道 (真理)

道は須臾も離るべからざるなり 離るべきは道にあらざるなり

シェルダン・ナイドルニュース 

2014-12-31 18:15:44 | シェルダン・ナイドルニュース

2014年12月30日    

                              

Sheldan Nidle's Update for the Galactic Federation of Light and Spiritual Hierarchy

from PAO ~ Planetary Activation Organization

30 December 2014

12 Cauac, 17 Mol, 11 Ik

ドラッツォ!今日も多くの事をお話にやってきました。光が創り出した種々の連合が闇の連中から力を奪い取るための作戦を完了するプロセスにあります。これらのグループは私たちが合意したスケジュールよりも少し先んじています。このような結果に、私たちは大喜びしています。グレゴリオ暦の新年にはあなた方の眼前に現れるための最後のカウントダウンの用意ができるので多くのことが約束されています。この年にはカバールとその多くの手下共の追放がついに可能になります。これから得られる勝利は私たちが長い間約束していた自由と豊かさをあなた方に与えます。この時には大いなる責任も課せられます。あなた方にはガイアを重んじる責務があり、ガイアはそれを期待しています。過去500年にも亘って、西側文明は癌のように世界に広がって行きました。西側はまるでガイアではなく自分たちが主人であると強く信じていました。この逆転の思想はあなた方によって覆されねばならず、世界の自然プロセスの一部であると自身を見る社会の創造の重要性を認識する者によって代わられます。ガイア上の全ての生命を維持するこの世界的な本質を真に自分のものにするような視覚化が必要です。

あなた方が新しい世界社会を発展させる時には、この太陽系に居住しようとする全ての惑星との聖なるパートナーシップというこの概念をマインドの中に抱いて下さい。今は、ガイア上に集中する必要があります。あなた方がアガルタ人との再統合を果たす時には彼らの社会を人間にとっての新時代確立のためのプロトタイプとして利用 して下さい。新技術によって、あなた方が現在行っている大規模農業の必要性は解消されようとしています。この技術は現在の経済運営の手法をも終わらせる事になります。単に生き残りのためだけの金稼ぎに必要な、あなた方を家庭から遠ざける店舗やそのための仕事の必要性もなくなります。その代わりに、あなた方は”母なる地球”に対するあなた方の見方を変えるように相互に働く方法を学ぶ事になります。各個人には才能が備わっています。これらの才能は、真のエクスタシーが感じられる喜びを見付けるために利用されます。あなた方が自分の才能を常に社会を助け、世界の維持に利用すれば、あなた方は自分の内側に喜びを感じられます。これはあなた方を支え、生き生きとさせます。あなた方はお互いを支え合う関係を築くために他者と喜んで関わり合います。

私たちはこのことを単にあなた方を勇気づけ、あなた方に将来の備えをして貰うために言っているのです。遠い昔に、闇は、彼らだけに仕えさせるように、あなた方の社会を変えました。あなた方の目的は単純に彼らが望む事を行い、彼らを見習うことだけでした。これは自然な成り行きではありませんでした。こうして、あなた方は喜びをもたらし、自分についての真の知識の獲得が可能な自分自身をほとんど否定してきたのです。あなた方の意識がより高い次元へと向上して行くと、今の状態がばかばかしく思えるようになってくるでしょう。その代わりに、全ての人がお互いに尊重しあえるような社会が必要になります。このタイプの社会は発見と実施に長い時間がかかる自然の進化プロセスです。私たちの目的は、あなた方が完全意識を得る前でもこれが達成出来るようにすることです。これが私たちの導師たちの主な仕事です。あなた方にはまず自分の真の姿の再発見とその具現化が必要です。このプロセスはお互いと自分たちの領域を支える私たちが言う銀河社会の前触れになります。

