道 (真理)

道は須臾も離るべからざるなり 離るべきは道にあらざるなり

道すなわち真理~佛典・聖書の記述

2014-12-19 14:54:20 | 道・真理・ Deshi A

2014年12月19日

ヨハネ 福音書14章6節 「吾は道なり真理なり性命(いのち)なり…」で、吾(釈迦の吾一人尊しと同じ意味)は、キリスト(救い)でありそれは十字架であり、すなわち道であり真理である。とありのまま伝えています。古来「十字」は顔面で切っていました。真理は顔面に十字架を当てて、タテヨコの交わるところであると伝えています。



弟子スプーティ問「解脱に至る道は、どのような道でしょうか。」釈迦曰「解脱に至る道によって解脱を得るのではない。また道でないものによって解脱を得るのではない。スプーティよ、解脱がそのまま道であり、道がそのまま解脱である。一を得ることが、その一切である。解脱とは一味の境地である

眞の道は、口を以て伝え心に印し刻むもので、もし汝が実相を観、靈覺の境界へ到達したい念があれば、一切の諸法と文字を離れ、着想と執念を捨てて人心の真諦を直指しなければならない。しかる後に本性を観て成仏できるであろう。

達磨大師が神光(慧可―禅宗の開祖)に「神光よ、眞伝は文字をあさって得られるものではない。自らの心霊に明師の面授と指点を受ける必要がある。紙上に画いた餅は食べられないのと同じように紙上に書かれた法は因果から逃れ輪廻転生の路から解脱する事は出来ない。

釈迦が摩訶迦葉に「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、これを摩訶迦葉に附嘱す」【粘華微笑・玄嚢鼻直】経典には書いていない「一指相伝の秘法」を伝えました。

「道」すなわち「真理」を得たものは修道することにより、七次元へ遷移する縁と機会が与えられています。3.11で2万の人が五次元遷移しました。つまり三次元でいう「死」を伴う遷移ですが、まだそれを理解できる意識レベルにいたっていないため、それぞれにおいて選択の方法があったり、時期が明確でないことが説明されています。もう一点重要な機密は、「五次元は永遠ではない」と言うことです。五次元は、これから約1万年後までには消滅しますので、五次元に遷移してそこで本格的で高度な学びと修道をして「道」を得なければ七次元に遷移できません。五次元に入ったそのほかの者は、また選択して5百年以内に三次元に「道」を得るため戻ってこなくてはなりません。

古来、この世で多くの聖賢が難行苦行の末「道」を求めたのはそのためです。そして、命掛けで慧命を継承してきました。宇宙の存在、あるいは地底の存在(法華経の十五品で説かれているように五次元アガルタの聖なる者)が地上にあらわれ、人類と一緒に修道するのも、七次元に遷移することのできる「道」を得るためです。宇宙の多くの存在が人間として肉体を得てこの世に生を受け、今この大事な時期に自分の役目を果たし目的を達成しようとしています。

地球の人口が70億人にも膨らんでいるのは、宇宙の存在が大量に人間として生まれてきているためです。人間として肉体を得なければ「道」を得られないという物理的な機密があります。さらに重要なのは、古来聖仏・菩薩は、この世の「すべての人々を救う」という誓いをたて降世してきています。2012年12月21日の変化に関係なく、この世において死ぬまで人々を救う使命があると思う者は、この世に残る選択をします。その者はそのように自ら望んで生を受けています。

 Deshi A


道すなわち真理について~釈迦略伝 (一)前生

2014-12-19 03:22:16 | 釈迦略伝・釈迦因果経

2014年12月19日

この世界は3次元ですが、小さい時から異次元体験をしたことのある人は以外に多いと思います。もともと人は4・5次元の存在ですがだんだんと密度が濃くなってもう忘れかけていたところです。

今回から6回に分けてお釈迦様の伝記を掲載します。お釈迦様が実際どのような方でどのようにして真理を求めたか、その要点が記されたものです。歴史的な証拠や遺稿を参照して様々な釈迦伝説がありますが、本編は天界の高次元の仙佛が実際の物語を伝えるものです。

