道 (真理)

道は須臾も離るべからざるなり 離るべきは道にあらざるなり

シェルダン・ナイルニュース

2014-05-29 21:29:05 | シェルダン・ナイドルニュース

2014年5月27日                    

http://www.paoweb.com/sn052714.htm

Sheldan Nidle update

27 May 2014

3 Ix, 5 Pax, 10 Caban

セラマト・ジャルワ!(永遠の喜びの中にあれ!) 壮大な一連のイベントが世界中で今起きています。これらのイベントはあなた方に自由、尊厳、繁栄、及び新しい統治体を与えるある臨界的なプロジェクトの始まりの印となるものです。私たちの連絡要員は地球連合を形成するいくつかのグループが闇のカバールとその手下共から権力を剥奪するように動いていると報告してきています。これらのプロジェクトには、国と国との間のコモンローネットワークや、このネットワークに世界中に新しい統治体を設立する、指数関数的な拡大のための手段を接続するプロジェクトを含みます。繁栄プロジェクトは又、NESARAを 宣言するための基礎を効果的なものにする配布システムの準備を確かにするものです。これらのイベントを表面化させる準備が出来ているので、ほぼ毎日のように”ケムトレール”を散布させていた国際的な陰謀を正式に止めさせる準備が出来つつあります。アガルタの連絡要員も、種々の闇のカバールを率いているグループに、悪の企みは大量逮捕と共に終わりになると知らせるのに忙しくしています。

ガイアの多くの資源を探索する表面における数多くの企業の日日の猛烈な破壊からガイアを救い出すことが非常に重要です。これらの地球の資源はガイアの数多くの広範囲な生態系を維持するのに役立っている多くの項目の源なのです。私たちの科学者達は、日日これらの発展を見守り、安定度を維持するために可能なあらゆることをしています。これらの資源の掘り出しをもっともっと困難にする、天によって授けられた自然のメカニズムがあります。これが多くの鉱山と建設関係で時々起きる災害の背後にある原因です。現在開発されている多くの技術を導入すれば、この種の災害の可能性を大いに低減できます。闇のカバールはこれらの新技術を導入するプロセスを維持すれば、容易に問題を解決できると主張しています。これが闇を権力の座から追放する必要性の根拠になる理由です。これらの災害に加えて、この闇の専制の裏にはとてつもない貪欲と傲慢があります。

権力の座から一連の闇の悪い手下共を排除する時、あなた方自身の変態をも進める必要があります。天はこれから起きる事について詳細なタイムスケジュールを組みました。大量着陸を始める前に、ガイアは一連の予備的変化を完了しておく必要があります。地理学者や気象学者が予測しているように、海床は隆起し、通常のパターンの広範囲な変化が起ころうとしています。これらの変化は大陸、海洋の再形成、新しい古代の大空の層の組合わせを実現するための大気の形成という一連の大規模な動きのための地表の準備をすることになります。これらの混乱の時は新しい生態系が導入され、新しい種が繁栄する時でした。これらの時期は一般に数百年から数百万年かかりました。このような変化が最近起こり始めたのです。

この地表にはもっと多くの大陸と小さい海洋がありました。バランスが取れていました。あなた方の祖先はこれをわきまえていて、最初はこの領域に適応するためにエーテル状の意識を利用していました。後に彼等は内部地球を探検し、直ちに両方の地域で自分たちの保護が確かめられることを知りました。数十万年以上に亘って、レムリアはガイアとその数多くの生態系を把握して行きました。こうする内に、レムリアの人々は新しい植民者を受け入れ、陸地のネットワークを形成し始め、愛、恩寵、及び天の知恵で地球の管理を遂行するようになりました。新しい世代には、この何時も成長していた歴史に次々と追加をしていった物語が伝えられて行きました。ガイアとの長い間の関係が広範囲なユニークな繋がりの生命形態を維持しました。この落ち着きはアトランティスの突然の行動によって破られました。これらの行動はレムリアを沈降させ、アガルタを地球の外の表面から切り離し、アトランティスをガイア表面領域の支配地域にしました。あなた方の長い間の闇の時代が始まったのです。

