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スピルバーグと映画大好き人間、この指とまれ!

カフェには、映画が抜群に良く似合います。
大好きなスピルバーグとカフェ、アメリカ映画中心の映画エッセイ、
身辺雑記。

「戦火の馬」は、「E.T.」プラス「太陽の帝国」のテイスト!

2012-04-01 16:19:53 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

 アカデミー賞に作品賞を始め6部門にノミネートされたが、無冠に終わってしまったスピルバーグ監督作「戦火

の馬」を見ました。全体的に素晴らしい作品でしたのになぜスピルバーグ監督が、アカデミー賞の監督賞にノミネ

ートされなかった理由がわかりません。彼の「カラー・パープル」の時もそうでした。この件について、これはお

かしいと取り上げているマスコミ関係者は、私の知る限りは皆無です。誰か発言して欲しかったですよ。

 まあ、そんな嘆きはやめましょう。

「戦火の馬」は、先日のNHKで放送されたクローズアップ現代でスピルバーグが、語っていたとおり戦争映画

ではなくラブ・ストーリーでした。とても心温まる作品です。

イギリスのダートムアの田園風景から映画は、始まります。ウィリアムズが作曲した「遥かなる大地」のような

スコアが壮大に流れるなかこの田園風景を見るだけでも心が和みます。大地と大空が印象的です。

馬の競り市。帰宅。友情の絆。呼び声を教える(ラストの伏線となる)。荒地を耕す。カブの全滅・第一次大戦

開戦。ジョーイの新しい友達、トップゾーン。大砲を引く。トップゾーンの死。中立地帯。雪が降るしきる中のジョーイとアルバート

の再会

は、まるでフランク・キャプラ監督の映画を思わせる。少女エミリーは、ジョーイとトップゾーンの飼い主になる。エミリーには、祖父がいる。帰郷。家族(ジョン・フォー

ド監督の「捜索者」「風と共に去りぬ」)夕焼け空をバックにしての再会。有刺鉄線に絡まり動けなくなった軍馬ジョーイとイギリス軍とドイ

ツ軍。

絆が、「希望」を生む、動物の愛が、善を引き出す。少年アルバートと美しい愛馬ジョーイの物語。第一次世界大戦の軍馬として戦地に

送られたジョーイ。さまざまな出会いと別れを繰り返しながら生き延びるジョーイは、まるで『太陽の帝国』の主人公のようだ。これは、

編集のマイケル・カーンの手腕の賜物であろう。ジョーイの命を支えるのは、人々の真心とアルバートとの固い約束。

ジョーイには、ずば抜けた才能とスピルバーグ監督自身のように楽観的な性格、出会った人々の心を開き国の違い、敵見方の区別を

こえて人間と絆を結ぶ。おのおののジョーイとのエピソードは、時間にして短いが素晴らしい。ジョーイが、感情をもった人間のように

感じてくるのは「E.T」のようだ。人間も軍馬も戦場で生き抜かねばならない。ラストの感動は、さまざまなエピソードが、絡み合って生ま

れた。愛馬を探すために戦場に行くアルバートだが、志願兵となる過程が描かれていないのにすんなりそうだとわかる演出はすごい。

けっしてまわりくどくない。アルバートの戦場の顔のクローズアップで一瞬にしてわかる。小説は、ジョーイの視点で描かれていたとのこ

とだが、映画は、「E.T」がエリオット少年の視点で描かれていたようにアルバートを始めとする人々の視点で描かれていた。

エッセイを読んでいる感じで見終わった後には、さわやかな心地良さが残る映画だった。

 

 

 

 

 


「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」は、傑作!

2012-02-04 14:59:58 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

 ずいぶん時間が、たってしまいましたが、昨年の12月始めに「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」を家

族全員で見ました。皆、出来には満足していたようですが、一番喜んだのは、やはり父親である私でした。

「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」に近いのりで見れたので、出来栄えには大変、満足しています。

スピルバーグ監督作品としては、2000年代に公開した中では、ベスト1という気がしました。

フルデジタル3D(実写とアニメ)パフォーマンス・キャプチャー。驚くべきは、今回撮影監督の名前がありませ

ん。

そのわけは、何とカメラの操作はすべてスピルバーグ自身がやったのです。びっくりです。しかし、名人芸でし

た。

驚くべきカメラワーク、シーンのつなぎ、編集のテンポは完璧でした。

スピルバーグは、言っています。「これは、80年代のインディ・ジョーンズシリーズ、90年代のジュラシック・パ

ークシリーズ以来の私の新しい冒険の始まりだ」。

メッセージは、「希望と勇気」。この象徴としてでてくるハドック船長のセリフ「タンタン、何よりも挫けないことだ

。もし、守るべきものがあれば戦え。壁にぶつかったらぶっ壊して進め。失敗から学ぶべきことは数多くある。」

 

インディの世界を受け継ぐもの。スピルバーグのアクション演出の素晴らしさ。スピード感がある。「アラビアの

ロレンス」、ヒッチコック監督作品へのオマージュ。

 オープニングから「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」の冒頭を彷彿させる演出が、うまくすんなりタンタンの冒

険ミステリーの世界に入っていくことが出来ました。

 その後は、ウイリアムズの「ファルコンを追え」のアクションスコアが流れる中バグハルの街での派手な追跡

劇(電線にぶら下がるタンタンのアクション。バイクに乗ったタンタン、スノーウィー、ハドック船長。戦車が迫っ

てくる中ハドック船長が、大砲をぶっ放す。そのシーンでのバイクのバックミラーの演出)。ここは、全編の中で

も一番手に汗握るアクションシーンで大好きです。

 また、脚本も素晴らしいと思います。ハドック船長とサッカリの対決を軸に各々祖先であるフランソワ・ド・アド

ックとレッド・ラッカムの宿命の対決もオーバラップさせていましたね。

 ユニコーン号の煌びやかな豪華なデザインも気に入りました。

残念ながら日本での興業成績は、「怪物くん」や「ミッション・インポシブル4」におされ大ヒットと言われるほど

の成績をあげる事が出来なかったのが、残念でした。「タンタン」の話は日本人にとっては、今一つ馴みが無

かったのが原因でしょうか。アメリカやヨーロッパでは、評判が良くヒットしているというのに。

 しかし、ゴールデン・グローブ賞では、アニメ部門で見事に作品賞を獲得できたので良かった。ちゃんと評価

されて良かった。ちなみにアカデミー賞では、ウイリアムズの作曲賞がノミネートされていたのも慰めとなっ

た。

 ところで、嬉しいニュースが飛び込んできました。何と4月16日に早くも「タンタンの冒険/ユニコーン号の

秘密」が、DVD発売されます。発売日に絶対に買って家族全員でまた、細かい部分も含めてじっくり何度も繰

り返し見て楽しみスピルバーグの切れのある演出を堪能したいです。

 

