平凡カメラ
デジタルカメラ Canon EOS による気ままな写真生活です。
 



この夏に、47年前の欧州紀行の写真を紹介しましたが、それから約30年後の2001年にスイスとイタリアを訪れた際の写真を紹介したいと思います。

カメラ:CANON New F-1、
レンズ:CANON FD50mm f/1.4、CANON FD35-105mm f/3.5、FD70-210mm f/4.0

ミラノは一泊しただけで、翌日は簡単な朝食をそそくさと済ませ8時前にはバスでヴェネツィアに向かって出発。
でも出発前のわずかな時間でも、ホテルのロビーでブラブラするのももったいないので、近くの道を歩き回りました

この写真の場所の何に興味を持ったかというと、左側に出ている看板にハングルが2文字、その下にGAYAとあって、レストランのようです。
約30年前の欧州ツアーではハングル文字を見た記憶が一切ありません。
で、今になってGoogleストリートビューで見ると、このお店、現在もちゃ-んと存在しているようです。しかもハングル文字のほうがはるかに大きくなった看板で。


最後に撮ったのは、またしても地下鉄の駅の入り口



アウトストラーダの途中で見かけた棄て家。農家だったのか街道沿いのホテル・レストランだったのかは分かりませんが、手前にはブドウ畑が広がっているのに廃墟とは、と関心を呼び起こしました

アウトストラーダができて古い街道沿いが寂れたという印象ですね。


ブドウ畑の向こうには赤い屋根の集落。小高い丘の上にも集落の中心らしき場所にも尖塔付きの建物。片方にだけ十字架がついているところを見ると、左は昔の領主の館、右が教会というところでしょう

こんな風景がアウトストラーダには点在していて見飽きません。


で、まあ、ヴェネツィアに無事着いたというわけですが、島内には(安い料金のツアーだったので)泊まれず、手前のメストレのホテルにチェックインし荷物を預けてからの到着でした



ヴェネツィアでゴンドラを撮っても面白くも何ともありませんので、狭い水路の橋とか、さらに狭い無数の路地の頭上とかをせっせと撮りました






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この夏に、47年前の欧州紀行の写真を紹介しましたが、それから約30年後の2001年にスイスとイタリアを訪れた際の写真を紹介したいと思います。

カメラ:CANON New F-1、
レンズ:CANON FD50mm f/1.4、CANON FD35-105mm f/3.5、FD70-210mm f/4.0

インターラーケンを離れて次に向かったのは、イタリア、ミラノ。

途中、日本では絶対に体験できないバスごと列車に乗るピギーバック輸送を体験したり、ツアーのメンバーがインターラーケンのホテルにパスポートを置き忘れて、添乗員嬢が大わらわになったり、特急列車に乗り換えてから、1982年に大清水トンネルが開通するまでの76年間、世界最長の鉄道トンネルであったシンプロントンネル(子供の頃に、その長さが当時の日本最長トンネルであった清水トンネルの約2倍の20㎞弱と知って、深く記憶に刻まれていましたので、それを通り抜けると知った時はちょっと感激しました)を通り抜けたりと、あれこれの出来事があったのですが、車窓からの眺めに目を奪われるばかりで、全く写真を撮ることなど忘れていました。

というわけで、イタリア訪問最初の地であるミラノですが、その29年前の欧州ツアーと同じく、気になったのは地下鉄の入り口でした



ミラノに着くとすぐにスフォルツァ城、ミラノスカラ座、ガレリア、ミラノ大聖堂を団体で見学して回りましたが、撮った写真を後で見直すと、少しも感動が湧いてきません。
それよりも地下鉄の入り口を撮っておいて良かったと今になって思います



もう一つミラノでの写真で、今になって撮っておいてよかったと思えるのは市電です



なんといっても車両が、浮世離れしたクラシカルな、まさに歴史的遺物である上に、走る路面が中世以来の石畳の道とあっては、もう無敵と言って良いほどの鉄道風景です



日本の鉄道写真マニアは、もっとこういうものにも目を向けなければダメでしょう。長大レンズ付きの一眼レフと巨大な三脚を据え時刻表をにらんで決定的瞬間を狙ってばかりいたら、日常の中にある歴史的な文化を掘り起こすことなんて出来っこありません

ミラノには新しい車両も当然走っていますが、モダンさよりも歴史的な街並みとの調和を図ったデザインで、こうしたものを見ていると、日本の近現代文化の薄っぺらさを改めて思い知るのです。

