origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

13世紀の日本文学

2008-02-25 20:22:50 | Weblog
wikipediaから転載。
1205年『新古今和歌集』後鳥羽院勅令/ 藤原定家・源通具ら/ 勅撰和歌集
1212年『方丈記』鴨長明/ 随筆
1213年『金槐和歌集』源実朝/ 和歌
1216年以前 『保元物語』未詳/ 軍記物語
      『平治物語』未詳/ 軍記物語
      『平家物語』未詳/ 軍記物語
1237年以前『正法眼蔵随聞記』道元の弟子の懐奘(えじょう)/ 仏教
1242年以後『宇治拾遺物語』未詳/ 説話
1252年『十訓抄』六波羅二臈左衛門入道/ 説話
1279年頃『十六夜日記』阿仏尼/ 日記
14世紀・15世紀と比べても、13世紀は多くの後世に残る文学作品が書かれた時代だったのだなと思う。新古今から十六夜までの70年ちょっとの期間は、日本中世文学の最盛期といっても過言ではないだろう。
個人的には道元の弟子が書いた『正法眼蔵随聞記』が好きかな。儒教信仰と大乗仏教信仰を融合させようとした宗教的な傑作だと思う。まあ、儒教と仏教は決して融合し得ない思想だとは思うけれども。
なお戦記物語の系譜としては将門記→陸奥話記→保元物語→平治物語→平家物語→承久記→太平記

美川圭『院政 もうひとつの天皇制』(中公新書)

2008-02-25 18:40:34 | Weblog
平安時代の白河・鳥羽・後白河、鎌倉の後鳥羽天皇。彼らは天皇を退いた後も上皇・法皇として権威を振るった。院政の起源は後三条天皇に遡るという。『愚管抄』によれば、後三条天皇は、退位後も上皇として政治を行うのがよいと考えたが、退位翌年に急死してしまいそれが果たせなかったという。このような考え方は南北朝時代の『神皇正統記』や『読史余論』にも継承された。
それに対して歴史学者の和田英松氏は御三条天皇の退位には病気や災害と言った理由があり、彼自身は上皇として政治を行う気はなかったのではないかと論じている。戦後の和田氏は、白河を退け、実仁を即位させるために後三条天皇は退位したと論じている。この和田説による後三条院政否定論は、通説となることとなった。が、著者はこの説に疑問を感じているようだ。
本書は上皇誕生から院政の開始を経て、鎌倉後期の院政にまで触れられている。院政そのものは江戸時代になるまで存続したそうだが、平安時代こそが院政の影響力が最も大きかった時期であったということに留意したい。保元・平治の乱までは、あくまで天皇が中心に政治・戦争が行われた。平家が院政を弱め、その武家政権はやがてライバル源氏による鎌倉時代へと引き継がれていく。
『新古今和歌集』の編者であり、鎌倉時代に院政を敷いた後鳥羽上皇は、承久の乱を起し、幕府に刃向かった。その動きはやがて室町幕府成立へと繋がっていく。

宮崎正勝『ジパング伝説 コロンブスを誘った黄金の島』(中公新書)

2008-02-25 18:05:38 | Weblog
宮崎正勝と宮崎市定って一瞬親子かと思った。
著者は大航海時代の2つの原動力として、プレスター・ジョンの伝説と黄金の国ジパング伝説を挙げている。前者は中東がイスラムに支配されていた12世紀に広がり、キリスト教の王がヨーロッパの東に存在しているという伝説で、エンリケ航海王子がアフリカ西端へと到着するきっかけとなった。この伝説の大元となったのは、契丹族の耶律大石が西遼を建国したという事実であると言われ、イスラムをおびやかす契丹人の存在は、キリスト教の王が東方にいるという伝説をつくりだした。一方で、黄金の国ジパング伝説は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』によってもたらされ、コロンブスを航海へと促したものである。日本人にとってはジパング伝説はおなじみのものだと言っていいだろう。
アジアの第二次航海時代はこのジパング伝説と密接に関わっている。幼いときに辛苦をなめたコロンブスは、ジパング伝説を聞き、誰よりも始めに黄金の国を発見しようと考えた。彼は結局ジパングを発見できなかったものの、アメリカ大陸を発見することとなる。根はあるけれどもほとんど嘘の「伝説」が、強大な力で歴史を動かしたのだ。
ジパング伝説以前にも日本にまつわる伝説というものは存在していたという。それが「ワクワク」伝説である。「ワクワク」とは倭国が変化したものだと考えられる。ワクワクという黄金の国が東方に存在するという伝説は、藤原氏の中尊寺の金色堂が起源だと著者は推定しているが、この伝説はアジアの第1次航海時代を形成する力ともなったという。マルコ・ポーロが発見したジパング伝説は、海路で伝えられたワクワクと、シルクロードで伝えられたジパングの融合であったという。