 

 

 

 


「ミュンヘン」

2008-03-15 06:07:29 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「ミュンヘン」(2005)

 1972年のミュンヘン五輪会場で実際に起きたパレスチナ人ゲリラによるイスラエル選手団襲撃事件を題材にした作品で、人質11人全員が殺されその報復としてイスラエル政府は情報貴機関モサドに属する主人公アブナをリーダーに5人がテロ首謀者11人の暗殺指令を下す。内容自体も評価され2006年の第78回アカデミー賞で主要5部門(作品、監督、脚色、編集、作曲)にノミネートされたのを始めその年の主要な映画賞を受賞しベスト10に入るなどマスコミや批評家から高く評価された。原作は、ジョージ・ジョナスのベスト・セラー「標的は、11人-モサド暗殺チームの記録」。暗殺を決行した本人が公にした。原作を先に読んだがこれが非常におもしろく読み応えがあった。映画もシリアス系スピルバーグ監督作品のなかでは、「シンドラーのリスト」と肩を並べる面白さと感動があった。脚本は、他のデーターやヒアリングをもとにトニー・クシュナーと「フォレストガンプ/一期一会」でオスカーを獲得したエリック・ロスが担当した。撮影技法は、「フレンチ・コネクション」に代表される1970年代に流行ったカメラワークであるズームやフラッシュバックを多用した。

                                          1972年というと私が、小学生のころだ。このオリンピック村の襲撃事件のことはよく覚えている出来事。学校でも大きな話題になった。同じ頃、若きスピルバーグは、「激突!」を撮っていた頃で彼にとっては、リアルタイムは出来事だった。

 5人の魅力ある暗殺者の人間臭いキャラクターが魅了。リーダーであるアヴナーは、人を殺したことがない愛国心旺盛な人(演じるは、エリック・バナ)。車輌のスペシャリストのスティーブ(演じるは、ダニエル・クレイグ)。後処理のスペシャリストのカールは、物静かで几帳面な親父あるいは人生の大先輩といった感じ(演ずるは、キアラン・ハイズ)。爆弾のスペシャリストのロバートは、おもちゃ職人(演じるは、マチュー・カソヴィツ)。そして、文書偽造のスペシャリストのハンス(演じるは、ハンス・ジシュフー)。それぞれに役割分担があって正義のためや国家のために集まった殺し屋たちのドラマ。その過程で友情が芽生え仲間となる。このような設定は、スピルバーグが尊敬してやまない黒澤 明監督の「七人の侍」やジョン・スタージェス監の「荒野の七人」、そして、デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」のようだ。

 ジョン・ウィリアムズの心臓がバクバクするようなスコア、平和への願い・平凡な人間のささやかな幸せや悲しみを兼ね備えたスコアが素晴らしく特にテーマ曲である「平和への祈り」の弦楽器が印象に残る。

 女殺し屋役の女優であるマリー=ジョゼ・クローズの演技が、素晴らしい。出番は少ないが、エンジ色の服を着て黒い髪を結い男を魅了する。アヴナーが、ホテルのバーで出会い誘いを断るシーンから登場し、カールを部屋へ誘い殺す。その後、仲間を殺された怒りに燃えアヴナーを始めとする残りの仲間が彼女の隠れ家が見つけ彼女を殺す。この女優さんは、「みなさん、さようなら」という作品でカンヌ映画の女優賞を受賞した人で、これから注目したい。

 極秘任務を抱え爆弾が爆発するシーンの数々は、ヒッチコックタッチの演出をスピルバーグは行っている。また、車のミラーを使っての暗殺者同士の追う者と追われる者のスリリングな緊迫ある演出は、相変わらず素晴らしい。

 私も公開されて早速観たが、標的を消してゆくシーンはサスペンス風でありスピルバーグの今まで培ってきた演出を存分に堪能できるのが魅力だが、それにも増して魅了されたのがやはりスピルバーグのテーマのひとつである「家族の存在の大切さ」である。主人公のアブナーはそれまで殺人を犯したことがなく妊娠中の妻を持つ普通の男に突然暗殺任務が下され任務を恐怖と不安のもとで遂行する。しかし、しだいに自分がしていることが、本当に国家や平和のためになっているのか?と暗殺の虚しさを感じ始め離れ離れになっている愛する妻と生まれたばかりの娘のもとへ帰って普通の生活をしょうとする。そこで、反対に殺されそうになるが、一家の父親として家族を守りやがて裏社会から足を洗懸命に家族を大切にして生きる姿に感銘した。

 

 


「宇宙戦争」

2008-03-11 05:22:16 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「宇宙戦争」(2005)

 2005年の夏に日米で公開されたが、偶然にも同じ時期にジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズエピソード3/シスの復讐」も公開された。日本での興業収入は「宇宙戦争」が60億円、「スター・ウォーズエピソード3/シスの復讐」が80億円とそれぞれ大ヒットをとばした。また、両者とも来日したのでファンにとっては、忘れられない年となった。

 脚本は、ジョシュ・フリードマンとデビッド・コープ。この二人の脚本家が、特に目指したのは、宇宙人の攻撃を一人称で語ることだった。

 美術をリック・カーターが担当した。彼が、ロケ地として選んだうちのアメリカニュージャージー州は、トム・クルーズ扮する主人公の家や教会、そして、高速道路が印象的。

 特殊効果は、デニス・ミューレンとハブロ・ヘルマン。

 この映画で特に興味を惹かれるのは、トライポッドと宇宙人の創作についてである。本当に怖い。これに関しては、スピルバーグ監督とデニス・ミューレン、そして、撮影監督のヤヌス・カミンスキーらが協力して考えだされたキャラクターである。形、撮影方法に特に念入りに検討したそうである。そのときの拠り所となったのは、原作であった。

 スピルバーグ初、怖い宇宙人が地球を侵略する。2児の父親役のトム・クルーズが、肉体労働者に扮して別れた妻との間の子供を守る。(娘役は、ダコタ・ファニングと息子役は、ジャスティン・チャトウィン。)異星人が約61メートルのマシーン、トライポッドを操縦し死の光線を発射する。イギリスの作家H・G・ウェルズが1898年に発表したSF小説の2度目の映画化。彼いわく「9.11テロ後の恐怖を反映させている。タイムリー」と。また、H・Gウェルズ原作の「宇宙戦争」は、スピルバーグが尊敬するオーソン・ウェルズのラジオドラマで有名。スピルバーグいわく「僕の作品の中でも最もリアルで視覚的に派手な場面とドキュメンタリー風に描かれた個人の物語の組み合わせ」と言っているように撮影監督のヤヌス・カミンスキーの手腕とスピルバーグの演出、そして、I.L.Mの特撮が素晴らしい。スピルバーグが、この小説を読んだのは大学生の時というからだいぶ昔のことだが、彼はその時すごいSFと思ったそうだ。そして、映画監督になってから映画化を熱望していたとのこと。これを私は知って若き日に感動したものをずっと忘れずにいる彼の純真なところとそれを実現させる情熱、実行力に驚くばかりだ

