老子・荘子についての研究書。
老荘思想の研究、老子と荘子の伝記、書物としての『老子』『荘子』についての詳細なテキスト研究、老荘思想をもとにした道教の研究、老荘的な仏教の研究など、様々なパースペクティブの研究を含んだ書物である。
一気呵成に読むことは難しいので、じっくりと気楽に読んでいきたいと思う。老子と荘子のおおまかな違いについてだが、老子が政治的であったのに対して、荘子は宗教的で政治を超えた宇宙的な視野を持っていたという。老子は無為自然という思想を政治にも適用し、民を自然なままにしておく国こそが最も理想的な国だと論じている。老子は孔子的な仁義・道徳ではなく、自然を国家統治において重要なものとして考えた。一方で、荘子にはそのような政治的なヴィジョンというものはない。彼にあるのは、人間の認識や行いを全て相対化するような視点である。例えば、以下の文章は荘子の思想の魅力を端的に表現していると思う。
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無限の高さに達した大鵬の目からみれば、地上の人間の喜びや悲しみ、あるいは戦争と平和といったことでさえ、すべてその対立の意味を失い、青一色のうちに塗りつぶされてしまう。まさしく万物斉同の境地がそこにある。
(78)
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無差別・万物斉同というものはキリスト教の平等とは異なっている。そこには二項対立的なものはない。超越的な視点においては全ては同じであり、全てが肯定されるべきものである。人間と動物の差も存在しなくなってしまう。
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人間が天地のあいだに生きるのは、白馬が戸のすきまを走りすぎるのにも似て、つかのまのことにすぎない。
(85)
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無常。「生に死に冷たい目を投げかける。騎手よ、通り過ぎよ」と言ったイェイツは荘子から影響を受けているのだろうか。イェイツは一時期タオイズムに入れ込んでいたらしいし。
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自然は人為を排除するばかりではなく、神をも排除する。徹底した自然主義者、運命論者である荘子は、また同時に無神論者であった。
(89)
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荘子が重んじたのは自然と運命であり、人格的もしくは理性的な神ではなかった。最も天の運命に対しては信仰と呼べるほどのものを有していたらしく、厳密な意味での無神論と呼べるかどうかはわからない。少なくとも、荘子は唯物論的無神論とはかなり違う立場にある。
老壮思想は女性原理的だと言われることがある。二項対立を好まず、争いを好まず、論理にも拘泥せずに柔らかに剛を制する。アーシュラ・ル=グウィンも老壮思想を非ヨーロッパ的な女性原理として高く評価した。確かにこのような老荘思想は、ギリシア以来のヨーロッパの思想のオルタナティブとして新たに再評価されるべきものだと思う。
中国に仏教が土着化する際、老荘思想は大きな役割を果たしたと考えられる。中国的な仏教としては、以下の2つのものが挙げられる。
1老荘思想を通じて仏教を理解しようとするもの。
2仏教を輪廻の思想として受け入れるもの。仏教到来当時の中国には死後の世界という観念が薄く、寿命を延々と延ばす神仙説が流行していた。これまでの中国思想にはない死後の世界をもたらすものとして仏教を評価する。
1の方向では格義仏教と言われるものが4世紀に一時的に流行した。鳩摩羅什がこの格義仏教を克服した後には、禅や浄土といった老荘思想を通じた中国独自の仏教が登場し、人気を博すこととなる。禅や浄土の特徴としては、「不立文字」「以心伝心」がある。言葉というものは全てを伝えられるものではなく、本当に重要なものは言葉によって伝達することができないという、仏教本来が持っていた要素が、中国においては重要視されることとなった。著者は、これを中国人が(インド人と異なり)論理が苦手なためだ、と考えている。言葉による論理的な思考よりも、言葉にできない何ものかを重んじる。そこに禅や浄土といった中国仏教の特徴がある。
この不立文字の思想は荘子の思想にも通じる。
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荘子が言葉を否定するのは、ありのままの通路が、体験的直観のほかにないと信ずるからにほかならない。
(403)
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荘子にとって言葉とは不必要な二項対立を招いてしまう危険性のあるものだった。そして真理とはロゴス的なものではなく、ただ直感によって捉えられるものであった。
