィンも老壮思想を非ヨーロッパ的な女性原理として高く評価した。確かにこのような老荘思想は、ギリシア以来のヨーロッパの思想のオルタナティブとして新たに再評価されるべきものだと思う。
中国に仏教が土着化する際、老荘思想は大きな役割を果たしたと考えられる。中国的な仏教としては、以下の2つのものが挙げられる。
1老荘思想を通じて仏教を理解しようとするもの。
2仏教を輪廻の思想として受け入れるもの。仏教到来当時の中国には死後の世界という観念が薄く、寿命を延々と延ばす神仙説が流行していた。これまでの中国思想にはない死後の世界をもたらすものとして仏教を評価する。
1の方向では格義仏教と言われるものが4世紀に一時的に流行した。鳩摩羅什がこの格義仏教を克服した後には、禅や浄土といった老荘思想を通じた中国独自の仏教が登場し、人気を博すこととなる。禅や浄土の特徴としては、「不立文字」「以心伝心」がある。言葉というものは全てを伝えられるものではなく、本当に重要なものは言葉によって伝達することができないという、仏教本来が持っていた要素が、中国においては重要視されることとなった。著者は、これを中国人が(インド人と異なり)論理が苦手なためだ、と考えている。言葉による論理的な思考よりも、言葉にできない何ものかを重んじる。そこに禅や浄土といった中国仏教の特徴がある。
この不立文字の思想は荘子の思想にも通じる。
>>
荘子が言葉を否定するのは、ありのままの通路が、体験的直観のほかにないと信ずるからにほかならない。
(403)
<<
荘子にとって言葉とは不必要な二項対立を招いてしまう危険性のあるものだった。そして真理とはロゴス的なものではなく、ただ直感によって捉えられるものであった。

陶淵明

2008-02-27 20:11:25 | Weblog
4世紀東晋の陶淵明は荘子から影響を受けた詩人である。彼は山水を愛し、人生の無常を読み込んだ。
「人生は幻化に似たり、終に当に空無に帰すべし」
「人生は実に難し。死はこれを如何せんや」
「生あらば必ず死あり、早く終わるも命促きにあらず」
彼は李白と同じく、食事や酒を愛した。名誉や金に囚われず、人生の無常を意識し、自然を愛しながら、食事と酒を楽しむ。何ともまあ理想的な人生だなあと思う。

ジョルジュ・シムノン『メグレ間違う』(河出書房文庫)

2008-02-27 19:26:55 | Weblog
警察小説の金字塔であるメグレ警視シリーズの一作。
11月の寒い日、パリ17区のあるアパルトメントの一室で娼婦が殺害される。彼女の恋人が犯人だと疑われるが、メグレは娼婦に金を出していた医者やその妻らを捜査していく。
なかなか面白かった。24歳まで辛い生活を送り、ようやく豊かな生活が送れるようになったら、殺されてしまう。娼婦の人生は悲劇そのものであり、メグレは彼女の生に哀れみを覚える。はぐれ刑事純情派のようなプロット。もちろん、こちらが先だが。

谷川道雄『世界帝国の形成 新書東洋史2』(講談社現代新書)

2008-02-27 18:09:28 | Weblog
中国史の5巻構成のシリーズの中の2巻目である。
各巻の内容は
1~漢
2後漢~唐
3宋・元
4明・清
5中華民国~
となっている。
後漢によって古代世界が崩壊し、三国時代、五胡十六国、南北朝を経て、隋・唐という中世の世界的帝国に至るまでの中国の歴史を叙述した本。内藤湖南は五胡十六国から唐までを「中世」と区分しているらしいく、内藤の史学も言及されている。
三国~南北朝の時期は六朝文化が栄えたことでも有名である。六朝文化は『帰去来辞』で有名な詩人胸潜、詩人の謝霊運、画家の雇がい之、書道の王義之、王献之に代表される。宗教では仏教が流行し、北魏の冠謙之は道教を大成させた。また、隠者としての生活を送る「清談」が流行し、「竹林の七賢」を生み出した。後漢の時代から儒教的な生活に嫌気がさし、隠者となる人々が増えていったそうだが、この「清談」もその流れの中で捉えられるべきだろう。儒教を徹底的に批判した阮籍の思想は魅力的であり(「父だ母だのいっても所詮は性欲の産物さ」)、後に内外を問わず多くの追従者を出したというのもうなづける話である。「儒教からの自立」というのは南北朝期の特徴であり、これまでは『春秋』の解釈学に過ぎなかった史学が、儒教から独立することになったのもこの時代のことである。

炎立つ

2008-02-26 19:56:11 | Weblog
そういえば『琉球の風』の後に放映されていた『炎立つ』も面白かったな。当時の私は源義経が好きだった。
物語は、藤原経清を描く第一部、藤原清衡を描く第二部、秀衡・泰衡親子を描く第三部の3つにわかれる。義経好きだった私にとっては第三部が最も面白く、義経を匿った秀衡(渡瀬恒彦)の死後、泰衡(渡部謙)が義経を殺害し、その首を頼朝へと届けるシーンにはドキトキしながら楽しんだ。
通常、藤原泰衡は暗君として描かれることが多いのだが、このドラマでは奥州藤原氏のために戦略を練る人物として好意的に描かれている。
後白河院を演じているのは中尾彬。保元の乱で兵をかき集め、義経をかくまい、頼朝を討伐しようとしながらも結局は敗北した後白河院は、公家政治から武家政治への移行の時期を生きた重要人物である。しかし、義経を主人公としても頼朝を主人公としても、たいてい悪役に描かれるように思う(笑)。