 1970年代「ジョーズ」1990年代「ジュラシック・パーク」、そして、2000年に入って「宇宙戦争」と代表的な恐怖を題材にした迫力ある作品を作っている。これは、ファンとしては嬉しいかぎりだが、裏を返せば世の中が暗く不安で不透明な時代である1970年代、1990年代、2000年代に今挙げた作品は作られた。

 スピルバーグの恐怖演出が素晴らしい。彼が、リアルな恐怖を学ぶために参考にした作品は、1953年版「宇宙戦争」、1951年版「遊星よりの物体Ⅹ」,1979年「エイリアン」、1968年「2001年宇宙の旅」とのこと。そして、撮影中スピルバーグがずっと聴いていた音楽が「ジョーズ」のサントラとのこと。この音楽で気持ちを高めたのだろう。それにしてもこのようなところがある彼が私は大好きだ。映画監督であると同時にいつまでも大の映画ファンであり、新作を作る時には必ずクラシックな昔の名作、隠れた名作を見直して自分の映画に取り入れる姿勢は、素晴らしい。彼ほど映画は「文化」だと確信している監督は他にいない気がする。では、恐怖演出を見てゆこう。ファーストシーン。地球にある微生物、水中生物、植物を顕微鏡で見るクローズアップ、そして、青い地球の映像。地球を支配しょうとする宇宙人の星が、赤く描かれその後すぐに地球上にある信号機が赤になっているシーンがあるが宇宙人による侵略が本格的に開始されるのを暗示させる心憎いばかりの演出だ。まさしく信号の赤は、“止まれ!地球人、動くな!”と危険なメッセージを異星人が送りつけているようだ。

 快晴だった空が突如嵐に変り激しい稲光が地上にたっする。あおりのカメラワークを多用し、トムとダコタを始め隣近所の人々が空を見上げている。このシーンは、「未知との遭遇」を思い起こさせる。平和のシンボルである教会が壊されるシーンがすごい。逃げ惑う人間が一瞬にして焼き尽くされる。異星人の攻撃。朝の光を浴びた教会が上下に真っ二つに壊れる。交差点の道路の地面にひびが入り地割れが起きる。車が地中に埋まる。店のショーウィンドーのガラスがことごとく割れる。地面が上下に大きく空高く隆起する。そして、地中からトライポッドが姿を現す。巨大な3本足の戦闘マシーン、トライポッドが地底から姿を現すシーンは迫力がある。「ジョーズ」のようなコントラバスを多用したくるぞくるぞと感じさせる曲と「ゴジラ」のようにブラスがじょじょに大きく鳴り出す曲とをミックスしたジョンのスコアをバックに俯瞰撮影でとらえたトライポッド数機の映像が素晴らしい。モンスター映画の王道を行くカメラワークだ。そして、レーザービームを発射して一瞬のうちに人間を始め目に入るもの全てを焼き払って灰にしてしまう。トライポッドの動きは遅いが武器であるレーザビームを発射するのが速いのでよけい怖い。。群衆の中にいた一人、おそらく好奇心旺盛なおのぼりさんであろうが、この人物が手にしていたビデオカメラにトライポッドの姿がクローズアップで写りその人物を焼き払って殺してしまう。地面に落ちたビデオカメラに恐ろしいトライポッドが写る。ここは、何とも映画的シーンだ。

 フェリーのシーン。トライポッド数機が再び姿を現すカットがあるが、その前に夜空を西へ向かって急いでいる鳥の大群。それを見上げているレイチェルの顔のクローズアップ。そして、トライポッドの登場で人々が急いでフェリーに乗り込むシーンへと繋がっていく。ここでもスピルバーグは、“鳥”を登場させているが、トライポッドから逃げるために西へ向かった鳥たちが、後半の大事なシーンの伏線になるところが上手い。そして、何と言ってもフェリーに乗り込んだ人々をトライポッドが襲うところがすごい。ここで初めてトライポッドがクローズアップで映りどんなマシーンなのかが明らかになる。出発しようとするフェリー。フェリーの操縦室からカメラが海へパンすると海中が大きく渦を巻いていてそこから巨大なトライポッドが現れる。そして、フェリーの上空へ飛び始める。ちょうど真上に来たときそこには大勢の避難した人々がいる。徒歩で来た者、車で来た者がいる。トライポッドの頭は、クラゲのような形をしており光を発している。トライポッドは、フェリーを揺り動かし海中へ人々、車を放り出す。ここから怖ろしい場面になる。3本の足以外に触手を使って海へ投げ出された人々を拾い上げ収容してゆく。レイたちも海へ放り出されたが何とか彼らの攻撃をかわして岸辺へたどり着く。

 地下室のシーン。トライポッドの攻撃から逃げようとするレイとレイチェルは、一人の男、オグルビーがいる小屋の地下室へ逃げ込む。いよいよ待ちに待ったトライポッドを操縦しているエイリアンたちの素顔が見える。しかし、すぐには見せないところがスピルバーグの上手さだ。地下室の密閉された場所での恐怖シーンというと真っ先に思い浮かぶのは「ジュラシック・パーク」でのラプトルたちがキッチンで子どもたちを襲うシーンだがその映像とだぶるようなハラハラドキドキさせる緊張感のある演出だ。まず、小屋の外のすぐ近くにトライポッドが迫ってくる。マシーンの小刻みする音がする。気になって薄暗い地下室のドアの隙間からオグルビーが外を覗くと何と恐ろしいしい光景が目に飛びこんできた。トライポッドが、触手の中から鋭く細長い針を出し人々を刺し殺して血液を触手の配管を通して体内に吸収しているのだ。エイリアンは、人間の血を餌としていたのだ。その光景をレイにオグルビーが話すと、レイも覗きに行く。恐ろしいレイの顔のクローズアップ。その後、地下室に光が差し込んでくる。長い金属性のトライポッドの触手が地下室に侵入してくる。触手の先は、瞬きをするなど眼の働きをしていてあたりを見回している。身を隠すレイたち3人組。やがて、その触手がレイチェルを襲おうとするが、彼女は大きな鏡に自分の履いていた靴が映るように置いて攪乱させる。必要にレイチェルを襲うトライポッドに対してレイは、斧で触手を叩き割りレイチェルを救う。トライポッドが地下室から去る。これで一安心と思いきや何とエイリアンの登場だ。静寂に満ちており、ただエイリアンが数頭のしのしと歩く音しか聞えないのが恐怖をあおる。地下室の階段を降りてくるエイリアンたち。その姿は、スピルバーグが参考にした作品「エイリアン」のようである。特に頭部の部分が似ている。また、「インディペンデンス」のエイリアンにも似ている。そして、特に足が極端に短く細くその動きは自転車をゆっくり扱ぐ姿をしているのが特徴だ。まあ、いずれにしても不気味である。彼らは、地球人たちの文明を探りにきたと思われる行動を採る。本や雑誌に目を通したり、人間が写っている写真を不思議そうに眺めたり、食べ物を食べようと試みるがどうも口に合わない。恐いシーンだが笑ってしまう。その間、レイたちは、身を低くして息を潜めて隠れている。やがて、エイリアンがレイチェルを襲いに来る。レイチェルが、さっきまで座っていたロッキングチェアーが大きく揺れているのに気が付き彼女を捕まえようとするが、彼女の姿はない。小道具を使ったうまい演出だ。その後、エイリアンらは、地下室から去って行く。ほっとするレイとレイチェル。