このような社会は数多くの星間国家に浸透しています。私たちはこの太陽系全体でのこのような社会の進展に対してあなた方に備えさせるためにここにきているのです。あなた方が成長すると、あなた方は又、如何に数多くの種類のソウルたちが肉体を必要としない所まで振動を上げたかを学ぶようになるでしょう。これらの素晴らしい者たちは物理的な生命にとって害がある環境にある全ての世界にある基本要素の支援をしていることが分かります。彼らは又、この新しい星間国家の一部になりたいと願っています。私たちはあなた方に真の驚異の一連の経験に対する備えをさせ、生命と意識に就いて教えようともしています。あなた方一人一人は、自分に平行に存在している一連の現実を持っています。これは自分の生涯契約に基づいてあなた方が決定する方法です。私たちは導師たちに、これをもっと詳細に説明するようにさせます。私たちがそうする前に、あなた方は時空の真の性状についてもっと多くのことを学ぶ事になります。こうするためには、あなた方は現在の純粋に物理的現実に立脚した概念を捨て去る必要があります。そうできるまではこの簡単な説明で十分でしょう。ホッサナ!ホッサナ!ホッサナ!

祝福を!私たちは次元上昇したマスターです!私たちはあなた方一人一人に良いニュースを携えてやって来ています。今私たちには、関係者たちがあなた方を新時代へと導く数多くの仕事を完了したのが見られます。クリスマス休暇が終わった今、私たちには種々のプログラムが完了しつつあるのが見られます。これから先の数ヶ月の間に新しい統治体の勃興が見られると大いに期待しています。これらの変化はこの世界の運営を劇的に変えるいくつかの新しい進展の始まりに過ぎません。多くの政府はスーパーリッチと力のある者たちのおもちゃに過ぎませんでした。今これらの機関はあなた方に対するプレゼントになっています。この劇的な変化は部分的にはあなた方の大いなるビジョンによるものです。当初期待されていたものよりも長い時間がかかりました。この間、天は天使の守護者たちにあなた方にとって必要な種々の再調整を加速させるように 要請しました。それに従ってこのプログラムは天が望んでいた変化を作り出しました。

私たち次元上昇したマスターにはこの壮大な仕事を行うのに、ビジョンの力を用いて支援をするように要請が行われました。この現実の変革のために必要な多くの変化を受け入れるように、あなた方にはお願いします。共に祈り、瞑想し続けましょう。私たち全てを変容させるこの領域の壮大な設計が現実になろうとしています。あなた方の協力は最大限歓迎されます。私たちの新しい領域を鍛え上げるためのエネルギー場が形成されています。この益々成長しつつあるエネルギーをあなた方の夢の中に導入して下さい。あなた方の自由、繁栄、そして何よりも増して、個々の尊厳と権利の回復が全面的に行われることを望みます。この世界の一人一人は、最高の暮らしの可能性に達するように運命付けられています。この結果生まれてくる者は全ての人間に対して最も素晴らしい新しい時代を形成するように他者と共同で作業をします。新しい銀河連合の星間国家を築くのはアガルタその他の人達に加わるこの者たちなのです。

あなた方の将来は実に輝かしいものです。私たちは自分たちをあなた方一人一人にとっての導師であると見なしています。私たちは一緒になって、広大な銀河の宇宙を固め、維持する手段を作り上げます。私たちは又、この物理世界全体に光を広げる銀河ユニオンの核にもなるのです。

この素晴らしい目標を達成するために私たちが集合として 辛抱しなければならなかった事の全てを喜びます。遠い昔に、アヌンナキは私たちに永遠の苦難を課すと思われるコースを設定しました。天は介入し、私たちにまずは脱出の道を教えてくれました。私たちはこの開口を用いて人間を今座している場所に連れて行きました。あなた方は祝福されて今いる場所から更に進み、 自分の真の姿へと幸せに戻って行きます。この状態においてあなた方は過去90万年の間に起きたあらゆることに就いて学ぶことになります。人間の進歩と天が与えてくれた予言の実現のためにこの聖なる知識を用いてください。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!

今日もメッセージを続けました。この情報は単にあなた方の助けのためです。如何にあなた方が深く愛されているかを分かって下さい。この領域はあなた方の領域の歴史を基本的に変え、あなた方に大いなる真実を知らせる変化を始めようとしています。私たち全ては大いなる生きたエネルギーの一部です。このエネルギーは大いなるワンネスの一部です。このワンネスは物理世界の全ての者に愛と光をもたらすように運命付けられています。親愛なる皆さん、天からの無限の供給と繁栄が実にあなた方のものであることを知ってください!そうあれ!セラマト・ガジュン!セラマト・ジャ!(シリウスの言葉、一つのものであれ!喜びの中にあれ!)

