origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

宮崎正勝『ザビエルの海―ポルトガル「海の帝国」と日本』(原書房)

2008-04-30 19:16:59 | Weblog
これまでの同著者の本に比べて、語り口が物語口調で柔らかく、読みやすかった。ロヨラとともにイエズス会を設立したフランシスコ・ザビエルの航海について書かれた歴史書である。
インドを始めとする東方へと旅立ったフランシスコ・ザビエル。その背後には太平洋を支配し「海の帝国」にならんとするポルトガル王ジョアン3世の思惑があった。ジョアン3世は、教皇パウルス3世の命に従い、異端尋問を行った人物でもある。ポルトガルを強大な国へと成長させようとした王の世俗的な欲望。カトリックの教えを世界中に広め人々を救おうとしたザビエルの崇高な意志。この相反するはずのものが合わさり、ザビエルの航海は始まった。
当時、ヨーロッパ~インドへと至る海には、イギリスやオランダの東インド会社の人々やスペイン・ポルトガルを始めとする商人たちが犇いていた。ザビエルの航海自体の大変さもさることながら、インドやマラッカでのザビエルの落胆は大きかったようである。そこではカトリック教徒である人々が娼婦を囲い堕落した生活を送っていたからだ。その落胆は、日本人への期待に繋がっていく。
ヨーロッパの商人たちが活動する海。明帝国の支配する海。この2つの海を旅してカトリックを伝えようとしたザビエルの姿を丹念に描き出した好著である。

高階秀爾『バロックの光と闇』(小学館)

2008-04-29 16:20:29 | Weblog
至極真っ当なバロック美術の入門書である。もともとバロックは「歪んだ真珠」を意味する言葉であり(パノフスキーの興味深い異説はあるが)、17・18世紀芸術への悪口とも言える言葉であった。美術史家ブルクハルトもその友人ニーチェも、バロックをルネサンスよりも低いものと見なした。バロックをルネサンスとは別の価値を持つ芸術のムーブメントだと規定したのは、ブルクハルトの後任としてバーゼル大の教授となったハインリッヒ・ウェルフリンである。ウェルフリンはルネサンスの均整の取れた芸術とバロックの過剰に美的な芸術を比較しつつも、その双方に別々の価値を与えた。以後、バロック芸術は再評価されることとなり、またモンテヴェルディ~ヘンデルに至る西洋音楽も美術のように「バロック」と呼ばれるようになった。
著者はバロック美術を、映画のような大衆への芸術的な宣伝の先駆と見なしている。宗教改革の「憂き目」に会い、自らの正当性を証明することを余儀なくされたカトリック教会はトレント公会議以降、芸術をも宣伝手段の一つとして見なし、反宗教改革運動を進めた。その意味では、バロック芸術とはイエズス会的な芸術なのである。アンドレア・ポッツォが描いた『聖イグナティウス・デ・ロヨラの栄光』は、イエズス会の創始者を讃えるものであり、バロック芸術の宗教的な面を上手く表現したものだと考えることができる。「感覚的なものを通して人びとを教化するバロック芸術のひとつの極致」(89)である。
バロック芸術の経済的な基盤となったのは、第一にイエズス会を始めとするカトリック教会であり、第二に富裕なパトロン層である。特にカトリック教会の勢力が弱かったオランダやイギリスでは、このパトロン層がバロックの芸術家たちを経済的に支えた。イギリスのウィリアム・ホガースらによる「カンバセーション・ピース」(家族の肖像)はパトロンの経済力を示すための絵画でもあったという。
本書はバロック以降のロココ芸術についても触れられている。ロココはその過剰さにおいてはバロック芸術の遺伝子を継承しているが、しかしより繊細で、洗練されているという。
以下、気になった作品。
ニコラ・プッサン「鹿児島で少女を蘇らせる聖フランシスコ・ザビエル」
タイトル通り。全く日本的でない情景の中で(日本に関する情報量も少なかったのだろう)、少女を蘇らせるザビエルの姿が描かれている。
ヤーコブ・ファン・ライスダール「ユダヤ人墓地」
メメント・モリの一つの表現形態。
ニコラ・サルヴィ「トレビの泉」
バロック芸術の中でも最も有名な建築物。

河合祥一郎『謎ときシェイクスピア』(新潮選書)

2008-04-28 20:14:46 | Weblog
ウィリアム・シェイクスピアという人物が存在したのはほぼ事実であろうと思われる。しかし学も教養もないはずのウィルがなぜあのような文学史に残る劇の数々を残せたのか。この疑問に答えるべくして、18世紀以降、様々な別人説が唱えられてきた。シェイクスピアではなく、別の人物が『ハムレット』や『マクベス』を書いたとする説である。
別人説の中で最も有名なのは、フランシス・ベーコン説であろう。高名な哲学者が実はシェイクスピアの演劇を書いていた、という説はミステリとしては刺激的ではあるが、ベーコンとシェイクスピアの間の文体的な共通点はあまりなく(生きた時代くらい)、実証性に乏しい。しかし、ホイットマンやラルフ・ウォルドー・エマーソン、数学者カントールなどはこのベーコン説を支持したという。
おそらく次に有名なのは、クリストファー・マーロウが実はシェイクスピアの劇を書いていたという奇説である。マーロウが死んだ年とシェイクスピアが劇作家として有名になった年は奇妙に符合する。このことから、若くして死んだマーロウが実は生きていて、シェイクスピアの劇を書いたという説が生まれた。これはベーコン説と比べても奇妙すぎる説ではあるが、さすがに無神論者のマーロウとシェイクスピアを一緒にするのは無理があるようと考えられる。
著者が推しているのが、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアが実は作者であったという説である。この説は別人説の中では最も説得力のあるものだという。エドワード・ド・ヴィアはエリザベス1世の臣下であり、親カトリックであったためにフィリップ・シドニーと対立した人物でもある。この説は名優オーソン・ウェルズが支持したことでも有名であり、またシェイクスピア学者でも支持する人がいるという。