 レイとトライポッドの直接対決シーン。レイチェルが、とうとうトライポッドに捕らえられてしまう。レイは、娘を助けようとオグルビーがいた小屋の地下室から出て行く。あたり一面は、レッドウィード一色に染まっていた。トライポッドが、長い例の触手でレイを捕まえようとする。そこで、レイは軍隊用ジープに乗り込む。トライポッドの触手は、「ロスト・ワールド」と同様にレイが乗り込んだ運転席の窓ガラスを壊しレイを襲う。ジープから逃げるレイは、手榴弾を持って外へ出る。やがて、レイがトライポッドに捕まる。レイの真上にトライポッドが襲いかかる。照明が彼に浴びせられる。上を見上げるレイは、愕然となる。トライポッドに捕まった人々が楕円形の籠のような場所にいて順番に異星人たちの血の餌食になろうとしているのだ。トライポッドの内部構造が明らかになる。餌食になろうとしている人々の中にレイチェルの姿を見つけ絶望から一転して何とか娘をはじめとしてここにいる人々だけでも助けようとするレイ。しかし、1人また1人と長くぶら下がってくる子宮の膣状の形をしたものに吸い込まれて殺されてゆく。そして、今度はレイが吸い込まれてしまいそうになる。絶対絶命かと思った、その時持っていた手榴弾の安全装置を外しトライポッドの中心部へ投げ込むとトライポッドは、大爆発を起こし始める。周りに大量の血が吹き飛び倒れる。レイとレイチェルを始め数人が助かる。ここは、レイのスーパー・ファーザーぶりが見事に現れている場面でありトム・クルーズのアクションも素晴らしい。今までトライポッドは絶対に倒せないと思っていたレイとレイチェルにとってかすかな希望となる。

 スピルバーグの恐怖映画の集大成的作品。「激突!」「ジョーズ」「ジュラシック・パーク」で恐怖演出を堪能させてくれたが、今回の「宇宙戦争」は、その経験を生かしながら撮ったスピルバーグ初SFホラー映画である。「激突!」や「ジョーズ」のラスト・シーンのように主人公のレイが一人で宇宙人に立ち向かう姿や「ジュラシック・パーク」における父的存在であるグラント博士が恐竜から逃げ回りながら子供たち守ったようにレイも宇宙人から逃げ回りながら子供を守るなど物語りの設定で類似点を盛り込みながらスピルバーグは、子供から見た邪悪な宇宙人の凶暴さを描いている。そして、父の存在が大きくクローズアップされていて、どこにでもいる平凡なさえない父が子供を宇宙人の襲撃から必死で守りヒーローになる。


「ターミナル」

2008-03-07 05:42:49 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「ターミナル」(2004

 スピルバーグは、「1941」の興業的失敗からコメディは避けてきたジャンルだがこの作品は、久しぶりに彼の苦手とするジャンルに挑戦し、見事日本では40億円の興業収入をあげたヒューマン・コメディとして小品だが永遠に忘れられない名作。

 この物語を思いついたのは、脚本家でもある製作総指揮のアンドリュー・ニコル。そして、脚本と原案は、サーシャ・ガバシノ。この人は、この映画のもう一人の脚本家であるジェフ・ネイサンソンと同じくUCLAフィルムスクルールの脚本プログラムを受講した。

 撮影を担当したヤヌス・カミンスキーは、空港内においての太陽光に似せる照明とクレーン撮影に力を注いだ。特にクレーン撮影は、スピルバーグの指示のもとトム・ハンクス扮する主人公の大勢の中一人としての孤独を感じさせた。

 また、実物大のターミナルの設計と建設にあたったのは、「マイノリティ・リポート」の美術のアレックス・マクドウェル。

 東欧の小国から、1人の男がJFK国際空港に着く。しかし、同時に祖国でクーデターが起こり、パスポートが無効。彼は、出国も帰国も出来ず、英語もわからずお金もない状態で空港内での生活が始まる。彼は、空港で待ち続けた。ある約束を果たすために。その男は、東ヨーロッパのクラコウジア人で名前をビクター・ナボルスキーと言い、空港でアメリカの門を閉ざされてしまう。しかし、ビクターは、孤独、不安に正面から向き合いながら希望を持ち待ち続けた。彼は、落ち込むのでも投げやりになるのではなくて、常に前向きな男。スピルバーグは、製作した動機を「人々を笑わせて、泣かせて人生っていいものだなと思える作品。にっこりと人々を微笑ませる作品を撮りたかった。今の時代だからこそ、私たちはもっとスマイルを浮かべる必要があり、映画というものは、困難な時代を生きる人々を微笑ませる役割りを担っている。」と語っている。

 スピルバーグの映画で女優が強く印象に残るものが少ないが、トム・ハンクス演じるビクターと恋仲になるスチュワーデスを演じるキャサリン・ゼダ・ジョーンズは、綺麗。彼女の黒髪、ヘアー・スタイルが素敵。今までのイメージは「マスク・オブ・ゾロ」に代表される美しく強い女性だが、今回はかわいくて強気を張っているように見えるが心に恋の傷を持つ弱い女性を見事に演じている。

 空港内は、実物大のセットを組んだというからすごい。特に売店、スターバックス、吉野家など多種多様な35店を出店させている。英語のコミュニケーションをとろうとビクターが、本屋でニューヨークのガイドブックを買う。ビクターが生活資金を得る方法がおもしろい。空港内のカートを返却すると25セントの硬貨が出てくることを知った彼は次々とカートを返却してお金を得るのだ。ビクターの職業は、建築屋。

 同じ東欧人が不法入国、異質物質の不法所持の男とビクターがコミュニケーションをとり空港内のヒーローとなる。ビクターの存在がターミナル内の人々から受け入れられる過程、そして、周囲の人々の心に影響を与え始める。しかし、彼の存在、空港に棲み付いたビクターをよく思わない人間もいた。国境警備局の職員らだ。