夢と思っている現実の世界、あるいは現実と思っている幻の世界が交叉している物語のようですが、真実の物語というのは天命に添った生き方、その人が役目を果たすために歩んできた道のりです。私たちは多次元の存在です。.あらためて過去の聖人の歩みをたどりながら、聖人の人生から真理の重要性について汲み取っていただきたいと思います。

釈迦略伝

     大英博物館所蔵 お釈迦様の画像

(一)前生

お釈迦様の前世は、歌利王(かりおう)にご体を切り裂かれた故事があります。

ある時、歌利王が多くの妃や宮女を引き連れて山に狩りにゆきましたが、疲れて山で休んでいるうちに眠ってしまいました。しばらくして目を覚ますと、連れてきた多くの妃や宮女は一人もおりません。山をあちこち探し尋ねると、一つの山洞があり、妃や宮女はその山洞の前で僧侶の説法を聞いていました。歌利王は大いに怒り、僧侶に向かって「汝は婦女をなぜここに誘ったのか」と責めたてました。

僧侶は「われは実に無欲なり」と答えました。すると王はまた「いかにして、汝は色を見てもなお無欲と申すや」と詰問しますと、僧侶は「持戒あるのみ」と答えました。王はまた「何を持戒と申すや」と問いますと、僧侶は「忍辱なり」と答えました。王は「忍辱と聞くやいなや大怒りして刀を抜き僧侶に切りつけ、「汝に問うが痛かろう」というと、僧侶は「実に痛からず」と答えますと、王はますます怒り僧侶の身体を切って節々に分解しつつ「汝に問うが我を恨むや」と問うと、僧侶は「既に無我なり、いずこより怒りや恨みが来たるや」と答えました。

この時、四天王が震怒し一時に強風が起こり、石や砂が飛んで天龍八部が一斉に護法しました。僧侶の分解された身体はまた元通りになりました。

歌利王は大変恐れて僧侶の前にひざまずき、伏してあやまちの赦しを請いました。僧侶はただちに王に代わって、天に赦しを求めました。するとまたたく間に天気は晴れわたりました。そこで王も改心し善功をつむことを誓いました。

僧侶もまた「もし成仏することを得られれば、我まさに汝を先に度す」と発願しましたが、その僧侶こそが後世の釈尊でした。歌利王はすなわち五百世後お釈迦様誕生の時の憍陳如(ぎょちんにょ)でした。

憍陳如はまた阿若憍陳如(あにゃぎょちんにょ)ともいい、中印度迦比羅城(かびら城)のバラモン種族に生まれました。卜術(占い)に長じ、お釈迦様誕生の時も、いち早く召されて卜を占なったことがあります。

その後お釈迦様が出家して、尼連禅河畔の山中で苦行された時、憍陳如は実にお釈迦様に随侍していた5大弟子の一人でした。

次回は「降誕」

 

Deshi A:

僧侶の請願「もし成仏することを得られれば、我まさに汝を先に度す」について

成仏というの、死んで極楽浄土(極まりのない世界)に行くと考えられていたことですが、僧侶は「もし得られれば」と言っています。これは功徳に対する天の裁量であることは勿論ですが、当時は”もし”というほど稀有なことのため厳しい修行、をしていました。何百世(何百回も生まれ変わった後)の輪廻の苦行をへて、これから先もそういう覚悟の中で必ず成し遂げるという誠心からの請願に人の縁の尊さを実感します。

お釈迦様が5百世後、菩提樹の下で真理を得ましたが、同じく5百世後お釈迦様の5大弟子として生まれ変わった憍陳如に「まず汝を先に度す」という当時の約束を果たせたかどうかはわかりませんが、少なくともお釈迦様という師を得た憍陳如はやがて成就する機会が得られたろうと思います。 

お釈迦様が16年の苦行の後、菩提樹の下で金星(明星)の灯をかりて通りがかった燃灯佛という師から「真理」を得て、後に弟子の中でただ一人摩訶迦葉という弟子にこの真理の秘法が伝えられました。