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この夏に、47年前の欧州紀行の写真を紹介しましたが、それから約30年後の2001年にスイスとイタリアを訪れた際の写真を紹介したいと思います。

カメラ:CANON New F-1、
レンズ:CANON FD50mm f/1.4、CANON FD35-105mm f/3.5、FD70-210mm f/4.0

クライネ・シャイデックへ上る登山電車



クライネ・シャイデックでも窓辺には花がいっぱい



広い広い山裾に点在する家々

こうした景色を眺めていると、日本の中央の山脈を日本アルプスなどと呼んでいますが、その山塊を取り囲む景色は似ても似つかぬものだと改めて痛感します


ユングフラウヨッホまで行きスフィンクス展望台にも立ちましたが、絶好の天気だったのに滞在時間が限られていたため、眺望を楽しむのに夢中になり、写真を撮ることなどそっちのけになりました。
かろうじて数枚撮った中のアレッチ氷河の景色



クライネ・シャイデックの駅



クライネ・シャイデックで昼食休憩。時間に余裕があったので駅近くの小高い丘に登り、アイガー北壁を背景に駅周囲を撮る



この電車の塗色は16年後の現在も変わっていないようです



グリンデルワルトからインターラーケンへの帰路。車窓からの景色はやはり広大な山裾の連続



花また花の家々



1970年のスイス紀行では窓辺の花は圧倒的にゼラニウムが多かったのですが、この頃にはペチュニアがたいへん多くなっていて、どうやらサントリーが開発したサフィニアも流行っていたのではないかと思われます


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この夏に、47年前の欧州紀行の写真を紹介しましたが、それから約30年後の2001年にスイスとイタリアを訪れた際の写真を紹介したいと思います。

カメラ:CANON New F-1、
レンズ:CANON FD50mm f/1.4、CANON FD35-105mm f/3.5、FD70-210mm f/4.0

ベルンを後にして向かったのが、この日の宿泊地インターラーケン。

この時の旅行で驚いたことの一つが、自転車旅行者の多かったこと

ベルン~インターラーケンを走るバス車中から何回も見たのが、こうしたグループで走行する自転車でした。
山岳地でも道路は良いので、自動車はけっこうなスピードで走っていますので、ちょっとおっかないような気がします。


インターラーケンの宿泊ホテルは実にビジネスライクなホテル。その部屋の窓からの眺め



夕食まで部屋でじっとしているには、あまりにも退屈な眺めなので、ホテルからほど近いヘーエマッテ Höhematte 公園に行ってみました

正面の遠くに見えるのがどうやら翌日向かうユングフラウ。


公園のはるか上空を悠々と飛んでいるパラグライダーは、この近くの山に登って飛び立ち、最終的にインターラーケンの市内の公園に降りてくるようです



翌朝早く、ユングフラウへの日帰り旅行に出発する前に街をブラブラ



ユングフラウに向かって出発。ホテルからオスト駅へは徒歩で移動。どこでも花がいっぱい

観光シーズンのスイスはどこでも花がいっぱいでしたね



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この夏に、47年前の欧州紀行の写真を紹介しましたが、それから約30年後の2001年にスイスとイタリアを訪れた際の写真を紹介したいと思います。

カメラ:CANON New F-1、
レンズ:CANON FD50mm f/1.4、CANON FD35-105mm f/3.5、FD70-210mm f/4.0

47年前にも見ていたはずなのですが、写真も記憶も残っていないベルン旧市街のランドマーク、西門のツィットグロッゲ Zytgrogge=時計塔の意

スイス内を移動中、やたらと大きな時計塔をあちらこちらで見たので、あえて撮る必要もなかったのですが、西門の向こうの景色が気になって。


これも47年前に見たという記憶がすっかり抜けていた、旧市街の主な個所にあった(荷馬車の)水飲み場の彫刻像の柱






こちらは建物の装飾らしいですが、見た瞬間は河童を連想しました



この日は朝9時にチューリッヒを発って、ルッツェルン~ベルンと観光し、17時にはインターラーケンに着くという、(おそらく210km以上の)バス旅でしたので、ベルンでの自由行動はわずか45分間しかなく、本当はこのような旧市街の細い路地などを散策したかったのですが、残念でした



それというのも昔に比べて圧倒的に増えた観光客のためか、旧市街の主要道路は観光馬車は闊歩するわ、路上駐車がやたら多いわ、ラフすぎる服装のアメリカ人らしい観光客が道のあちらこちらに行儀悪く座り込むわで、とても世界遺産を楽しむどころの騒ぎではなく、すっかり観光ずれした俗っぽい街になってしまっていたからでした