ナマステ!私たちは次元上昇したマスターです。現実を見ると、ハートの中で大きい変革が進んでいる事が分かります。私たちの聖なる兄弟、姉妹たちは闇を権力の座から追放するのに忙しい時を過ごしています。これらの変化は新しい時代の先駆けになるものです。この時代には、あなた方の完全意識への祝福の旅の最後の部分が含まれています。私たちはあなた方一人一人をこの新しい現実に備えさせるために送られてきた特別チームの一部です。このプロジェクトの私たちの役割は、私たちの聖なる宇宙とスピリチュアルなファミリーによって言われていることに対してあなた方の準備をさせるというものです。アヌンナキと彼等の地球上の手下たちは、あなた方がどのようにして制約意識の中に取り残されたのかを物語る宗教的、又は科学的な神秘のための基礎になる物語りを作り上げ、あなた方を支配するために死が如何に衝撃的なものかという話が利用されました。以前の黄金時代は現実には、あなた方が如何に突然制約意識という恐怖の状態に陥ったかを物語る種にされました。

支配者達があなた方を非常に粗末に扱わせたのは、それに引き続いた大きい恐怖とトラウマでした。ほぼ13000年後に、あなた方は今これらの話の多くを容易に受け入れる用意が出来ています。これらの半真実は光の中に引き出され、純正な、真実に満ちた話に置き換えられなければなりません。あなた方は元々は古代のアトランティスの勅令による闇の支配を拒絶した完全意識の存在でした。反抗しながらも、あなた方の祖先達は騙され、忘却に包まれた制約意識の状態に落ちいて行くプロセスに送り込まれて行きました。そうしている内に、あなた方の”天使の羽”は文字通りはぎ取られました。あなた方は完全意識の存在としての身分を再取得するための恐怖の障害で満たされた茨の道の上に取り残されました。天はアヌンナキにしばらくの間あなた方を支配することを許しました。この条件は極めて注意深く設定されました。

今、アヌンナキは数多くの神秘と伝説を残し、闇の手下共に後を託して去っていっています。私たちの兄弟、姉妹たちが天の聖なる祝福ともに、あなた方を正しい聖なる時に束縛から解放して完全意識を取り戻させるという使命を帯びて到来しました。この完全意識の中で起きることについては、私たちがあなた方一人一人を導き、アドバイスを与える必要があります。今は急速な遷移の時です。今は、現在の”普通のこと”はあなた方が人為的に騙され支配されていた状態の単なる継続であることを分かり始める時です。これは今祝福されながら終わりになる時であり、その終わりと共に、大きい変革が起きて、他の人間達との喜びの再会が行われます。今は自由、繁栄、新しい統治の始まりの時です。あなた方は一人ではありません!

今日はいつものように、あなた方に情報を伝え、あなた方を新しい時代への浮上の準備をさせるという私たちのミッションを続けました。闇に囚われている者はもはや支配を続けられません。スピリチュアルな宇宙の兄弟、姉妹たちの受け入れは、喜びに満ちたものなのですから、あなた方を容易に驚かせる多くの発見に備えて下さい。大いなる光を見て下さい。私たちは喜びのうちに、永遠に続く全能のスピリットの中で、話を終わります。親愛なる皆さん、天からの無限の供給と繁栄が実にあなた方のものであることを知ってください!そうあれ!セラマト・ガジュン!セラマト・ジャ!(シリウスの言葉、一つのものであれ!喜びの中にあれ!)                            

翻訳:Taki

 


道の淵源~達摩大師伝『下巻』(一)

2014-05-28 22:57:49 | 達磨寶巻

 八.大師、宗横を師と拝す  

 (一)宗横、玄理に通ぜず

 偈(げ。詩)に曰く

「達摩玄に通じ、実に妙なる哉。三教を摩(さす)れば一気より来たる。

 宗派先天の二十八代祖、法船は原子(もとのこ)の為に横正(よこたて。四方)に開く」

 達摩大師が慧可を度し終って説くべき法を説き尽くし、尚も世を度(すく)う気持ちが厚く、古刹(こさつ。古寺)を雲遊して足の赴くままに方々を行脚し、自らの眞性を涵養しようとされました。