 脇を固めている俳優らの演技が素晴らしい。 まず、国境警備局の主任ディクソンを演じるスタンリー・トゥッチ。フード・サービス係エンリケ・クルズ演ずるデイエゴ・ルナ。清掃員グプタ演ずるクマール・パラーナ。入国係官ドロレス・トーレス演ずるゾーイ・サルダナ。

 そして、何よりも主人公ビクターを演じるトム・ハンクスの演技が一際輝いている。普通の人を主人公にしたヒューマン・コメディをやらしたらピカイチの演技をする彼だけあってこの作品でも純粋さと強い信念を持った男を見事に演じ心を大きく揺さぶる。

 また、この作品は特に脚本がうまい。ビクターが、金を稼いでいることを知ったディクソンは、妨害しようとする。仕事を失ってしまうビクターだが、救いの手が差しのべられた。エンリケからの取引。トーレスが大好きだが内気で気弱なせいか彼女に告白できないでいる。彼女は、エンリケに好意を抱いているというのに。エンリケがビクターに恋のキューピットになってもらう。その代わりに彼に食事を与える。次に、ビクターとアメリア、そして、ビクターの仲間たちの心温まる人間関係。ビクターとアメリアは、互いに助けが必要な孤独と不安を抱えた似た者同士だから心惹かれた。しかし、アメリアは妻子持ちの男が忘れられずにビクターの元から立ち去る。戦争が終わりクラコウジアに平和が訪れる。大喜びするビクター。アメリアが1枚の紙を渡す。別れたはずの彼のコネで1日限りの特別入国ビザを手に入れたのだ。「これでニューヨークへ行けるのよ」と寂しそうに微笑み、立ち去ろうとする。やはり、別れた彼が忘れられず彼を追いかける。しかし、彼女がくれた入国ビザにはディクソンのサインが必要だった。半ば諦めているビクター。故郷に帰るしかないと思っていたが、仲間たちが友情の恩返しとして奮闘する。そのおかげでビクターは、空港を出て念願のニューヨークへ行き事ができる。最後にニューヨークへビクターがやってきた理由が明らかになる。40年の時を埋めるビクターが大事に持っていた缶詰に込められたかけがえのない約束を果たしに来た。ジャズ好きな亡き父のためにジャズミュージシャンのサインをもらいに来たのだ。缶の中に入っていたのは、ビッグ・ピクチャー。アート・ケインが写した実在する写真で、ジャズ・フォト史上不滅の傑作として知られている有名な作品。これは、ニューヨーク近代美術館の永久コレクションになっているもの。写真は1958年8月のある日の朝。ニューヨークハーレムの126丁目の煉瓦造のタウンハウス前。ニューヨーク中の有名なジャズメンが写っている。カウント・ベイシー、コーマル・ホーキンス、レスター・ヤングを始め、アート・ブレイキー、次代を担う新人ベニー・ゴルソンら57人。ビクターが「ラマダ・イン」のラウンジで演奏している伝説のジャズ・サックスのプレイヤーであるベニー・ゴルソン本人に亡き父に代わってペンを差し出す。感動的な場面。ビクターの父が、生前その伝説的な有名な写真にサインをしてもらったのは56人で、たった1人残っていたのがゴルソンだった。

 そして、ここから先のシーンはスピルバーグの演出とトム・ハンクスの演技の素晴らしさを存分に楽しむことが出来る。「サインは、演奏の後で」と言ってゴルソンが演奏を始めるとビクターは、いすにこしかけ涙ぐむ。ここのトム・ハンクスの表情がいい。「やっと会えたよ!」と天国にいる今は亡き愛すべき父に報告しているようだ。そして、サインを無事もらえてタクシーに乗り込むビクター。外はもう真っ暗。運転手に「行き先は、どちら?」と訊かれると彼は、今もらったサインをピーナツの缶にしまい喜びをかみしめるように大きく肯くや「家」と一言。これは、自分の信念を貫き通してきたことはけっして間違いではなかったと確信、自己を肯定する気持ちと「ジョーズ」や「E.T」に代表されるようにこの作品でも故郷、家族の絆の大切さを描いている。人間の最後の心の拠り所はそこにあるというスピルバーグのメッセージがある。映画は、その後、トム・ハンクスの顔のクローズアップからパンしてニューヨークの街の夜景を俯瞰撮影でとらえて終わる。ここは、バックに流れるしっとりとしたジャズバラード調のピアノ演奏を中心にしたジョンの音楽と相俟って感極まって泣き出してしまうシーンだ。また、これほどまでにニューヨークの夜景の美しさを映画の中で感じたのは久しぶりだった。これで、大満足の映画であったが、エンド・クレジットに素晴らしいおまけがついていたのが嬉しかった。スピルバーグ監督を始めとする主要スタッフ、キャストの直筆サインを模った文字がスクリーンに走り書きで映し出されたのである。

 スピルバーグが少年時代から尊敬する監督フランク・キャプラタッチの映画に初めて本格的に挑戦した映画。人生賛歌と素晴らしき仲間たち。空港内が楽園となる。


「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」

2008-03-06 05:20:12 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2003

 脚本は、ジェフ・ネイサンソンが書いた。彼は、5年間の年月の出来事を2時間に集約させた。上手い脚本家である。それもそのはずUCLAを卒業後にアメリカ映画協会の脚本プログラムに入学し、「シンドラーのリスト」の脚本家スティーブン・ザイリアンのもとで修業を積んでいる。

 また、美術を担当したのがジャニーニ・オッペウォール。ロケ地、セットとも多い作品のためこの方の功績が大きい。過去の作品には、「マディソン郡の橋」やオスカーにノミネートされた「L.A.コンフィデンシャル」「カラー・オブ・ハート」がある。

 母は別の男と付き合いはじめ、父は事業の失敗から端を発して両親が離婚。そのショックから家出をする。口先の上手いところを利用して21歳までに400万ドルを稼ぐ詐欺師フランクと彼を追うFBI捜査官カールの実話に基つ゛くコミカルでスリリングな追跡劇。

 父母が仲良くなって欲しいがために犯罪を繰り返す主人公の哀しい姿を童顔を利用してディカプリオがうまく演じている。

 それ以上に素晴らしいのは、捜査官カールとの友情に近い関係からやがて親子に近い関係になることだ。その背景には、おたがいが孤独な人物であるからだ。カールは、離婚して娘と離れ離れになっている。彼は、そんなこともあってフランクに自分の子供のように接し犯罪をやめさせ更正させようとする。クリスマスの夜、1人仕事を続けるカールにバリー・アレンだと名乗る人物から電話がかかる。実は、フランクである。彼も両親の離婚で心が傷つき寂しい思いをしているのだ。ここは、心の交流が育まれるとてもいいシーンだ。カールが父親的存在として変化してゆく姿に救いを感じる。

