地球が最悪の環境になって、本当に人類は滅びるのではないかとさわがれましたが、周囲の自然豊かな環境を見るとそういう実感がわいてきません。
友人が「東京を本来の自然にもどさなければならないね!」と言ったのを聞いたとき「公園を増やすこと一つにしても土地が高くて自治体の計画では何十年もかかってしまうのに、とても無理だと思う。」と、できないと思っていました。あれから5年、地球が人間と同じ生命体だったたらどういう状態なのだろうと考えるようになりました。そのきっかけは、「コンクリートやアスファルトで車のため造った道路が地球の隅々まで張り巡らされ、まるで地球が体中を鞭打たれ傷跡がみみずばれになってしまっているようだ。」というメッセージを読んだときでした。地球は瀕死の状態だと実感して愕然としました。
それまでは、温暖化や公害などの偽装された情報にも漠然とした意識しかなく、ゴミやペットボトルの再利用やダンボールの再生紙の問題…などの問題意識しかなかったとき、ある日からインターネットなどで高圧線の電磁波、原子力発電所の使用済みプルトニュウムの処理…車のタイヤの磨耗粉塵による癌の発生、食肉や牛乳が癌など成人病の原因…、たくさんの恐ろしいほどの環境問題が累々としているのを知らされました。エネルギー政策が地球環境や人命を蝕んでいる実態は、まさに100%この世は偽善の世界だと思うきっかけになりました。
地球創生のとき、動物も植物はパラダイスを創造するため、ほかの星から持ち込んだことや、人類創造の目的と宇宙の壮大な構想の歴史に思いをはせると、この時期思い切った意識転換をしなければなりません。
地球をもとの姿にもどすため、もとの姿とはどういう姿なのか、そう考えると神の創造物である自然の尊厳に畏敬の念を抱くようになりました。植物や動物が地上で生き生きと輝くさま、それらすべてが人類のために創造され、この地球の一員として今日の時をむかえています。私たちと一体であるこの地球生命体を、人類が完全意識に遷移することができるように、この地球という女神を本来の姿に完全還源してゆくことを使命としなければならないと思います。
人類の進化のために天のあらゆる愛が降り注がれるときに、与えられた本領を発揮してその愛に応えること、人々に自ら模範を示し、協力して地球生命の再生のために全力をそそぎ、そしてその成果の一つ一つすべてを天に還して宇宙生命の循環を創出しなければなりません。
環境意識は世界にひろまっています。日本も昭和40年代の高度経済成長期には河川が汚れ、光化学スモッグという車の排ガスや工場の排気などで、丁度今の中国の公害のように生命を脅かす事態でした。今は日本の河川も汚れがなくなったかに見えますが果たしてそうでしょうか。
環境問題は最悪の事態をこれ以上悪くならないよう維持しているのがやっとと言えそうです。動物や森林も原因不明で枯れたり種が絶滅していますが、横を向いたままの生活視野にこの真実を受け入れ、改善しようとするのには難題が山積しています。
歴史を見ると、王朝時代(現代もその範囲)ほとんどの人々の生活の場と言うのは、競争と搾取の場であり、常に敵から身を護るために生活体制をとらされていました。相互に戦争や略奪など暴力の連続のため、無知なものは逃げ惑い日々食べることが精一杯でした。その意味では、人類が今経験しているこの50年の経済の成長で衣食住が整ってきた時代は驚異的に世界が発展したように錯覚しました。
しかし、これもまた「豚は太らせて食べる。」世界でした。
「衣食足りて礼節を知る。」そのための豊かな生活であるはずが、モラルは益々衰退し享楽に明け暮れ、借金地獄の恐怖にさいなまれ、物の価値観ですべてがコントロールされるようになりました。