 禹門(うもん)の千聖寺(せんしょうじ)に差し掛かったとき、ちょうど一人の道人に遇(めぐ)り會いました。この道人は号を宗横と言い、長年の間道教を修行してその奥義を極め、各地で法を説いていました。遇り會った時の様子は、次のようなものでした。

 大師は千聖寺で寂然として動かず、霊光の純熟を煉っていました。そこを通り掛った道僧(道教の僧侶)が大師の姿を見て近付き、誇らし気に呼び掛けました。

「道高ければ龍虎も伏し、高ければ鬼神も欽(うや)まう。道もも高いわけではないのに驕慢な態度を取るような者は、定めし俗世間の凡人であろう」

 この挑発的な言葉も聞こえぬ振りをして、寂然不動の姿勢を崩そうともしません。馬鹿にされたと思った宗横は、不快気に言葉を続けて

「出家の人は琴を操り、調べを弄ぶべきである。碁盤を囲むのは出家人の在り方ではないと、水懺(經典)の中でも言われている。楞厳經(りょうごんきょう)にも言葉あり

『いかなる笛笙箜篌(てきしょうこうこう)琵琶鐘鼓(びわしょうこ)も、妙なる指を持つ者でなければ、たえなる音を奏でることはない』

と、われ今かれに一声喝して、眞(まこと)の和尚であるか、假(いつわ)りの和尚であるか看てみよう」

 如何にも事理に通じた言葉に、大師は堪り兼ねて眼を開け、口を開いて答えました。

「汝、眞なれば全てが眞である。汝、假(いつわ)りなれば全てが假りである」

 この大師の返答に対してすかさず

「和尚は何処から来られたのか」

「私は眞空寺から来ました」

 宗横は、大師の言葉が理解できず、訝しそうな顔をしておりました。

 大師はこれを見て心ひそかに-この人は事理を弁えた男ではない、こちらが悪く言えば必ず悪く反応し、善く言えば彼もまた善く言うであろう。よし、この人の心を考(ため)してみよう。もし彼に良い反応があれば、良い機會を与えてあげよう。暫く小さな事を話して彼に聞いてみよう、もしも私を信じ認めることができたならば、更に道理を話してみよう-こう考えた大師は、宗横に向かって慇懃に

「先生、私を深くお見知りおき願います」

と言うと、宗横も丁寧に言いました。

「和尚は果たして何処から来られたのですか」

「来たる所から来たのです」

「それにしても定めし一つの足場があり、身を安んずる所があるはずです」

「私の出身の所を問いたければ、恩を深く得たところを家としております」

「それにしても、自分の住む所があるはずです。何処から身を起して此処へ来られたのですか」

「私は雲遊の僧ですから、定まった所はありません」

と答えて、大師は偈を吟じました。

「東より来たり西に去り憂愁なし、天下四部洲を雲遊す。

 わが身何処に帰るを問わば、常に双林に在りて寂滅を修む」

 大師の偈を全く解することができない宗横は、畳み掛けるように

「では、汝の姓名は何と言うのか」

「私の姓は性であり、名は王であり、字(あざな)は空明(くうみょう)であります」

 すると宗横は、言葉を荒げて

「百家姓を読み通し悉く誦(そら)んじているが、その中に性と言う名字は無い」

「あなたは、ただ百家姓を知っているだけで、自家性を知りません。私は思うのですが、当初開天闢地の時、まず一點の眞性がありました。男女とも、少しも欠けることはありません。この一點の眞性、一人一人が誰もが持っております。個々に無いと言うはずはなく、蠢動しその中に霊を含んでいます。

 全てに佛性があるのですが、今のように五行の中に投ぜられて面貌が同じでなく、言語も各々別があって、それぞれの姓名に違いが生じただけです。今のあなたは、どうして眞を認めず、かえって假りを認めるのですか」

 宗横は、ますます大師の言葉を解することができず

「和尚。私に眞実の事を説明してください。あなたは何処から来て、何処へ行くのか明らかにされたい」

「汝が是非とも私の来た道と行く道を追問されるのなら、お答えしましょう。私の道は末後一着であります」

「山に登るならその頂きに到るべきであり、海に降るならその底に到るべきである。故に、あなたの水の窮まるところ、山の尽きるところ、即ち一つの落着の処を問い質して私は息(や)みません」