細い道を選んで歩けば、まだ昔の雰囲気を残しているものの、心配性の家人が集合時刻の何分も前に自由行動を切り上げたがったため、未練を残しつつ細道探訪をあきらめたというわけです。

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この夏に、47年前の欧州紀行の写真を紹介しましたが、それから約30年後の2001年にスイスとイタリアを訪れた際の写真を紹介したいと思います。

カメラ:CANON New F-1、
レンズ:CANON FD50mm f/1.4、CANON FD35-105mm f/3.5、FD70-210mm f/4.0

47年前は中年男性添乗員に30名ぐらいのツアーメンバーというJALパックでしたが、2001年は若い女性添乗員と9名(ボクと家族以外は3組の若い夫婦だけ)のメンバーによるJTBのLOOKでした。
1970年ごろの海外観光旅行というと、業界団体や農協といった男性中心の大人数のグループによるものが多かったものの、個人や家族だけでの旅行者はまだそう多くはなかったように思います。

2001年ごろにはすでに、海外旅行未経験者と出会うことの方が少ないという状態になっていましたから、ここに掲載する写真で海外観光地を紹介しても、大して意味がありませんので、気になったものや「オヤ?!」と思ったものだけにしたいと思います。

スイスでの2日目は、チューリッヒからルッツェルン、ベルンを経て、インターラーケンまでのバス旅。

30年後に訪れても、やっぱりスイスでは窓辺の花が豊富でした



この頃まだ日本ではSUBWAYの店舗数は伸び悩んでいましたので、ボクはまだその存在自体を知らず、妙な店があると思って撮ったのがこの1枚

その後日本でも増殖して、つい数年前にはじめてサンドイッチ屋だと知ったのでした。


ルッツェルン湖。桟橋係留じゃなく、沖ブイにつながれたヨットが多いのは、かつての訪問時の記憶にはありません



カペル橋の両岸に並んだホテル・レストランの多さもにも驚きが



こんなに観光客が多い場所だったという記憶がなかったのが、驚きの理由でした



やっぱり多い窓辺の花






この時は、カペル橋も歩くことができました

花も観光客もいっぱい。


添乗員嬢がひとこと教えてくれたので、川の中のこんなもの(堰)も撮っておきました


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この夏に、47年前の欧州紀行の写真を紹介しましたが、それから約30年後の2001年にスイスとイタリアを訪れた際の写真を紹介したいと思います。

47年前は中年男性添乗員に30名ぐらいのツアーメンバーというJALパックでしたが、2001年は若い女性添乗員と9名(ボクと家族以外は3組の若い夫婦だけ)のメンバーによるJTBのLOOKでした。
1970年ごろの海外観光旅行というと、業界団体や農協といった男性中心の大人数のグループによるものが多かったものの、個人や家族だけでの旅行者はまだそう多くはなかったように思います。

2001年ごろにはすでに、海外旅行未経験者と出会うことの方が少ないという状態になっていましたから、ここに掲載する写真で海外観光地を紹介しても、大して意味がありませんので、気になったものや「オヤ?!」と思ったものだけにしたいと思います。

成田からチューリッヒへのスイス直行便はJALとSWISSAIRの共同運航で、搭乗機は後者のものでした。

機体はマクダネル・ダグラス社のMD-11という、今では見かけなくなった3発エンジン機。元は合併前のダグラス社が製造したDC-10を、ロングボディーにしエンジンその他を近代化し、航続距離を13000㎞以上に伸ばし、例えば日本からであればアメリカ東海岸やヨーロッパまで無給油で飛行できるようにしたもの。DC-10という機体は派手な事故を起こして悪い印象をばらまいたが、旅客機としての評価は高く、同じ3発エンジンのライバルであるロッキード社のL1011トライスターを、販売台数で凌駕しています。
その改良型ですからJALでも10機が採用され、この写真の後方にその鶴丸マークの機体が小さく写っています。
現在では、このクラスのサイズの旅客機は、より大型のエンジン2基を搭載するタイプがより経済的であるとされて主流になっていますが、超長距離を飛ぶ旅客機としてはエンジンが多い方が、なんとなく安心感を持つ乗客も多かったのではないかと想像します。