SUMMER SONIC 08

2008-04-27 18:08:40 | Weblog
今年のサマーソニックに行くかもしれない。もし行くとしたら以下のバンドを聞いてみたい。
8月9日
THE VERVE
THE PRODIGY
SEX PISTOLS
PAUL WELLER
the pillows
8月10日
COLDPLAY
FATBOY SLIM
DEVO
THE JESUS AND MARY CHAIN
SUPER FURRY ANIMALS

シェイクスピアとカトリック

2008-04-27 17:39:00 | Weblog
作曲家トマス・タリス、ウィリアム・バード、劇作家ウィリアム・シェイクスピア。この3人には共通点がある。エリザベス朝時代のイギリスを生き、カトリックの信仰を持ちながらも、英国国教会に寄り添いながら生きたというところだ。
最も列記としたカトリック信者であったバードと、カトリック信者の息子でありつつも国教会の徒として生きたシェイクスピアでは事情は異なっている。幼い頃にカトリック教徒の迫害を目の当たりにし、父親ジョンも英国国教会の国教忌避者ブラックリストに掲載されていたというシェイクスピアは、外形的には英国国教徒であったし、カトリックの信仰を表ざたとすることはなかった。
シェイクスピアのカトリック的信仰を推測できる演劇の一つとして『マクベス』がある。この劇は、かの有名な火薬陰謀事件の直後に書かれた。カトリック教徒のガイ・フォークスが企てた爆破が未然に防がれ、フォークスが処刑されたという事件である。
『マクベス』のおどろおどろしい雰囲気は、カトリックの父を持つシェイクスピアが、火薬爆破事件に影響されていた証拠である、と見なす学説が存在する。また、『マクベス』の以下の台詞はイエズス会士ヘンリー・ガーネットの「多義性に関する論文」(A Treatise of Equivacation)の一部分と似ているという。
Faith, here's an equivocator, that could
Swear in both the scales against either scale;
Who committed treason enough for God's sake,
Yet could not equivocate to heaven
- Macbeth, Act 2 Scene 3
シェイクスピアの個人的信仰がどうだったかについてはほとんど証明はできないと思う。なにしろ、シェイクスピアの劇を書いた人物が、ウィリアム・シェイクスピアではなかったという学説が存在しているくらいなのだから(しかも有力説として)。ただ、カトリックの父親と友人を持つウィルが、ガイ・フォークスに対してある種のシンパシーを持っていたとしてもそれは不思議ではないと思う。

松平アナ

2008-04-26 13:49:53 | Weblog
「その時歴史が動いた」で『古事記』の話が放送されていた。最後の方だけ見たのでメモ。
『古事記』とは稗田阿礼が暗誦していた物語を太安万侶が書き言葉に移すことによって生じたものである。暗誦していた稗田ばかりに目がいきがちだが、漢文を和語の順番に置き換えてわかりやすく書き下した太安万侶も重要な存在である。『古事記』は長らく歴史から忘れ去られていたが、江戸時代に再評価され、明治時代には国民への教育において欠くことのできないものとなっていったという。最後に神社に行く日本人の姿が映し出されて、『古事記』は今でも日本人の心性と結びついている、といって番組が終わっていく。
何だかNHKにしては(公共放送だからこそ?)、ちょっとナショナリスティックな感じがしたのだが、まあ勉強になった。
『古事記』は8世紀に元明天皇の命によって編まれた書であり、天皇を中心とした国をつくっていこうという意志が物語には込められていた。この点で政府に属さない詩人がつくった『イリアス』や『オデュッセイア』とは性質を異にする。一方でウェルギリウスの『アエネイス』はオクタヴィアヌスの政治と結びついており、『古事記』と同程度にナショナリストに利用されやすい文学であると考えることはできる。最もローマ帝国は、早くに滅んでしまったが。

ブルーグラス

2008-04-22 20:12:45 | Weblog
ケンタッキー州の民謡から派生したカントリー・ミュージックである。ブルーグラスの奏者たちはバンジョー、マンドリン、フィドルといったケルト民族音楽系の楽器を好んで使用したという。
ブリティッシュ・インヴェージョン以降このような楽器はロック音楽においてはあまり使用されなくなるが、カントリー・ロック、サザン・ロックのアーティストはよくブルーグラスにも自らのルーツを求めた。
比較的近年には、REMがブルーグラスから影響を受け、"Losing My Religion"でフィドルを効果的に使用している。