origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

琉球の風

2008-02-26 19:48:06 | Weblog
http://www.youtube.com/watch?v=HfToYmoLfRU
小学生のときに好きだった大河ドラマ「琉球の風」のOP。珍しく歌付であり、谷村新司が歌っている。大河ドラマはたいてい主人公が死ぬところで最終回を迎えるのが定番だが、これは琉球王国が薩摩の島津藩に屈するところが最終回となる。島津藩の配下となった琉球の人々が最終回で希望に満ちた表情をしているのが印象的で、小学生の私は「おお、今回は前回の『信長』と違ってハッピーエンドだ」と喜んでいた。
最も、このラストはpolitically incorrectなところがあるのだが…。

中国とイエズス会

2008-02-26 18:39:03 | Weblog
中国にキリスト教が布教され始めたのは1601年である。その年に、イエズス会士であるマテオ・リッチが明の皇帝である万暦帝に閲覧し、居住を許された。マテオ・リッチは世界地図である『こんよ万国全図』を始めとした西洋文化を中国に持ち込み、それは鎖国化の日本にも影響を与えることとなる。上田秋成は世界地図を広げて言った。(本居宣長のように)日本の神々が世界をつくったなどとヨーロッパ人に言っても、信じないだろう、と。
マテオ・リッチの協力者として有名なのが、カトリック信者の学者である徐光啓であった。徐光啓は、ドイツ人のイエズス会士アダム・シャールとも協力し、中国暦を改宗している(「崇禎暦書」)。アダム・シャールは明の最末期に中国を訪れ、清朝に仕えた。
清代の1659年には、ベルギー人のイエズス会士フェルビーストが中国を訪れ、アダム・シャールを補佐した。彼は康熙帝治下の三藩の乱のときには大砲を鋳造し、清朝を助けている。康熙帝は晩年キリスト教を弾圧し、イエズス会以外の修道会士の出入りを禁止した。イエズス会だけを中国へと入らせたのは、彼らが儒教に寛容であり、また西洋の文化をもたらしてくれたからだという。イエズス会の布教が他の修道会に比べていかに巧みであったかを示すエピソードだが、雍正帝の時代になるとキリスト教の布教は完全に禁止されることとなった。

永井路子『きらめく中世 歴史家と語る』(有隣堂)

2008-02-26 18:06:29 | Weblog
歴史小説家の永井が、様々な研究者と鎌倉時代について対談したもの。なぜ彼女が『北条政子』を書くに至ったか、またなぜ北条泰時・時頼を主人公にした小説を書かなかったのか、などという背景を窺い知ることができて興味深い。
以下、簡単にメモ。
「源氏三代と東国武士団」
武士政権の巧みなところとして、あくまで武士を天皇や貴族の下の位置にあるものとして持ってきたということが指摘されている。保元・平治の乱以降、武士が権力を握ってもあくまでも天皇や貴族が(名目上)は上にいた。だからこそ、武士による政権は結局鎌倉から明治維新まで長く続いたし、ヨーロッパの騎士以上に、歴史の中核にいることができたという。
「北条氏の執権政治と鎌倉 -泰時・時頼を中心に」
2人の高名な執権について。永井は、律令制度は日本が白村江の戦いで負けたから、つくらざるを得なかったのではないかと考察している。泰時の御成敗式目は、初の武家の律令制度であり、江戸時代まで存続していくことなった。
永井は北条泰時をテーマに小説を書くと仮定した場合、彼があまりにも地味で、善人とも悪人とも描くことができないような人物なので難しいのではないか、と語っている。裏を返せば、頼朝や義経のようなアクの強さがないというところが、時頼の特徴なのだろう。
武家の独裁政権をしいた頼朝に比べて、北条の2人は共和制・民主制に近い政治制度をつくった。戦後民主主義の観点から、彼らを再評価する動きもあったという。
「文学作品にみる中世鎌倉ー戦記物語・紀行文・和歌」
将門記は将門の乱をテーマにした中世文学の傑作である。『平家物語』と『将門記』を比較したとき、前者は武士が勝利をあきらめ死ぬことに美学を見出したのに対して、後者は武士が最後まであきらめずに戦い抜くことをよしとしたという。
「中世の女たち」
北条政子は悪女でもなければ、受動的な女性でもなかった、と永井は考える。父親は頼朝の監視役であり、北条政子は頼朝と許されぬ恋に落ち、結局彼の心を奪うこととなったという。
永井は「妻としての女性」だけではなく「結婚しない女性」をも入れた上で、中世の女性を捉え直す必要があると提言している。例えば、尼寺は今で言う終身制の女子大学のような施設であり、ヨーロッパ中世のカトリック修道会のような存在だったのではないか、という。
「中世鎌倉の復元 -都市のイメージをさぐる」
民俗学の研究方法を用いることにより、鎌倉時代を研究しているという2人の学者(河野眞知郎・保立道久)との対談である。民俗学の方法を用いることによって、今までないがしろにされてきた中世の貧しき人々の生活が徐々に明らかにされてきたという。『吾妻鏡』が描き出すように、鎌倉は武士だけが闊歩するような都市ではなく、民衆で賑わった雑多な街であった。
鎌倉には少し縁があるので、円覚寺や淨智寺といったなじみのある寺に関する研究は気になるところだ。