翻訳:Taki

 


これからはベジタリアン

2014-12-29 17:25:01 | コミュニティ・非営利活動・Vegan

2014念12月29日

彼らはベジタリアン(彼らの言動に注目してください)

内面の混乱をもたらすのはカルマですが、カルマを培養するのが肉食(殺傷)です。動物を直接殺傷しなくとも、彼らも人間と同じくされるときの恐怖感が体内(特に血液)に毒素を作り出します。この毒素が癌など成人病の主な原因になっています。また、された恨みのネルギーがまとわりつきストレスを溜め込む助けをします.戦闘的な激しい感情は肉食を好むのは、麻薬と同じで慢性化します。気持ちが落ち着かず感情に左右されやすくなります。

菜食は命を尊ぶ心、つまり天が人類のために創造されたあらゆる生命に対する畏敬の念を取り戻し、ストレスや病気の問題をなくす浄化作用があります。宇宙創成のときから、人々が心と体を大切にして日々役割に邁進できるよう、私たちのために天地の生命が創造されましたので、現代人にとって菜食が如何に大切なことかご理解いただきたいと思います。

しかし、長い間工夫して慣れ親しんでいる生活習慣、まして友人・家族との共同生活の中で、野菜の量を増やせば健康にいいと言うようなコマーシャルベースの問題ではありません。魂レベルの問題は知らず知らずたくさんの妨害が生活環境を取り巻いています。「癌になったってかまわない。」「酒がまずくなるよ。」・・・と言うような怠惰な言葉、「栄養が摂れない。」「力でない。」など誤った情報。「野菜だって命じゃないか」と言う無知、そして人間を奴隷化するため肉食を奨励し、戦争と病気で恐怖を植え付け、大量殺戮に持ち込もうとする巨悪。

「知らない」ことは大きな壁を作っていることになります。まず理解することが大切です。「ベジタリアン」「動物愛護」と言うキーでどういう世界が展開されているか検索することをお勧めいたします。次元上昇にこのメニューは欠かせません野で一日も早く慣れ親しまれるよう心からおすすめいたします。

ベジタリアン・レシピ

http://cookpad.com/search/%E3%83%99%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3

 


道すなわち真理について~釈迦略伝(四)苦行

2014-12-28 20:46:40 | 釈迦略伝・釈迦因果経

2014年12月28日

この「道」は、無形無相、無声無臭で、見ることも聞くことも嗅ぐことも触れることもできません。これが道の実体です。

古聖が次のように述べています。

老子は、「大道は無形にして転地を成育し、大道は無情にして、日月を運行し、大道は無名にして万物を長養す。吾その名を知らず。強いて名付けて道という。」(清静経) ※老子は道徳経・清静経・黄庭経の三経を遺しています。

訳:大道は本来形象はないが、よく天を生じ、地を育てることができる。本来感情はないが日月を運行することができる。本来名称をもって表現できないが、天地間の万物を養育することができる。私自身、その名前を知らない。それで強いて道と名付けた。) と述べています。

イエスは、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれも私によらないでは、父のみもとにゆくことはできない。」 (ヨハネ伝第14章)と言いました。

※    イエスの墓が青森県三戸郡新郷村大字戸来にありますが、地名の「三戸」「戸来」について次のように解釈できます。

論語の雍也第六:子曰誰能出不由戸何莫由斯道也

解釈:子曰く、誰か能く出づるに戸に由らざる。何ぞ斯の道に由ること莫からむ

誰か出るに戸によらないものはない、どうして、(生きるに)この道によらないことがなかろうか。普通戸の無いところから出入りすることはなく、人は、無意識的に戸を用いる。道路も、無意識的にそこを通るが、もとからあったものでなく、人々が往来するから道路となったものである。道路には通る人々により、悪しき所に通じるものも、善き所に通じるものもある。道とは、ここでは、人が生きる道のことであるが、さまざまな道がある。無意識的に生きているのかもしれないが、先人の道を辿っているものである。(周公のごとく)生きた人の道(斯道)によるべき、・・・これは真理がわからない場合の一般的な解釈です。孔子が伝えているのは「人間はどこから来てどこえ往くのか、この戸による・・・」ということでした。