「それ程まで言われるのでしたら、私の本当の来意をお話ししましょう。全ての事をあなたにお知らせしましょう。私は実は泗水国(しすいこく)の人間であります。特にこちらに来ましたのは、道を訪れ、修行したいためです」

「どのくらいの路程でここへ来られたのですか」

 大師は即座に答えて、「十萬八千里です」

「どの位の期日を經て、此処に来られたのですか」

「わずか一時辰を費やしただけで、此処に到着しました」

「どうして、そんなに早く歩けるのですか」

 大師は宗横が余りにも無智であることに呆れ、もう少し誑(たぶら)かしてから眞意を明かそうと思われたので、

「私は、むしろ遅いくらいに思っています。私の泗水国には達摩大師という和尚がおりまして、彼なら半刻で十萬八千里の路程を歩むことができます」

 宗横には問う意味が別にあったのか、話題を換えて言いました。

「あなたは何の用事があって、こちらへ来られたのですか」

「久しく東土に道を体する人がないと聞いていましたので、私は傳道教化の修行をするために来ましたが、どうしたことか私のような明眼の高師がここにいるのに誰も知ってくれません」

 宗横はむっとして、

「あなたに、どのような道があり、どんな修法があって、ここで傳道しようというのか」

 大師は平然として

「私は湖海を雲遊する者ですから、何の修法もありません」

「修法もない者が、何をもって傳法しようとするのか」

「暇な時には清浄を守り、倦きた時には何処かへ行って眠り、飢えた時には一椀の飯を喰らい、渇した時には一瓶の泉水(みず)で足ります。誰でも佛になりたければ自分で勝手に佛になればよいし、誰でも仙人に任じたければ自ら仙になればよい。滔々たる風波が起これば艄公(しょうこう。船頭)は船を出さなければよいことで、全て自然に任せることです」

 大師はこのように、大道の玄機奥妙を言葉に託して宗横に説きましたが、宗横は惺(さ)めて悟ることができません。大師は、言葉を続けて

「私は、こちらへ来て早一年半の光陰を過しましたが、誰一人として私を師として拝む者がおりません」

 これを聞いた宗横は、吐き捨てるように

「誰があなたのような、一竅不通の者を師として拝する者がおろうか」

 大師は、言葉を返して

「それは、あなた自身が一竅不通であることを恐れるだけで、正にあなたが一竅を得て通ずれば、超生了死も難しいことではなく、必ず佛を証し眞人となることもできましょう」

 宗横は、この言葉に腹を立て声も荒げて

「あなたとは話したくない。勝手に行きたい所へ行くがよい」

「来た時は只一条の正路でしかなかったが、去ってしまえば千萬の門戸が生まれるでしょう。去(い)きたくても、どうして私が行けるでしょうか」

 しかし大師は、此処でこの人とこのまま別れたら二度と度(すく)うことが出来ないだろうと考え、言葉を換えて

「今はただ先生のご指導をお願いするだけで、それが私の千年の修行にも勝るものと思います。お怒りにならず、お教え下さい」

「もしも私とあなたが同じ宗教ならば、あなたを指導するに否とは言わない。しかし、あなたは佛教であり、私は道教である。何をもってあなたに話せばよいのか」

「先天におるときは、佛教・儒教・道教は原来一家であり、現在では人が勝手に三教に分けただけで、どうして別々の理がありましょうか」

「もし、あなたが是非とも教えよと言うのならば、救わないこともない。それには、先ずあなたが私を師として仰がなければならない。それができますか」

大師は、心の中で暫く考えました。-若しも私が彼を師として拝まなければ、恐らく彼を導いて進歩させることができないであろう。しかし。私が彼を師として拝むとすれば、彼の罪を重くさせるだけだ、しかし已むを得ない、水流が急であれば船を岸に着けるほかない、船を竿の差し易い所まで持って行こう-こう決断した大師は、静かに宗横の前に進み