13世紀の日本文学

2008-02-25 20:22:50 | Weblog
wikipediaから転載。
1205年『新古今和歌集』後鳥羽院勅令/ 藤原定家・源通具ら/ 勅撰和歌集
1212年『方丈記』鴨長明/ 随筆
1213年『金槐和歌集』源実朝/ 和歌
1216年以前 『保元物語』未詳/ 軍記物語
      『平治物語』未詳/ 軍記物語
      『平家物語』未詳/ 軍記物語
1237年以前『正法眼蔵随聞記』道元の弟子の懐奘(えじょう)/ 仏教
1242年以後『宇治拾遺物語』未詳/ 説話
1252年『十訓抄』六波羅二臈左衛門入道/ 説話
1279年頃『十六夜日記』阿仏尼/ 日記
14世紀・15世紀と比べても、13世紀は多くの後世に残る文学作品が書かれた時代だったのだなと思う。新古今から十六夜までの70年ちょっとの期間は、日本中世文学の最盛期といっても過言ではないだろう。
個人的には道元の弟子が書いた『正法眼蔵随聞記』が好きかな。儒教信仰と大乗仏教信仰を融合させようとした宗教的な傑作だと思う。まあ、儒教と仏教は決して融合し得ない思想だとは思うけれども。
なお戦記物語の系譜としては将門記→陸奥話記→保元物語→平治物語→平家物語→承久記→太平記

美川圭『院政 もうひとつの天皇制』(中公新書)

2008-02-25 18:40:34 | Weblog
平安時代の白河・鳥羽・後白河、鎌倉の後鳥羽天皇。彼らは天皇を退いた後も上皇・法皇として権威を振るった。院政の起源は後三条天皇に遡るという。『愚管抄』によれば、後三条天皇は、退位後も上皇として政治を行うのがよいと考えたが、退位翌年に急死してしまいそれが果たせなかったという。このような考え方は南北朝時代の『神皇正統記』や『読史余論』にも継承された。
それに対して歴史学者の和田英松氏は御三条天皇の退位には病気や災害と言った理由があり、彼自身は上皇として政治を行う気はなかったのではないかと論じている。戦後の和田氏は、白河を退け、実仁を即位させるために後三条天皇は退位したと論じている。この和田説による後三条院政否定論は、通説となることとなった。が、著者はこの説に疑問を感じているようだ。
本書は上皇誕生から院政の開始を経て、鎌倉後期の院政にまで触れられている。院政そのものは江戸時代になるまで存続したそうだが、平安時代こそが院政の影響力が最も大きかった時期であったということに留意したい。保元・平治の乱までは、あくまで天皇が中心に政治・戦争が行われた。平家が院政を弱め、その武家政権はやがてライバル源氏による鎌倉時代へと引き継がれていく。
『新古今和歌集』の編者であり、鎌倉時代に院政を敷いた後鳥羽上皇は、承久の乱を起し、幕府に刃向かった。その動きはやがて室町幕府成立へと繋がっていく。

宮崎正勝『ジパング伝説 コロンブスを誘った黄金の島』(中公新書)

2008-02-25 18:05:38 | Weblog
宮崎正勝と宮崎市定って一瞬親子かと思った。
著者は大航海時代の2つの原動力として、プレスター・ジョンの伝説と黄金の国ジパング伝説を挙げている。前者は中東がイスラムに支配されていた12世紀に広がり、キリスト教の王がヨーロッパの東に存在しているという伝説で、エンリケ航海王子がアフリカ西端へと到着するきっかけとなった。この伝説の大元となったのは、契丹族の耶律大石が西遼を建国したという事実であると言われ、イスラムをおびやかす契丹人の存在は、キリスト教の王が東方にいるという伝説をつくりだした。一方で、黄金の国ジパング伝説は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』によってもたらされ、コロンブスを航海へと促したものである。日本人にとってはジパング伝説はおなじみのものだと言っていいだろう。
アジアの第二次航海時代はこのジパング伝説と密接に関わっている。幼いときに辛苦をなめたコロンブスは、ジパング伝説を聞き、誰よりも始めに黄金の国を発見しようと考えた。彼は結局ジパングを発見できなかったものの、アメリカ大陸を発見することとなる。根はあるけれどもほとんど嘘の「伝説」が、強大な力で歴史を動かしたのだ。
ジパング伝説以前にも日本にまつわる伝説というものは存在していたという。それが「ワクワク」伝説である。「ワクワク」とは倭国が変化したものだと考えられる。ワクワクという黄金の国が東方に存在するという伝説は、藤原氏の中尊寺の金色堂が起源だと著者は推定しているが、この伝説はアジアの第1次航海時代を形成する力ともなったという。マルコ・ポーロが発見したジパング伝説は、海路で伝えられたワクワクと、シルクロードで伝えられたジパングの融合であったという。