 また、ディカプリオ以上にこのカール役を演じたトム・ハンクスの演技が素晴らしい。厳しく堅物な捜査官カール、フランクを追い捕まえることに執念を燃やす職業人を「プライベート・ライアン」のように抑えた演技を披露し、そして、しだいにフランクと交わす温かい心の交流を繊細に演じているところは天下一品。

 暗い作品が続いたのでこの作品に取り組んだスピルバーグ。それは、ライティングにも現れている。「シンドラーのリスト」を撮ってからずっと暗いライティングの作品ばかりだった。題材がそうさせたのか、スピルバーグの社会を見る目、気持ちが、暗く、冷たく、冷めたものになっていたのかわからないがとにかく10年間ほど以前の作品のように明るいライティグの作品が無く個人的にはどこか希望のある作品を作ってくれてはいるが、心が晴々しない感を強くしていた。しかし、この作品は、フロリダのマイアミをドラマの舞台の一部としていることもあってこのマイアミの南国の夏のシーンに象徴されるように明るいライティングで撮影しているので気持ちも明るくなりわくわくする。

 少年を偽造小切手を操る天才詐欺師にしたものは、父、母。自分の居場所を求める少年の心の旅。16歳から21歳までの5年間の経験。この時期は、多感な時期でありスピルバーグの人生とだぶる。ちょうどこの頃の彼は、映画作りに熱中した時期であるが両親の離婚を経験し、夢であった映画監督の第一歩を踏み出す頃。彼の居場所は、もちろん「映画」であった。60年代が舞台のスピルバーグの少年時代と同じ。アバグネイルのベストセラー。早撮りで有名なスピルバーグらしく撮影は、ロス、ニューヨーク、カナダのモントリオール・ケベックなど140箇所以上を56日間で行った。古き良き時代へのノスタルジアがある。

 ファースト・タイトルは、ソールバスのようなアニメーションを使ってこれから始まるストーリーをわかりやすく説明している。イキな演出だ。フランクが移動する場所がよくわかりバックにはジョンのジャズ調の曲が流れる。いかにも60年代風の雰囲気が出ていていい。音楽に関しては、その他にも既成曲の効果的な使用が上手い。特に印象的なのは、LAのホテルにフランクが乗り込む場面でかかるボサノヴァの名曲「イパネマの娘」、パンナムのパイロットになりすましてフランクが、マイアミ国際空港から逃げる場面でかかるフランク・シナトラの「カム・フライ・ウィズ・ミー」は、陽気でうきうき気分にさせてくれる。

 ディカプリオの着る衣装が素晴らしい。衣装を担当したのは、メアリー・ゾフレス。パイロット、医師、弁護士。私服もオレンジ、ピンクを前面に押し出したものを登場させ活気あふれる時代を表現している。

 また、この映画は映画の醍醐味の1つであるいろいろな職業をしている人間の人生、アメリカ各地の景観を猛スピードで見せてくれる魅力がある。パイロット、医師、弁護士の仕事のさわりの部分がわかり、ニューヨーク、マイアミ、ニュージャージー、ハリウッドの景観を楽しみことができる。映画のラストでは、フランクが更生して明るく仕事をしているが、その職業が何なのかは見てのお楽しみだが、おもわず笑ってしまうが拍手を心から送りたくなる。

 スピルバーグの少年時代の家族に対する想いをベースにした痛快な詐欺映画。それは、「E.T」と「スティング」をミックスした映画だ。


「マイノリティ・リポート」

2008-03-05 06:04:48 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「マイノリティ・リポート」(2002)

「ブレードランナー」の原作者であるフィリップ・k・ディックの短編小説が原作のSFサスペンス。それを脚本化したのは、スコット・フランクとジョン・コーエン。特にスコット・フランクは、トム・クルーズとジョンのキャラクター作りから始めた。撮影監督のヤヌス・カミンスキーは、黒味を増した影、ざらついた空といった要素を可能にする照明を考えた。特殊効果は、スコット・ファーラル、マイケル・ランティエリが担当し、スピルバーグの作品の中では、「未知との遭遇」以来のショット数481となった。

 未来に起こりうる犯罪を事前に予知し未然に犯人を捕まえる近未来システムの刑事の指揮官が、逆に身の覚えの無い未来の犯罪を犯すと予告され逃亡を強いられる。

 主人公の刑事である父ジョンと息子ショーンの物語でもある。ジョンの不注意で愛する息子ショーンをプールに連れて遊びに行ったときにちょっと目を離したすきに見失い行方不明になる。誘拐されたのである。

 息子への愛が感じられ、子供を失い、妻からも去られ過去を引きずってドラッグに溺れる家族を失った男の話で、そのさびしさをはねかえそうと息子を失った事件をきっかけにジョンは、多くの人が同じ体験をしないように仕事に精を出すが、映画の冒頭で刑事としての1日の仕事を終えて帰宅したジョンが浜辺で撮った在りし日のショーンの可愛らしい姿、若き日の妻の姿が写っているホロ・ファイルの映像を見て息子、妻のいない孤独な生活を紛らわしている。

 そんな日々の暮らしの中で、刑事である自分が未来に殺人を犯すことを予知され逃げるはめになる。ここから始まる逃亡劇の中で見せるスピルバーグのアクション、恐怖演出が見ごたえがある。

 アパートが立ち並ぶ狭い路地の間で繰り広げられるジョンとジェット・パックを背負った部下たちとの派手な空中戦は見ごたえ充分である。部下達が空からジョンを捕まえようとする構図、カメラアングルは見下ろし、あおり。武器として棍棒のようなものを彼らは持ちこれでジョンを叩こうとする。これで叩かれると意識が朦朧とする。ジョンが、ジェット・パックの部下たちに上昇、下降、地面に引きずられる。アパートの梯子に登るジョン。下から追っ手が迫る。すると、その梯子が外れジョンの武器となる。その後、一軒の家に入り込み格闘が始まる。下の家に住んでいるテーブルをはじめ家が揺れる。家の中にあるガスコンロの火を点けジェット・パックの警官の1人にジェット・パックの点火している部分に引火させ大火災を発生させるジョン。天井を突き抜ける。やられる警官。 

 未来交通システムである磁気浮力を利用したマグニレブシステムには、タクシーとエレベーターを合体した乗り物が登場するが、その磁気ハイウェイカーにジョンが殺人犯と予知され当局から追われる最初のシーンで飛び移るシーン。 

 ジョンとウィットワの対決。ウィットワ率いる捜査官たちとの車の自動組み立て工場でのアクション。ベルトコンベアーに落ち成形ボディに閉じ込められ絶対絶命と思いきや出来上がった車を運転しまんまと逃げるジョン。