「師父、私はわざわざ雲遊して此処まで来ましたが、香燭に欠け、全礼を尽くすことができません。深くお詫び申し上げます。弟子は土を取って香とし、あなたを拝して師といたします」

 これを聞いた宗横は、すっかり得意になって

「全く、あなたの言うとおりだ」

「では師父様、上座にお上がりになって弟子の礼拝をお受け下さい」

 宗横は、何も気付かず、得意満面となって自分が尊いと自負し、乞われるままに布団の上に端然と坐り、大師の九拝を受けました。

(一)八部龍神の怒りを鎮める

余りにも尊大な宗横の態度に怒りを発した八部龍神は、物をも言わず、宗横目掛けて打ち掛かろうとしました。これを見た大師は、急いで心の中で偈を作り、八部龍神の怒りを鎮めました。

「君子は暫し貧しくとも、また礼あり、

 小人は富さえすれば、容易く心を欺く。

 八部の天龍、空中に怒る。

 傳道の祖師は来人を拝す。

 人の便宜を得るためにして、歓喜するなかれ。

 遠ければ来生にあり、近ければ身辺にあり。

 九玄と七祖は地獄に罷(しりぞ)け貶(おく)り、

 歴代の先亡は幽冥に墜つ」

 大師は、双膝を跪いて天を拝みました。何も知らぬ宗横は、礼拝を終えた大師に

「弟子よ、立ちなさい。我は今、汝を弟子として受け入れよう」

 大師は膝を着いたまま

「師父に少し佛法の道理をお伺いし、明らかな開示を待って、始めて立ちたいと思います」

「本来あなたを救うまいと思っていたところが、僧の顔を見ず、佛の顔を見てあなたを弟子として受け入れた。あなたはただいま皈依したが、私が本来入門したのは道門であり、修めたものも道祖の道であり、体したところも道祖の理であるから、当然三清五行に従うべきで、これをもって正しい理とするところである。貴方が髪を剃って僧となったことに免じて、三皈五戒を傳えよう。決して師の眞傳実授を忘れてはならない」

「どうして従わないことがありましょうか。私は必ず三皈五戒を承受したいと存じます。決して師の眞傳実授を忘れはいたしません」

「汝は先に三皈を受け、後に五戒を受けなさい。佛に皈依すれば地獄に墜ちず、法に皈依すれば餓鬼に墜ちず、僧に皈依すれば輪廻に墜ちることがなく、法輪は常に転ずる。今汝に功三千、果八百に盈つる法を傳授することができた」

 宗横は自信に満ちた声で、「では弟子よ、立ち上がりなさい」と言いました。

「弟子は、立ち上がることができません」

 宗横は、不思議そうに大師の顔を見ながら

「どうして立ち上がることができないのか」

「それは未だ弟子に明らかに開示してもらっていないからです」

「私は既に汝に明白に開示したのに、どうして明らかでないと言うのか」

「弟子の泗水国でも、また三寶に皈依することがありまして、あなたが皈依するところと私が皈依するところは、音が同じでも字や意味は全く同じではありません」

「では、汝の国の三寶に皈依するとは、どのようにするのか」

 大師は、おもむろに一礼して

「どうぞ師父様、寛いでお坐りになり、弟子の詳細な説明をお聞き下さい」

 宗横は、苦虫を噛み潰したような顔で、仕方なさそうに坐りました。

 (続く)


新エネルギーとは

2014-05-28 21:18:08 | 道・真理・ Deshi A

2014年5月28日 

中東のドバイは、一時の勢いを失いつつ、なにかにつけ世界一のものを目指して派手なパホーマンスが行われています。実際面の中東経済はアメリカとその石油経済に連動して変革を余儀なくされています。今後どうなってゆくのか、最も顕著でわかりやすい例は日本の近代です。1970年代から急速な経済成長を遂げてきた今の日本に残っている残骸は、膨大な公務員の人件費と公共施設の維持費そして農協や基幹産業・中小企業への垂れ流しの補助金・助成金制度と毎年の莫大な税金をかけ続けてきた構造物の残骸です。そして放置されたままの東北大震災の残骸です。