老荘思想の研究、老子と荘子の伝記、書物としての『老子』『荘子』についての詳細なテキスト研究、老荘思想をもとにした道教の研究、老荘的な仏教の研究など、様々なパースペクティブの研究を含んだ書物である。
一気呵成に読むことは難しいので、じっくりと気楽に読んでいきたいと思う。老子と荘子のおおまかな違いについてだが、老子が政治的であったのに対して、荘子は宗教的で政治を超えた宇宙的な視野を持っていたという。老子は無為自然という思想を政治にも適用し、民を自然なままにしておく国こそが最も理想的な国だと論じている。老子は孔子的な仁義・道徳ではなく、自然を国家統治において重要なものとして考えた。一方で、荘子にはそのような政治的なヴィジョンというものはない。彼にあるのは、人間の認識や行いを全て相対化するような視点である。例えば、以下の文章は荘子の思想の魅力を端的に表現していると思う。
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無限の高さに達した大鵬の目からみれば、地上の人間の喜びや悲しみ、あるいは戦争と平和といったことでさえ、すべてその対立の意味を失い、青一色のうちに塗りつぶされてしまう。まさしく万物斉同の境地がそこにある。
(78)
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無差別・万物斉同というものはキリスト教の平等とは異なっている。そこには二項対立的なものはない。超越的な視点においては全ては同じであり、全てが肯定されるべきものである。人間と動物の差も存在しなくなってしまう。
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人間が天地のあいだに生きるのは、白馬が戸のすきまを走りすぎるのにも似て、つかのまのことにすぎない。
(85)
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無常。「生に死に冷たい目を投げかける。騎手よ、通り過ぎよ」と言ったイェイツは荘子から影響を受けているのだろうか。イェイツは一時期タオイズムに入れ込んでいたらしいし。
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自然は人為を排除するばかりではなく、神をも排除する。徹底した自然主義者、運命論者である荘子は、また同時に無神論者であった。
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荘子が重んじたのは自然と運命であり、人格的もしくは理性的な神ではなかった。最も天の運命に対しては信仰と呼べるほどのものを有していたらしく、厳密な意味での無神論と呼べるかどうかはわからない。少なくとも、荘子は唯物論的無神論とはかなり違う立場にある。
老壮思想は女性原理的だと言われることがある。二項対立を好まず、争いを好まず、論理にも拘泥せずに柔らかに剛を制する。アーシュラ・ル=グウィンも老壮思想を非ヨーロッパ的な女性原理として高く評価した。確かにこのような老荘思想は、ギリシア以来のヨーロッパの思想のオルタナティブとして新たに再評価されるべきものだと思う。
中国に仏教が土着化する際、老荘思想は大きな役割を果たしたと考えられる。中国的な仏教としては、以下の2つのものが挙げられる。
1老荘思想を通じて仏教を理解しようとするもの。
2仏教を輪廻の思想として受け入れるもの。仏教到来当時の中国には死後の世界という観念が薄く、寿命を延々と延ばす神仙説が流行していた。これまでの中国思想にはない死後の世界をもたらすものとして仏教を評価する。
1の方向では格義仏教と言われるものが4世紀に一時的に流行した。鳩摩羅什がこの格義仏教を克服した後には、禅や浄土といった老荘思想を通じた中国独自の仏教が登場し、人気を博すこととなる。禅や浄土の特徴としては、「不立文字」「以心伝心」がある。言葉というものは全てを伝えられるものではなく、本当に重要なものは言葉によって伝達することができないという、仏教本来が持っていた要素が、中国においては重要視されることとなった。著者は、これを中国人が(インド人と異なり)論理が苦手なためだ、と考えている。言葉による論理的な思考よりも、言葉にできない何ものかを重んじる。そこに禅や浄土といった中国仏教の特徴がある。
この不立文字の思想は荘子の思想にも通じる。
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荘子が言葉を否定するのは、ありのままの通路が、体験的直観のほかにないと信ずるからにほかならない。
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荘子にとって言葉とは不必要な二項対立を招いてしまう危険性のあるものだった。そして真理とはロゴス的なものではなく、ただ直感によって捉えられるものであった。