 ジョンが、犯罪予防局に潜入するため眼球交換手術をする。老朽化したアパートに隠れているジョン。そこに犯罪予防局の網膜ID探知ロボットのスパイダーが襲う。このシーンは、俯瞰撮影を多用してアパートの各部屋を上から映しスパイダーがはいずりまわる様子と住人たちの生活の様子が交互に見せ恐怖とコミカルな演出をしているところはヒッチコックを思わせる。 この演出を可能にしたのは、3Dのコンピュータ・ストーリーボードであるアンマティクスを採用したことにある。スピルバーグが、コンピュータのエンジニアらのソフトを使い実際に撮影を可能にするためにクレーンカメラや照明の位置、俳優の動きをコンピュータ上で考えた。

 ジョンが予知能力を持つプリコグの一人であるアガサを外に連れ出すシーンで、デパートでギャップの服を買い買い物客が何を考え感じているかを予知するアガサには思わず笑ってしまう。そして、雨が激しく降りしきる中大勢の人々が傘をさしている。その中をその傘を利用して追っ手から逃げるシーンもヒッチコックタッチ。

 ジョンは、アガサによりリオ・クロウという男を自分が殺すことになることがわかる。その男がいるマンションにアガサを抱えて部屋に入る。実は、この人物こそその昔ジョンの息子を殺した犯人であったのだ。そのことが判明しジョンは予知通りにその男を殺す。そして、犯罪収容所送りになる。しかし、ここから大どんでん返しが始まる。詳細は見る方のために触れないでおこう。

 トム・クルーズの演技が素晴らしい。仕事では、指揮官として同じ男から見ても惚れ惚れするような仕事ぶりでかっこよくてきぱきと犯人を捕まえ、誰からも尊敬されているが、仕事を離れると家族のいない寂しい男、父親を熱演。また、特に体を張ったアクション、そして、自分の目がIDとなって行き先までわかってしまう社会システムのため追っ手から逃げようとするあまり眼の手術をして義眼となる手術シーンとその後、白い眼帯を巻き痛々しく気味悪く逃げるシーンは狂気迫るものがあった。

 スピルバーグが監督した作品の中で最も複雑な内容で、繰り返し見ないとわからない作品だが、同時にいろいろな要素を含んでいるので見るたびに発見があり面白い。「この映画は、こういうスートーリーだったのか」と気つ゛かせてくれる異色な作品である。 

 

 「スピルバーグ流ミステリー映画」。フィルム・ルノワール的、前衛的なタッチを中心にその背後に彼が得意とするアクション、恐怖、そして、家族の演出を隠し味にしてブレンドしている意欲作。


「A.I.」

2008-03-03 06:15:24 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「A.I」(2001

 スピルバーグ初の近未来SF映画。「未知との遭遇」以来彼自ら脚本を書いた。そして、キューブリック監督に映画化の構想を抱かせた原作は、イーアン・ワトソンのスクリーン・ストーリーとイギリスのSF作家で有名なブライアン・オールディスの短編小説である。

 撮影は、ヤヌス・カミンスキー。彼が、今回こだわった事はいつもにも増して脚本をじっくり読みこなしそれを照明や撮影に反映させることだった。特に照明に関しては、大きく3つに構成されている。普通、アクション・アドベンチャー風、ドラマチックで感動的創造的。

 特殊効果を担当したのは、マイケル・ランティエリ。ロボットキャラクターのデザインを担当したのが、スタン・ウィストン。

キューブリック監督の狂気と「未知との遭遇」や「E.T」のスピルバーグのエッセンスが混合された作品であるために初見のときは、何だか消化不良のように感じてしまったが見直してみると意義深く悲しい感動的な作品。

 キューブリックは、写真家出身でオリジナル脚本を書く才能はないが大変な読書家でありそこから映画になりそうな題材を探す映画監督として知られている。しかし、惜しくもキューブリックは亡くなってしまいその意思を継いだのがスピルバーグである。彼は、キューブリックの書いた90ページに及ぶシノプシスと資料を基に2ヶ月で脚本を書き上げた。奇しくもキューブリックの代表作「2001年宇宙の旅」のタイトルの一部である2001年にこのA.I.が公開された。

 タイトルの文字がうまい。主人公のデイビッドのロボットの姿をAとIの文字にかさねてある。デイビッドは、11歳、体重27キロ、身長137センチ。髪の色は、ブラウン。

 主役の愛をインプットされて誕生したA.I.(人工知能)を持つロボット少年デイビッドを演じたハーレイ・ジョエル・オスメントの演技が素晴らしい。自分は、機械だと知らず人間のように感じ考え行動するロボットを演じた。それも人間のように話し人間に近い動きをするが瞬きひとつしない。

 人口知能が愛に目覚めたとき、人間はこの機械に愛情を注げるか?親への愛、とりわけ母への愛をインプットされたロボットは母親を永遠に愛し続けるが、一方の人間である母親は永遠にロボットの愛を受け入れられない。実の子とは違うのだ。

 人口の過密化によって出産制限がひかれた21世紀後半。スウイントン夫妻は、子供を持つ権利を与えられ男の子を授かったが不治の病にために冷凍保存されてしまい悲しくてしかたがなかった。子宝にもその後、恵まれずにいた。そこで、人工知能に愛をインプットされた少年型ロボット、デイビッドと暮らし始める。最初は、うまくいったかに見えたがやはり所詮ロボット、うまく行かなくなる。そんなころ最新の医学で実の息子が生き返ったため母親は実の息子とディビッドと暮らし始めるが母の実の息子に対する愛情、溺愛ぶりを見たディビッドは息子に嫉妬したため母に見捨てられる。ディビッドにはいつしか涙が流れる。自分のことを本物の子供だと信じていた彼は、母の愛を得る事ができない。

 ここから悲劇が始まる。ディビッドが捨てられる場所は、森の中。そこまで自家用車で母は、ディビッドと行く。車のサイドミラーによるスピルバーグの演出がさえる。サイドミラーに映る悲しげなディビッド。それを見つめる母。車が動く。するとミラーに映るディビッドは、引きの画面になり母の目から遠ざかる。母の顔のクローズアップ、そこには何と涙があった。ここで母には実はディビッドへの愛が完全に無くなったのではなくやむにやまれて見捨てなければならないことがわかる。それがいっそう悲しみを誘う。

 その後、地球温暖化で水没したニューヨークをさまようディビッド。そこは、ロボットの廃棄場になっていた。そして、時代はいっきに数千年後の世界へ移る。このシーンは、キューブリックの「2001年宇宙の旅」のラスト近くの映像とだぶる。そこは、人類、愛、家族の概念が通じない未来。海へ潜水艇で潜り女神に人間になれるように祈願してそのまま氷の世界に閉ざされてしまったディビッド。彼は、停止状態で宇宙人に助けられ願いが通じて死んでしまった母に一日だけ一緒に過ごせることになる。ママの愛情に触れるディビッド。その一日は、彼にとってかけがえのない日となった。夢が叶った。そして、大昔に彼を見捨ててしまった母のディビッドに対する愛情は残っていたことが明らかになる。