チューリッヒ空港からホテルに移動するバスの車中からの風景です。なぜこんな写真を載せたかというと、建築用クレーンが日本で見かけるタイプとはまったく違うものばかりだったことに、今さらのように驚いたからです

日本で建築工事に使われるタワークレーンは腕(ジブ)が起伏することで荷を横移動させるタイプが大半ですが、欧米では水平に固定されたジブにのったトロリーが水平移動して、荷を横方向に移動させるタイプ(トンボ・クレーンとか水平ジブ・クレーンと呼ばれるらしいです)が主流だということです。


宿泊したホテルからの眺め



チューリッヒでは宿泊だけが目的で観光がないので、夕食までの時間を自由に過ごすことになり、ホテルから散策に出ました



すると、とにかく目にするホテルやアパートなどの建物には、とにかくやたらとバルコニーがついていることに気づきました



昔に訪れたロンドンその他の都市では、集合住宅のビルに手すり付きの窓は当然の光景といった感がありましたが、バルコニー付きはそう多くなかったような印象でした



このあと訪れたベルンの旧市街やルッツェルンでは、これとは違っていました



市電は1970年の訪問当時と同じような車両が走っていました





ゴミ収集ポストです。きれい好きのスイス人もゴミ収集ポストは、どうでも良いと考えているのでしょうか



それに比べると、道路清掃車は車体デザインも塗装もきれいでした


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ようやく街歩きをしても汗ばむほどではなくなりましたので、街の撮り歩きを再開しました。

建設中のマンション



柘榴の木の茂る家



ほぼ紅一点
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カメラ:CANON EOS6D
レンズ:TAMRON 28-300mm f/3.5-6.3 DiⅡ VC PZD

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ようやく街歩きをしても汗ばむほどではなくなりましたので、街の撮り歩きを再開しました。

思わずぎょっとなってしまった光景



無住の家らしいのですが、いったいこのうち側はどうなっているのでしょう



カメラ:CANON EOS6D
レンズ:TAMRON 28-300mm f/3.5-6.3 DiⅡ VC PZD

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47年前、大学最後の夏休みに父親のすねをかじって、15日間の西ヨーロッパツアーに行ってきました。
自分から行きたいと言ったわけではなく、当時、航空代理店にいた父親が「若いうちに海外を見ておきなさい」と否応なく送り出してくれたのでした。

4週間にわたって延々と昔の西欧ツアーの写真を紹介してきましたが、これで最後です。

2週間のツアー最後の日、午前10時半にホテル・アンバサダー Hotel Ambassador 前からバスでオルリー空港に向けて出発。

バスの車窓から。この写真の場所が分かるとしたら、かなり観察眼のある人です。後方に見える GALARIES という文字の一部で、この建物がパリの老舗デパート ギャラリー・ラファイエット Galeries Lafayette であると気づけば、バスが走っている道もラファイエット通りであると分かるでしょう

こんなちょっとしたヒントで現在のパリの場所を特定できるのですから、Googleストリートビュー恐るべしです。


パリの地下鉄の入り口は鉄柵のデザインに凝ったものが多かったのですが、Googleストリートビューで現在のパリ市街を見ると、このように装飾的なものは少なく、やはり古い路線に限られるようです



残念ながら、走る車窓からの撮影でボケがひどく、周囲に地名や店名などもあまり写し込まれていないため、どの駅なのかはGoogleストリートビューをもってしても分かりません



あれだけおしゃれな街のおしゃれな女性を眺めていたのに、撮るのを忘れていたことに最後になって気づき、やっと撮った「パリのお嬢さん」



フィルムを惜しみすぎて、さあ帰路に就くという段になって、逆に何枚分も余っていることに気づき、走る車窓からパチパチと過ぎ去る景色を写しました






かなり見にくいのですが、オルリー空港には前年初飛行したばかりの超音速旅客機コンコルドが駐機していたのを街路樹の向こうに発見しました



デルタ航空のDC-8と並んで駐機していた当時のJALモスクワ経由ヨーロッパ路線の主力機Douglas DC-8 62。飛騨(Hida)とネーミングされたこの機に乗ったはずです。この機はのちにモスクワ・シェルメチボ国際空港で墜落して失われたました

デルタ機に比べるとJAL機のエンジンポッドがかなり太く、空気取り入れ口がひと回り大きいのが分かります。これはおそらくデルタ機は通常のターボジェットエンジンを搭載したDC-8の前期型であるのに対し、後期の長距離型であるDC-8 62型機はエンジンをターボファンのJT3D-3Bとし、ファン気流をエンジン後部まで導くためエンジンポッド全体を太くしてあるからです。