ここでいったん、話をイエスに戻します。イエスは私が「道であり、真理であり、命(性命=霊)である」ことを証明するために神はイエスに十字架で磔になる機会を与えました。この時の場所は「ゴルゴダの丘(しゃれこうべの丘)」でした。つまり人の頭の部分です。そしてイエスと共に2人の盗人が処刑されました。三人が同時に磔になりました。

汝姦淫するなかれ”と言いますが、姦淫の源は目にあります。目で色を見ることで心が動じ罪を犯します。つまり左右両目は磔になった2人の罪人で比喩し、イエスは真中の十字架で〝私は真理である“を比喩しました。

また仏教の「如來」は、済いとは「菩薩が來るが如し」と言う意味に使います。この「來」と言う文字は「十」の字に「人」と言う文字を3人を書いた字です。つまり十字架に3人が磔になったことと同じになります。

如=女の口=玄牝之門(老子道徳経で“玄なる牝の門”と表現)

玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。などと解釈されています。

來=十(十字架)に从(罪人が2人従う)もうひとり、「人=キリスト」がいて十字架に人が3人

※古聖曰く「三人同行すれば必ず我が師あり」と・・・

そして「戸」と言う文字について、もちろん聖書にも「戸をたたく」と言う真理に関する機密の表現がありますが、「戸」の「一」の字を取ると「尸」(しかばね)と言う字になります。「一」は「点」の伸びた形で、今の「一なるもの」の「一」そのものです。つまり真理のひとつの表現です。「尸」が「一」を得て「戸」になる、つまりこの「戸」が「真理」を表現しています。京都の大文字焼きの「大」の字も「人」が「一」を得て「大」になる、やはり「一」が真理であることを継承しています。

「戸」と同じ意味で、先ほどの「如」とおなじですが、老子「道徳経」第1章でいう「玄之叉玄衆妙之門」とは、人間の認識を超えた玄妙な処があり、それより更に玄妙な処こそ、さまざまな微妙なものを生み出す門(創造の出入り口)が有る。と解釈されてきました。

さて、はじめの話、キリストの墓がある「三戸」「戸来」の地名について、想像してみます。

「三戸」については、東北方面の方はご存知のように青森県には「一戸」「二戸」と言う地名があります。おそらくキリストの足跡が秘められていて、今はまだ公開する時期ではないと思います。

「戸來」は「如来」と同じで、そのときがくれば十字の秘密が公開され、真理が得られることを印しているものです。キリストが日本に、しかも東北に来たことはきわめて意義深いことでやがて真実が明らかになります。

西洋文化の精神性の本拠地が東洋の日本にあることが段階的に証明され、世界がひとつになり、宇宙とつながる史実となってきます。聖人はそのために足跡を残す天命を担っていました。

昨今、歴史が明らかになってきていますが、「真理」に基づいた歴史が明らかになるのはこれからです。エジプトも中国もどの古代文明もすべて十字などの形象で顕した「真理」を探求する歴史そのものでした。天のデザインは細微に渉っています。

 

釈迦略伝

 

苦行(四)

悉達多太子は迦比羅城を離れて17里あまりを走り、藍摩市(らんまし)につきました。そしてさらにこれより東に進み、阿跋彌河(あばみがわ)の深い森林の中に入り、四方静寂なところを一箇所選んで修道の場所に当てました。

この時は、髪や髭をそり、袈裟を着て宝服を脱ぎ、車夫に持たせ馬車と共に城に帰らせ父王に奉還することにしました。そうして「人生は早かれ遅かれ離別するものであって、いずこに一緒に居住することができましょうか」との口信をお伝えしました。

