マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマン、アイリーン・アドラー、ビートルズ、ボブ・ディラン、現代音楽、ヌーヴェル・ヴァーグ、アメリカン・ニュー・シネマ、大島渚、ランボー、ディラン・トマス、田村隆一、吉本隆明、大江健三郎、ガロ、白土三平……。
東京教育大学付属駒場高校に進んだ著者が、1968年に出会った文化や魅力的な人物の数々を描き出す自伝的作品である。特に興味深かったのは、語り手と詩の出会いである。マイルスやゴダールは依然として文学青年にとって魅力的なものかもしれないが、現代詩はその影響力をこの40年の間で大幅に弱めてしまった。文学に興味を持つ青年の中でも吉増剛造や伊藤比呂美、小池昌代などを読むのはごく一部である。著者は今でもエズラ・パウンドの学会に出席しているらしいが、少年時代に出会った現代詩が、著者を比較文学研究の道へと進ませたのかもしれない。
本書には様々な嘘が含まれているとして批判された。確かにこの本はあまりにも自分の高校生活を美化しすぎているし、1968年という時代を美化しているようにも思える。しかし、それでもこの自伝がある種の感動を呼ぶのは、少年(少女)が文学・映画・音楽といった文化に出会ったときのみずみずしい感情を上手く描き出しているからだろう。ビートルズもランボーも、未だに少年の心に何か訴えかけるものがある。
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彼は書物と芸術に対する趣味においても、中学時代からすでに一家言をもっていた。自分はもしできることなら清代に著わされた『紅楼夢』の時代に生き、芝居見物のときを除いて死ぬまで美しい庭園のなかで、花鳥風月を愛でたり、可愛らしい従妹たちに囲まれていたいものだと、授業中に平然と公言していた。
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個人的には『紅楼夢』の生活はそこまで憧れないかもしれないが、美しい庭園の中で生きてみたいとは思う(特にイギリス庭園)。可愛らしい従妹ってのはよくわからないや。私の従妹は中学時代、クラス一の握力の持ち主だったけど……。