斜めから見るとJAL機のエンジンポッドが茶筒のようにズンドウであることが分かります



のちの鶴丸マークに比べると、いかにも古臭いデザインのように見えますが、この頃は各国の旅客機の塗装デザインにこうしたストライプを配したものが多かったと記憶しています

カメラをスーツケースにしまい込んだため撮影できませんでしたが、帰国するこの機体では小澤征爾氏と奥さんの入江美樹さんが同乗していました。小澤氏は例によって汚らしいTシャツにジーンズ、ベラ(入江美樹さんの本名ベライリンの愛称)はモデル時代と少しも変わらない美しい容姿にサングラス。パリ出発の時はツアーと同じエコノミークラスに乗っていましたが、給油地のモスクワ空港でファーストクラスに乗り換えてしまいました。ファーストクラスはタラップも違うため、羽田空港に着いた後もその姿を見ることはできませんでした。


カメラ:CANON FT-QL
レンズ:CANON FL50mm f/1.8

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ようやく街歩きをしても汗ばむほどではなくなりましたので、街の撮り歩きを再開しました。

新宿駅南口から国道20号線陸橋を下ってきた西新宿1丁目交差点



この日は、まだ少し暑い日射しだったので、道行く人はほとんど夏のいでたち



この陸橋は相変わらず混んでます



カメラ:CANON EOS6D
レンズ:TAMRON 28-300mm f/3.5-6.3 DiⅡ VC PZD

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47年前、大学最後の夏休みに父親のすねをかじって、15日間の西ヨーロッパツアーに行ってきました。
自分から行きたいと言ったわけではなく、当時、航空代理店にいた父親が「若いうちに海外を見ておきなさい」と否応なく送り出してくれたのでした。

パリの2日目、ツアー同行者の大半はオプションのベルサイユへの日帰りバス旅に出かけてしまいましたが、このツアー最後の自由行動の日に団体で行動するのはまっぴらだったボクは、他の数名とパリの街歩きへと繰り出したのでした。


最初に向かったのは、ツアーコンダクターに「自由行動ならここへ」と勧められたブローニュの森。1970年当時の日本では公営(公有)の森林公園など、ほとんどろくに整備されていなかったので、都会育ちの人間には、都心から地下鉄一本ですぐに行けるところに、広大な森林公園があることそのものが新鮮な驚きでした

その面積を今調べてみると、846万平方mだと言いますから、例えば東京の国営昭和記念公園と比べると約5倍の広さ、全国に点在する国営公園の最大のものでも約500万平方mであり、東京23区内で最大の緑地である皇居の敷地面積が115万平方mにすぎないことを考えると、パリ市民はいったいどれだけ広い緑地を有していたことか、今さらながらに感心します。


まさかそれほどに広い公園を歩き回っていたら、それだけで一日が終わってしまうので、その一端の空気を吸ったら、旧市街の中心部に戻り、凱旋門からコンコルド広場、ルーヴル宮殿へとまっすぐに伸びているシャンゼリゼの数多いカフェテリアの一つでコーラを飲みました。各国で比較のために必ず飲んできたコカ・コーラですが、さすがにパリのそれは美味かった。でも率直に言うと、日本のコカ・コーラよりも美味いとまでは感じませんでした

午前11時ごろ。ちょっと先に見える赤いテントの店は凮月堂の名前の元になったフーケ FUQUET'S。


その後、同行した2人と別れ、1人になってメトロに乗ってモンパルナスへ。印象派などの前世代の画家たちが集ったモンマルトルが観光地化して家賃が高騰し、第1次大戦後モンマルトルを離れた芸術家たちの集まったのがモンパルナスの街



古いアパート、崩れかけた石垣、昔見たジャン・ギャバンなどのフランス・ギャング映画の場面を思い出させる街並み



この街に住んだことのある芸術家たちの名を調べてみると、マルク・シャガール、アメデオ・モディリアーニ、ジャン・コクトー、パブロ・ピカソ、モイーズ・キスリング、マルセル・デュシャン、アンリ=ピエール・ロシェ、アルベルト・ジャコメッティ、ヘンリー・ミラー、ジャン=ポール・サルトル、サルバドール・ダリ、サミュエル・ベケット、ジョアン・ミロ、岡本太郎、エドガー・ドガと、聞いたことのある名前だけでもこれほど出てきます。
そして中でも日本人にとって忘れてならない人が、世界で最も(いや洋画家では唯一といっても良い)評価の高い日本人画家レオナール・フジタ(藤田嗣治)



