origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

歴史観の大雑把な分類

2008-02-06 21:09:09 | Weblog
単線的:ユダヤ・キリスト教、始皇帝以降の中国、アウグスティヌス(6段階)、ヨアキム(3段階)、コンドルセ(7段階)、ヘーゲル(3段階)
循環的:古代ギリシア、古代ケルト、ヴィーコ(4段階)、ニーチェ

田中仁彦『ケルト神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険』(中公新書)

2008-02-06 20:50:11 | Weblog
著者は仏文学者らしい。メインはケルト神話で、それの延長線上に中世騎士物語を置いている。
この本で紹介されている神話の中で私的に特に重要なのは、「聖ブランタンの航海」と「聖パトリックの煉獄」である。前者は、ジョイスがエッセイの中で賞賛し、後者はシェイマス・ヒーニーの長編詩「ステーション・アイランド」を生み出した。
聖ブランタンの航海は、ブランの航海、マルデューンの航海から発展してきた中世の神話である。ブランの航海は、乙女の幻影から啓示を受けた、王の息子が、アイルランドの西へと向かう航海の末に、「女人の国」へと辿り着く。この「女人の国」は女性だけによって構成される異界であり、ブランはそこで楽しい時を過ごす。一年経った後、ブランは故郷へと帰還するが、しかしそこにはブランを知っている者は誰もいなかった。異郷で1年過ごすうちに、何十年もの時間が過ぎてしまっていたのである。この浦島太郎的な、あるいはワシントン・アーヴィングの「リップ・ヴァン・ウィンクル」的な物語は、次第にキリスト教からの影響を受け、「メルデューンの航海」へと結実する。
この「メルデューンの航海」が、キリスト教的な「神の国」への航海へと変貌したのが「聖ブランタンの航海」である。この物語の中では最早「女人の国」などというものは存在せず、聖人ブランタンが神の救いを得るまでの過程が描かれるのである。民話のキリスト教化という点では『ベオウルフ』を思い出した。
「聖パトリックの煉獄」は、騎士オウエンが自らの罪を悔やみ、懺悔するためにがステーション・アイランドのロッホ・ダルクへと訪れ、この島から「煉獄」という異界に入っていくという話。「煉獄」は中世カトリックにおいて「天国」と「地獄」の中間にある場所とされここにいる者は後に、天国にも地獄にも行く可能性があるとされた。「煉獄」という概念はダンテの『神曲』でもお馴染みであるが、「聖パトリックの煉獄」という物語はダンテに影響を与えたと言われている。ヒーニーはこの「聖パトリックの煉獄」をテーマとすることで、ダンテまでもをケルト文化の伝統の中に吸収してしまうことに成功した。エリオットやジョイスにおけるダンテとは異なり、ヒーニーにおけるダンテとは、ヨーロッパ文学の源泉となる普遍的な詩人ではない。ヒーニーのダンテとは、トスカナ地方の方言を用いて、ケルト文化の影響を受けて詩を書いた、極めて地方的な詩人なのである。

『ベオウルフ』

2008-02-06 20:42:08 | Weblog
古英語詩『ベオウルフ』は元々キリスト教とは関連のないスカンディナビアの伝説が起源だと推測されている。古代ギリシア神話のヘラクレスやアキレウスの物語にも影響されている可能性が高い。
7世紀あたりにアングロ・サクソンの人々が、ベオウルフ伝説を英語詩として読み上げたと言われている。現存するような形となったのが11世紀。この11世紀になるまでに「主人公ベオウルフが民衆のためにグレンデルと戦い、殉教者のように死ぬ」というようなキリスト教的な物語構成になったという。
ベオウルフにはキリストの隠喩が込められているが、その「聖性」が怪物グレンデルをなぶり殺しにする残虐性と同居していることに気をつけたい。ヨーロッパのクリスチャンたちが、どのようにキリスト教を殺戮行為と懐柔させてきたか、その方法論が『ベオウルフ』には端的に込められていると思う。

読みかけのマンガ2

2008-02-06 20:26:27 | Weblog
自分用のメモ
『名探偵コナン』51巻まで
12歳の頃から長年ファンだったけれども、もういいや。後は、最終回付近だけ読めば。
『Q.E.D.』25巻くらいまで
推理マンガの中では一番、安心して楽しめる作品だと思う。ただ、商業的に考えた場合、『コナン』の方が数段上手いかなあとも思う。いかんせん1話完結式のマンガだからなあ…。
『金田一少年の事件簿』獄門塾殺人事件まで
「雪霊伝説」も読もうかな。
『NARUTO』5巻まで
まあまあ面白い。さすがジャンプ。
『チェーザレ』最新巻まで
今、一番期待しているマンガ。マキャベリやダ・ヴィンチの活躍にも期待したい。
『ヴィンランド・サガ』最新巻まで
ちょっとグロテスクな描写があるが、内容は面白い。キリスト教的なものと異教的なもののせめぎ合いもなかなか。
『ベルセルク』27巻まで
非常にグロテスクだが、世界観はしっかりしていると思う。中世の百年戦争時のイギリス(アルビオン)とフランス(ミッドランド)が舞台。20巻台になってから、若干内容がソフトになった気がする。
『げんしけん』5巻まで
うーん、微妙かもしれない。なんでこんなに評判良いのだろう……。

『十字架の夢』

2008-02-06 20:13:06 | Weblog
古英詩である『十字架の夢』は10世紀に成立したと考えられる頭韻の長編詩であり、キリスト教信仰を表現した古英語文学の中では『べオウルフ』に次いで有名である。
この詩の語り手は十字架の夢を見る。第1部では、語り手は夢の中でイエス・キリストの磔の場面を想像する。十字架はやがて勝利に立ち上がるが、語り手は生々しい風景に恐怖を感じる。第2部では、十字架が語り手に対して話しかける(!)。なぜイエス・キリストが磔になって死ななければならなかったのか、そして神の意志はどこにあるのか、語りかける。第3部では、語り手は自分のキリスト者としての使命を自覚し、キリストの教えを世に説いていこうと決心するようになる。
この長編詩は、アングロ・サクソン民族にあるアニミズム的な信仰とキリスト教信仰を融合させたものとして名高い。農民が元々持っていたような自然信仰は、キリスト教の教えとうまくハーモニーを奏でている。これは後世のラングランドの詩についても言えることだろう。『十字架の夢』『農夫ピアーズの夢』にしても、夢によるお告げを重要視している。そして、文字も読めないような貧しい語り手がキリスト者としての使命を与えられる。
中世のキリスト教は、哲学者だけが担っていたわけではない。『十字架の夢』や『農夫ピアーズの夢』に出てくるような貧しい人々が、アニミズムとうまく融合させながら、素朴なキリスト教信仰を持っていたということを忘れてはならないだろう。