それからまた東に向かって進み、跋迦仙(ばがやせん)を訪ねました。跋迦仙は婆羅門(ばらもん)の一人の苦行者であって、苦行しなければ解脱できないと説いていました。

太子が跋迦仙が苦行されるのを見て、跋迦仙に[汝はなぜこのように苦修するのですか」と問いました。すると跋迦仙は[欲によって天に生是利、来世天上の楽果[楽が]を得んと欲すれば、苦修せざるを得ざるを得ない、それのみなり」と答えました。

太子は「汝の求むるところの天上の楽果は亦、究竟にあらず、諸天は楽といえども、福報限りあり、福業尽きれば、また六道輪廻の苦報受けるを知るべし、汝の楽と説くところのものは、究竟苦しみのみなり」と告げて、遂に跋迦仙のところから離れてゆきました。

さて、太子が迦比羅城を離れて後、まもなく父王はことの詳細を知り万分の驚きをなして、直ちに臣下を派遣し四方を探させました。ちょうど慌しく探し回っている時、車夫が馬車を率いて王城に帰ってきました。

車夫は出城の経過と太子の口信をいちいち浄飯王に申し上げました。そこで浄飯王は二人の大臣と師夫を派遣し、太子を迎えて帰るようにしました。この一行が跋迦仙のところに着きますと、跋迦仙は「太子はすでにここを離れて北の方にいかれました。」と申しました。一行はまた北の方に向かって追っていきますと、樹下に座しておられる太子を発見しました。一同は大喜びして、父君が如何に太子を思って心配しておられるかを告げて速やかに城に帰るようにすすめました。

次回「苦行」続きます。


2014年流行語大賞~「ありがとうございます」

2014-12-27 00:41:10 | 道・真理・ Deshi A

2014年12月26日

有難し(有り得難し)、という言葉の原点を経典にさがすと「至道無難」という四字に至りますが、あまり諸説にとらわれず、この世で一番ほしいと思っていたもの、それまではとても無理だと思っていたものが奇跡的に手に入って感動したとします。うれしくてうれしくて「有難とうございます」と思わず声をあげました・・・と考えてください。

昔の修道者は、「道」を得るため鉄の下駄を履いてという例えがあるように生死をかけて道を求めました。しかし本当に道を得た人はほとんどいません。それが禅問答で“有るようで無い、無いようで有る”という風に得られないので探るようになりましたが、実際にどういうものか達磨大師のように得なければわかりません。

「至道無難」とは、道に至るのは難しく無い(一般的にいう悟りの境地)、しかし「道」はそのような三昧ではなく、至極にして本来得がたいもの、もしそういうことがあったら、ありがとう、ありがとう、といって大喜びすればいい、と「有難い」(ありえない)ことと解釈しています。

 

もう一つ話を添えます。

仏教の経典「般若心経」の最後の節に

羯帝羯帝波羅羯帝 (ぎゃていぎゃていはらぎゃてい)“往き往きて、彼岸に往き”
※彼岸(道が得て行くところ)に行くときが来たぞ!! その時が来たぞ!!(ソーラン節のヘブライ語解釈の勢いですね!)
波羅僧羯帝 (はらそうぎゃてい)“完全に彼岸に到達した者こそ”
※道を得て解脱(超生了死)したもの
菩提(ぼうじ)“悟りそのものである”
※正覚のさらに上の境涯の妙覚
僧莎訶(そわか)“めでたし
※その時が来たらみんなそうなるから、めでたし、めでたし、ありがとう、ありがとう
般若心経(はんにゃしんぎょう)“知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典”と説いています。
※もっとも肝要なものとは仏教では、卍、すなわち十字、つまり般若を象形にすると十字の中心の「点」です。「逍遥自在の一点」のことです。 
総じて、ついにその時が来て、ありがたい、ありがたい 得難がたいことが起きる、の意味です。
日本では九州島津家の紋章ですが、
アメリカインデアンのある伝統的な種族の紋章でもあります      

2014年流行語大賞と題したのは、今年は挨拶の中でほとんどの人が「ありがとう!、ありがとうございます。」という言葉を使っているのに気がつきました。押さえつけられていたものがなくなりつつあって、少し恥ずかしく思いながら、言おうと思っていなくとも自然に出てきた言葉、百一匹の猿の例よりもっとたくさん、日本人の徳が日本中に爆発的に拡散したのではないでしょうか。