もし、ここで新エネルギーが普及したとします。どのようなことになるでしょうか。例えば農業の場合、燃料費が安くなると生産物の原価が下がりますが、不景気で乾いた砂漠に水をこぼすように生産者がその利益を吸収します。農協・公設市場・仲買問屋・運輸・流通などなど枯渇した市場に瞬く間に吸い込まれて,消費者はやはり生活が維持できる範囲で競争原理が働き消費を煽られ搾取されます。

長い間の高度経済成長路線より人々はみな目先の利益に走るよう洗脳されているため、巨大な魔窟の中にいることをすっかり忘れ、いかにも自分が時代の波に乗っているような錯覚をおこし、国益優先の考えや個人主義の都合のいい解釈などとあいまって、自分の利益を優先し、更なる手の込んだ悪風潮を作り出します。もし新しいエネルギーが普及しなければ、今の行き詰った経済が打破できず崩壊に向うと思い込ませ、エネルギー問題を隠れみのにして国家などにこびりついている旧僻は一息つくことができます。今地方のほとんどの自治体も膨大な借金を抱えて運営が困難な状態にあります。やがて驚くような歴史と隠蔽されていた社会の闇を知ることになります。国や企業のためのまやかしが横行しなければそれだけ早く社会の闇は白日にさらされるようになります。 

ここでちょっと思い出してください。隣国の韓国が経済破綻しIMFが介入し倒産会社の再生のように国家ぐるみの経済再生が行われ「ハンガンの奇跡」と言われるほど経済発展を遂げました。当時のこのプログラムを仕掛けたIMFは、まだ解体前の世界の闇の金融組織です。もし経済の根本が変わったとしたら、なぜ人間の体に良くないとわかっている電気による新エネルギーがもてはやされるのでしょう。今までの社会の仕組みが急速に転換できないことも大きな原因ですが、何よりも人々がまだ本当の自分とその生活の豊かさを理解できないために、こういう矛盾した状態を経験しなければならないのかもしれません。もう新しい世界の準備は出来ているのに人々がそれを望んでいないのです。

社会の変化を見定めるには、まず自分自身がどういう生活を望むのか、常に自分と向き合わなければなりません。メッセージでは最終的に人類の理想は「原始の生活」になると言っていますが、便利な現代社会の中で何を原始の生活というのか、その理想生活をどう創造してゆくかとても戸惑います。

もう一度よくよく考えてください。今の話題の新エネルギーは電気エネルギーです。電気エネルギーの電磁波は体に良くありません。高圧線や電子レンジはもう証明済みでヨーロッパ・アメリカでは大きな社会問題になっています。また電気自動車の電磁波問題も先進のカルフォルニアなどでは問題になっています。これからの時代どのようなプランでも人間の体にいいか悪いかを基準に考えてなくてはなりません。それはすなわち地球によい環境を創造することになります。電気に変わる無公害のエネルギーがすでに開発されています。今の電気産業で生活をしている人々全ての人が安心して参加できる新しい仕組み、そして、傷んだ体が健康を取り戻すような電気に変わる新しいエネルギーを選択する必要があります。

目先の先導に一喜一憂する悪習慣から脱し、人類創成の原点に還るため、旅立ちの朝を迎えています。

NEW SEED 2014 Digより転載


道の淵源~達摩大師伝『上巻』(四)

2014-05-25 00:20:58 | 達磨寶巻

達摩大師伝『上巻』(四)  

六.神光、大師を追い、断臂して道脈を継ぐ

神光は、旅の和尚が語ったとおり、大師は熊耳山(ゆうじさん)に居られるに違いないと確信しました。そう思うと矢も盾も堪らず、神光は熊耳山目差して韋駄天走りに駆け出しました。

昼夜を分かたず飲まず食わずの行程を重ねて神光は、ようやく大江(おおかわ)に辿り着きました。ところが上流にも下流にも、その川には橋が全く見当たりません。しかも川幅は広く、水量豊かで波荒く流れも早いため、尋常な事では渡る術はありません。

 神光は思案に暮れて川岸を行ったり来たりしながら辺りを見廻しましたが、人っ子一人おらず、渡る舟もありません。大師は本当にこの川を渡って熊耳山に行かれたのであろうか。別の所に行かれたのではなかろうか。心は焦るばかりで、神光は進退谷(きわ)まってしまいました。