午後3時ごろ、パリを訪れたら、何をおいても歩きたかったのが、この街であり、その期待を全く裏切らないところでした

モンパルナスには、その古くから知られた町の名にふさわしいにおいがしました。


外国人観光客がいないわけではなかったのですが、観光コースにはあまり組まれない場所なので、モンマルトルなどに比べて古きパリの香りが漂っているような気がしました

この場所をGoogleストリートビューで探してみると、正面の建物は外装こそ明るく塗りなおされてしまいましたが、今でも健在です。そばにある地下鉄入り口はガイテ Gaîté の駅。
この場所の住所は 1 Rue Vercingétorix 75014 Paris-14E-Arrondissement だと分かります。


そのすぐ近くにある門を入って訪れたのが、モンパルナス墓地

ここに眠る著名人でボクの知っている名(知っているのは名前だけという人物も含めて)だけを挙げても、アルフレッド・ドレフュス - 軍人、エマニュエル・シャブリエ - 作曲家、カミーユ・サン=サーンス - 作曲家、ギ・ド・モーパッサン - 作家、サミュエル・ベケット - 劇作家、小説家、シモーヌ・ド・ボーヴォワール - 作家、哲学者、シャルル・ボードレール - 詩人、ジャン=ピエール・ランパル - フルート奏者(当時は健在)、ジャン=ポール・サルトル - 作家、哲学者、セルジュ・ゲンスブール - 歌手、作曲家(当時は健在)、フィリップ・ノワレ - 俳優、マン・レイ - 写真家、モーリス・ルブラン - 小説家となっているから、さすがです。
これを撮った直後に警備のおじさんに注意されてしまったので、この1枚がこの日の最後の写真になりました。


カメラ:CANON FT-QL
レンズ:CANON FL50mm f/1.8

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昨年、秋の湘南の海が見たくなって出掛けた帰り道に寄った鎌倉、海蔵寺。

午後3時を過ぎていたこともあって訪れる人が少なく、静かなたたずまいの中でシオン、フヨウ、ヒガンバナ、ホトトギス、白花ホトトギスなどが咲いているのをゆっくり眺められました。

山門を入ってすぐのシオンとフヨウ






カメラ:CANON EOS6D
レンズ:CANON EF24-70mm f/4L IS USM

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47年前、大学最後の夏休みに父親のすねをかじって、15日間の西ヨーロッパツアーに行ってきました。
自分から行きたいと言ったわけではなく、当時、航空代理店にいた父親が「若いうちに海外を見ておきなさい」と否応なく送り出してくれたのでした。

朝到着したパリの市内観光は後半のルーブル美術館見物から始まりました。

説明不要、ルーブル展示物中の白眉。その後、ここを再訪する機会はないのですが、今でも同じところに展示されているようです



これはミロのヴィーナス像の近くにあったと思われるのですが、メモしておかなかったので、何と名付けられた像か、今となっては全く分かりません。

もちろん他にも撮影のできる著名作品は無数にありましたが、既存の優れた写真がいくらでもあるのに、自分が撮る意味もないと思い、結局最も感銘を受けたヴィーナス像しか撮りませんでした。
いずれにせよ、ルーヴルのようなところは時間に制約のある団体ツアーなどで訪れるべきではないということがよく分かりました。


このあとは、シャン・ド・マルス公園とシャイヨー宮とでエッフェル塔を正面から見物するなどしたのですが、全部ツアー同行者との記念写真なので省略。
バスの車窓から撮ったシャンゼリゼの新聞雑誌スタンド



パリでもやはり地下鉄の入り口は撮りました



パリ・オペラ座の前で、オープンデッキのバスと、パリにいる間にどうしても撮りたかったパリのお巡りさんと




カメラ:CANON FT-QL
レンズ:CANON FL50mm f/1.8

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9月はアサガオのような夏の花がまだまだ元気に咲く一方、秋の花々が本格的に咲きはじめる時季でもあります。

家で咲かせたアサガオ






デュランタ(タイワンレンギョウ)にツマグロヒョウモン(♀)



タマスダレはヒガンバナに似合うという理由で、よくヒガンバナ群に紛れ込むように咲いていることがよくあります



カメラ:CANON EOS 6D
レンズ:CANON EF24-70mm f/4L IS USM

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