宮崎市定『史記を語る』(岩波新書)

2008-02-23 17:29:32 | Weblog
『科挙』研究で高名な宮崎博士による著書。『史記』は儒教文化の中にいた司馬遷が、古代中国の社会を描いたものである。彼は孔子の歴史書である『春秋』とその解釈である『春秋公羊伝』から影響を受けている。公羊伝的な考え方によると、歴史家とは権力に阿ることなく、歴史を語り継いでいく責任を持った人々であるという。著者は春秋公羊伝の「歴史家」観を旧約聖書の預言者たちに比している。儒教者である司馬遷はこの考えに基づき、紀伝体を用いて歴史を書き残そうとしたのである。
よく知られているように、司馬遷の生涯は輝かしいものではなかった。武田泰淳の『李陵』で知られているように、司馬遷は李陵を擁護するために武帝に告訴を行い、結局、罰を受けて宦官にされてしまった。彼はそのような恵まれない状況の中で、自由人としての志を失わずに、後世の人々へ歴史を語りかけようとしたのだ、と著者は考察している。
著者の歴史観の興味深いところとして、古代中国を「都市文化」という観点から見直しておりところである。古代ギリシアのように、古代中国においては、人々が自由を重んじる都市文化が根付いていたという。そこには古代資本主義や古代官僚制も存在していた。著者は唐帝国を古代ローマ帝国と比べており、ヨーロッパの史学を大胆にも中国史に適用させている。この歴史観には様々な批判があったらしく、著者は「ヨーロッパ史学を専門とする研究者が、ヨーロッパについて私よりも知らない」などという苦言を呈している。
宮崎にしろ内藤湖南にしろ網野義彦にしろ、批判も多い「アクの強い」歴史学者である。「歴史的客観性」という問題はあるにしろ、彼らの著作を読み、その考えに触れること自体は素晴らしい読書体験とはなるだろう。

鹿野正直『日本の近代思想』(岩波新書)

2008-02-21 19:38:16 | Weblog
日本人が明治維新以降、近代の民主主義を摂取し、人々はその民主主義とともに思考してきた。
これは国家・人権・フェミニズム・沖縄・在日などのトピックごとに作家・活動家・思想家といった人々がどのように考えてきたかを叙述する本である。著者は左よりの人なのかな。
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ニッポン・イデオロギーの軸をなしたのは、国体の観念であった。それが制度と精神の根幹に据えられたのは、十九世紀末の大日本帝国憲法と教育勅語を指標とする。が、成立すると、浸透は速かった。日本独特の国柄との意味をこめた「国体」の二字は、忠誠度を測るリトマス試験紙として、国民の精神を方向づけ、縛る力をもった。その力は、十五年戦争期に極点に達する。
戸坂の右の文章は、そのような機運の台頭を警告している。
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「島国論」や「稲作一元論」や「単一国家論」は、「日本」を単位とする思考を身体になじませるための、強力なイデオロギー的支柱であった。その結果としてわたくしたちは、「日本」を前提としての「均質性」と「閉鎖性」を、ほとんど習性とするに至った。網野の作業は、他者に同化と排除を強いる精神のそんな深部を洗いだし、日本人がこれまでいかに通念に取り込まれていたかを自覚させずにはいない。
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網野は「海」は見方によっては交流の場である、と指摘している。日本が閉じられた島国だという論は、それ自体がイデオロギー性に満ちているという。
他にも井上ひさし、鎌田慧、内村鑑三、市川房枝、柳田国男といった人々の考え方が紹介されている。

高祖劉邦の正室と側室

2008-02-21 17:02:38 | Weblog
またグロい話となるのだが。
横山光輝の『項羽と劉邦』は、劉邦が四面楚歌状態となり、やがて虞姫とともに死に至るところで終わる。『三国志』の最後が蜀の滅亡ならば『項羽と劉邦』の最後は楚の滅亡である。ということで、楚漢戦争以後の漢については作中では描かれていない。
劉邦の正室は呂雉という女性である。彼女との間に生まれた子は後に恵帝となった。劉邦にはほかに側室として戚夫人がいた。彼女とは楚漢戦争時代に出会い、以後寵愛するところとなったという。
で、正室・呂雉が戚夫人に対してなした行為のことが班固の『漢書』に記されているというが、これが非常にえぐい。検索するとでてきますが、グロい話が苦手な人は検索しない方が良いかと思います。
↓の説明が丁寧。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1835209&tid=bdwc0ada4nbcg8a2bcta4ca4fa4ia4sa4jbfma4aca4a4a4dea49a1a9&sid=1835209&mid=688