 一方大師のほうは、神光が来ることを知っておりますから、熊耳山でずっと面壁して待っていました。しかし神光に来る機會を与えなければならないので、一人の漁翁に変化(へんげ)し、大江に小舟を浮かべて釣り糸を垂らしていました。

神光はこれを見付けて、相手が大師であるとは識(し)らず、必死の思いで

「願わくば、私を向こう岸まで渡して下さい」

と何度も繰り返しましたが、漁翁は少しも慌てず、ゆっくりと舟を岸に着け、再び神光の用件を訊きました。

「老翁よ、是非私を向こう岸へ渡して下さい」

「岸遠くして江深し、舵を取る人尋ね難し。自己渡(ど。救霊)し難きに、豈(あに)敢えて客賓を渡せんや」

と、大師は詩に歌って答えました。

「他に渡った人がありますか」

「以前一人の老僧があって、葦の葉を千切り、それを踏んで川を渡って行きました。その時は風も凪(な)いで波浪もなく渡り易かったが、惜しむらくは、あなたは時を錯(あやま)りました」

 神光は慇懃に漁翁に向かって

「私が時を錯ったのは、舟に乗る時だけではありません。江を渡ったと言う、その老僧との遇り會いも錯ったのです。今は後悔してなりません。ところでお伺いしますが、その老僧は再び江を渡って帰って来られましたか」

「いや、彼はきっと熊耳山の洞窟で坐行しているでしょう。私は朝夕ここを離れていないから、帰っていないことに間違いありません」

 神光は、大師が山中に居ると聞いて心忙しく火が燃えるようになり

「是非とも、今直ぐ江を渡らせて下さい」

と拝み頼みました。漁翁は神光の達摩を求める心が切々であるのを見て、初めて江を渡らせようと心に決めました。神光を小舟に乗るように導き、暫くの間目を閉じ精神を凝り固め心を澄まして静坐するように言い付け、そして神光を向こう岸に渡しました。

 神光は舟から降りて漁翁の眞心に感謝し、贈る物がないのでただ言葉で許しを乞いました。

「迷っているときに、あなたは私を渡(わた)しました。私が目覚めたときは、あなたを渡(ど)します。恩を頂けば当然これに報いるべきであるのが、眞の循環の道理です。有難うございました」

 謝辞を述べ終えた神光は、ひたすら熊耳山の頂上を目指して登り始めました。ようやく洞窟に辿り着くと、大師が壁に向かって黙然と坐禅をしている姿が目に入りました。神光はその後姿に向かって四礼八拝しましたが、大師は振り向きもせず端然と静坐し巍巍(ぎぎ)として動かず、口を開こうともしません。神光は、ただ後ろから俯伏し、大師を拝んで告げました。

「弟子、肉眼凡胎なるが故に大師が西より来られたことを識らず、冒した一切の罪過は、まさに雷霹に値します。伏して至尊にお願い申し上げます。慈悲を以って私の罪をお赦し下さい」

それでも大師は、長い間相手にしようともしません。神光は再三再四哀願して、言葉を続けました。

「神光、地に跪き、涙は顎に満ちています。師よ、怒りを息(しず)め心を寛(ひろ)くして下さい。肉眼なるが故に、西来の御僧を識らなかったのです。只々お願い申し上げます。至尊よ、私の罪をお赦し下さい」

 神光は、一昼夜懇願し続けました。時は十二月九日で寒気厳しく、夜に入ってから大雪が降り出し、神光の全身は雪に覆われました。それでも大師が快い返事をされないので、神光はそのまま動かず、じっと立ったままでいました。夜明け頃には、雪が積もって腰まで没してしまいました。神光は更に言葉を続けて

「昔の人は、道を求めるのに『骨を敲(たた)きて髄を抜き、血を刺して飢えを救い、髪を布(し)いて泥を掩い、崖に身を投じて虎を飼う』と申しましたが、古にあってもなお斯くの如しです。私は、また如何すればよいのでしょうか」