生んでくれてありがとう、見守ってくれてありがとう、出会いにありがとう、愛してくれてありがとう・・・

来年は、“ありがとうございます”という響きが、性別、世代間、職位、国境をこえ、素晴らしい、とか、お目でとう、と広がっていくように・・・・・

Deshi A


道すなわち真理について~釈迦略伝(三)出家

2014-12-26 02:27:09 | 釈迦略伝・釈迦因果経

2014年12月26日

「道」は、絶対不変の真理です。

宇宙や天地は、開闢(天地創造の始まり)以来一刻も休まず運行し、人や世の中も時々刻々と変化しています。この道だけは千年万年を経ても永遠に変わることはありません。大昔の修行者も道を得て聖人・仙仏になっています。現在も同じ道を得て、同じように修道すれば聖人・仙仏となることができます。

道を知る人は、本源(創造主の懐)に帰ることができ、迷い彷徨う人は、輪廻の世界で気づくまで縁を求めて生まれ変わり続けることになります。道こそがふるさとに帰る不二(二つとない)の法門といわれ、陰陽界から脱して崇高な使命を全うし、もと来た永遠の極楽浄土(7次元以上)に帰るには、この道を求める以外にありません。 


釈迦略伝

       大英博物館所蔵 釈迦画像

(三)出家

悉達多太子が降臨されたときのことですが、父君浄飯王は阿私陀(あしだ)という一人の仙人を招いて太子の相を見てもらいました。 阿私陀仙人は太子の相を見て歎きながら「太子の尊容は偉大です。その実には三十二相が具わり凡人ではありません。もし出家しなければ、必ず転輪聖王となり、五つの天竺(てんじく)を統括することでしょう。五天竺というのは東・西・南・北・中央の五印度(全印度)を指します。

もし出家すれば、必ず三界(天・地・人)の導師となられるでしょう。悲しいかな私はすでに老いてしまい太子の説法を拝聞することができないのが残念です。 浄飯王は阿私陀仙人の言葉を一通り聞かれ、大変喜ばれる一方、また悲しまれました。そして〝どうか、太子が私を離れて出家することなく、転輪聖王となるように“ と心ひそかに願い、あらゆる方法を考えて太子の出家を妨げました。

太子には世間のあらゆる楽しみを与え満足させようと思い、それ以外のことには目もくれないよう三殿を建てて太子に与え、多くの宮女と召使をはべらせました。 浄飯王は太子を一種の真情で愛し養育して、一国の富が傾くほどのことがあっても惜しみませんでした。 太子が17歳になったとき、浄飯王は善覚王(ぜんかくおう)の王女耶輪陀羅(あしゅだら)を妃に迎え入れ多くの美姫をよんで毎日歌舞や管弦をして人間の快楽を尽くさせました。

しかし、太子の心中は人間の生・老・病・死の無常を深く悟り、求道の念は日とともに増し、このような宮中の楽しみも太子の心を動かすことは不可能でした。ある日、太子が父君の面前に参って、出家しようとする強い志を詳しく申し上げました。するとこの話を聞いた浄飯王は驚きながら「汝がもし成し、一切の衆生を救おうとするなら、まず父のこの苦悩を救うべきではないか、一刻も早く位を汝に譲って梵行を修めることに勤しみたいと思う、それが父の宿願である。」と申しました。しかし、父君のこのような話は太子の出家の志を動かすことはできませんでした。   

太子が19歳になったときに、耶輪陀羅妃が一子を生みました。羅喉羅(らごら)と名づけられました。一般国民はみな王孫の誕生を喜びました.しかし太子はひそかに〝一子が生まれたので父王の命にそむいて出家しても、多少ながら父君の憂いを減らすことができるであろう”と考えました。そして遂に決心し二月八日の夜ふけ人が寝静まったころ、宮中を出て馬車に乗り迦比羅城を離れ去ってゆきました。

次回「苦行」