 今はもう涙も涸れて声も出ません。老僧はそれを見て、初めて哀れみ

「汝、久しく雪の中に立って、まさに何を求めようとするのか。洛陽はよき道場ではないか。三蔵の經典も口に任せて話せる汝が、どうしてわれを趕(お)いかけてここまで来たのか」

 神光は、これを聞いて、恥ずかしさと悲しみで頭を地に摺りつけ

「ただ願わくば、大師の御慈悲を以って以前の言葉をお忘れ下さい。眞(まこと)の人と別れては、何も求めることができません。どうか甘露の門を開いて、群品(ぐんぼん)を度して下さい」

「諸佛の無常の妙道は曠劫(こうごう)に精勤し、行じ難きをよく行じ、忍び難きをよく忍ぶに、どうして小徳・小智、しかも軽信慢心をもって眞常を願おうとする。徒に勤苦に労するのみである」

「是非とも師の心法を傳えて頂かなければ、六道の輪廻を解脱して三界を超越できません。私の寿命は既に尽きたので、どうぞ生死の道からお救い下さい」

 大師は心の中に憫みの情を起こし、偈(げ。詩)を詠じました。

「心に清静を求めても、清静を得ることはできない。

意は安(安閑)を欲しても、安なることはできない。

愚かな心では、三界を超え難いであろう。

妄意を存すれば必ず深淵(地獄)に墜ちる」

「弟子は敢えて愚かにも、佛祖に成就したいと妄想してはおりません。実は自己の性命は終え難く、閻君は免れ難く、地獄は躱し難いが故であります。大師の坐行を乱していることはよく存じておりますが、如何ともし難く、ただ師の御慈悲を以って御指示を垂れ賜わんことを願います」

「正道を求めんと欲すれば、すべき事として先ず左旁(さぼう)を去れ。紅雪が腰に斉(揃)うのを待って始めて傳授しよう」

 神光は大師の言葉の中の左旁を左膀(臂)と聞き違え、戒刀をもって自らの左臂を断ち切りました。血は吹き出して全身を染め、辺り一面の雪も紅に染めました。大師はこれを見て大いに慈悲心を動かされ、また神光が正しく法器であることを知り、急いで自分の袈裟を裂いて神光の左臂を覆いました。その瞬間に血は止まり、痛みもなくなりました。大師は、賛嘆して

「われ想うに、東土の衆生に既にこのような心念を持つ者が出た。全く、眞傳を受けさせるべきである」

と言い、神光に「直ちに洪誓(こうせい)の大願を立てるよう」命じました。神光は三歩退って衣服を整え、跪き天に向かって誓願を発しました。

「想うに父母生養の大恩は、身を殺しても報いることはできません。天地の覆載(ふくさい。天地の創造)を蒙り、日月照臨、皇王水土の恵みを享け、至尊の厚き教誨(おしえ)、種々の深き恩、何によって報答できましょうか。もし誠ならずして至道を求めれば生死を脱することはできず、五恩(天地覆載の恩、日月照臨の恩、皇王水土の恩、父母養育の恩、聖師傳法の恩)に報いることはできません。一生を虚しく過して六道四生に墜ち、どうして再びこの奇縁に遇り會うことができましょうか。よって即ち天神の監察を乞う。弟子、道を求めて若し二意あり、師を欺き祖を滅することがあれば永遠(とこしえ)に地獄に墜ち、超生を得られません」

 大師はこの言葉を聞いて

「善哉(ぜんざい。よいかな)、善哉。正しい道を修めんとするには、先ず左道旁門を去れと言うことである。しかるにどうして左膀を切り落としたのか、危うく残生を誤るところであった。紅雪が腰に揃うとは、要するに心の誠を験していることに他ならない。今後汝はこの紅袈裟をもって後世に留め、人々を警(いまし)めよ」

 更に大師は

「吾本(われは)、茲(こ)の土(ち)に来たる。法を傳えて迷情を救う。

一華は五葉(禅宗五家)を開き、結果は自然に成る」

の偈を示して神光を呼び

「汝の智慧良可なるによって、これより汝を慧可(えか)と名付けよう」

と言われました。神光(以下、「慧可」とする)は、大いに謝恩してこれを受けました。

 (続く)