 そして、バックに流れるジョンの音楽、特に「フォー・オールウェイズ」が素晴らしい。愛は、永遠にいつまでも続くと信じることの大切さを感じさせてくれる曲。それは、ロボットと人間の間においても。そして、コミュニケーションのとりかた、つまり、愛情を注げばその愛はいつか報われる。また、愛されたければ受身でいるのではなく愛そうとする対象にむかって愛を捧げなければその愛は実を結ばないことを教えてくれる。この曲に歌詞がついて歌われるものが映画の最後に流れるが、これがまた感動的だ。デビッド・フォスターのプロデュースの元、カナダの世界的なシンガーソングライターのララ・ファビンとオペラ歌手のジョジョ・グローバンのデュエットだ。

  21世紀の近未来を見越したテーマである「ロボットと人間の良好な共存関係」をスピルバーグが得意とする子供、それも子供ロボットを主人公にして描いている。現実の社会では、既に人間の代わりに掃除機をかけるロボットや産業用ロボットが活躍し始めていて便利な社会の到来を予期するが、もし、人口知能を持つロボットが出現した時にコミュニケーションの方法を間違えると未来社会は成立しなくなることを暗示している作品。

「プライベート・ライアン」

2008-03-01 07:53:36 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「プライベート・ライアン」(1998

 スピルバーグ初の第二次大戦を本格的に描いた戦争映画であり、2度目のアカデミー賞監督賞を受賞した。彼がいずれこのジャンルの大作を撮ることは、14歳の時に撮った「エスケープ・トゥ・ノーホエア」というアマチュア映画を作っていることから推測できた。そのうえスピルバーグは、この頃自分の父親をヒーローとしてやっと見直すことができた。それがこの作品を作るきっかけになっている。なぜなら、スピルバーグの父のために作った映画でもあると思われるような父たちの時代の戦争を取り上げている。しかも、父は第二次大戦中ビルマ戦線で通信技師をしていたという。それは、この作品ではアパム伍長のキャラクターに反映されている。

 この映画に共感できるのは実戦体験はないが語学力が買われて戦場に行くアパム伍長のようにごく普通の人が登場するからである。その際たる者はトム・ハンクス扮するジョン・ミラー大尉である。彼は、高校の先生をしていた。しかも先生らしく映画の最後の方で敵のドイツ軍の砲弾に当たり死の間際に命を救った若きライアン2等兵に対して「しっかり生きろ!」と言って命を絶つシーンがある。人生の師の象徴的な職業は、何と言ってもやはり教師がその筆頭に挙げられる。このシーンは、この映画の中でも特に印象に残る。私には、スピルバーグ作品の中ではセリフから生きていく勇気をもらえた作品だ。人生の応援映画のような気がする。人生、どんな事があっても死んではいけない。生きるんだよ。人間、生きてこそ価値があり、いやな事もあるけど必ず努力すればいいこともあるんだよ」とスピルバーグがトム・ハンクスを通して語りかけていていたく感動して目頭が熱くなる。

 この映画の特徴としては、ドラマ構成が明確になっている。動から静また動という3部構成。

 最初のシーンのオハマ・ビーチの激戦は、冷酷、ドキュメンタリー、戦争の狂気・悲惨さがリアルな映像として伝わり、ラストシーンの多くの犠牲者を伴ってやっとのことでライアンを見つけたミラー大尉、帰ろうとしたところ当のライアンが、ドイツ軍の機甲部隊を待ち受ける戦友を見殺しにする形では国に帰れないと言い出す。ライアンの断固たる決意に説得を諦めたミラーは、共に踏みとどまってドイツ軍と一戦を交える。乏しい兵力と装備の中で戦闘準備に入るミラーの分隊。ヒューマンタッチ、愛国心への痛烈な風刺を表す。

 編集、ハンディ・カメラの多用、効果音の素晴らしさ。特に砲弾が矢のようにすばやく飛び交う音、爆撃音。

 シリアスな映画でありながらエンターティメント性も忘れていないスピルバーグらしく上空からは戦闘機が飛交い地上ではドイツ軍の戦車が行き交う。この戦車郡は、地響きを感じさせる演出でミラー大尉らを襲って来る。ここのカメラワークが素晴らしい。手持ちカメラが兵士たちの目になる。画面が揺れる。

 最初の方で4人の息子のうち3人を戦死させてしまった母親。アメリカ中西部のアイオワ州の畑の中にぽつんと建っている一軒の家。息子の戦死をポーチに座り込む母のバックショット、軍の関係者の車が家に向って来る映像だけを使って巧みに演出している。そして、母の愛する息子たちが戦死し、1人生き残った息子を帰して欲しいという母の想いが強く現れている。また、このシーンには、スピルバーグが好きな画家ノーマン・ロックウェルアンドリュー・ワイエスの影響が見える。1人生き残った息子を母親のもとへ帰してやる心温まる戦争映画。しかし、兵役義務としてその作戦に強制的に参戦させられた兵士たち、その中にはミラー大尉を始めてとして犠牲者になったものもいる。この皮肉。彼らにも愛する友人、恋人、両親、家族がいるのにその者たちと別れて敵地の中から救い出す無謀とも言える異例の任務に出かけたのである。

 この作戦に参加したものたちの心の支えは、故郷を思い出すことだった。それは、ミラー言わく「ライアンなんて赤の他人だ。彼を探し出して早く妻の元に帰る」のセリフに凝縮されており、他のものも家族に手紙を書いたり、妻や恋人の事を思う。また、死んでいくものは「ママ」と叫ぶ。この映画にも見事にスピルバーグの永遠のテーマである「家族」が取り上げられている。

 「リアルな戦争映画」。写真家のロバート・キャパの写真を思いだすような感じ。「史上最大の作戦」のようなカッコイイ戦争映画ではなくて、ドキュメンタリータッチの中に戦争に駆り出された個人の視点、それも私たちと同じごく平凡な人々の視点で戦争の悲惨を訴え、改めて平和の願いが込められた作品である。


「アミスタッド」

2008-02-29 04:48:34 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「アミスタッド」 (1997

 スピルバーグ初の法廷劇である。実際に起こった事件でアメリカにとって非常に重要なストーリー17世紀からアメリカでは奴隷制度が始まっていた。ポルトガル船でアフリカからキューバのハバナに来た53人の奴隷たちは、スペイン人に買われ1839年6月26日にラ・アミスタッド号でキューバのプエルト・プリンシペへ向う際に自分たちは殺されるという噂を知った。リーダーであるシンケは、19世紀半ばアフリカの大地でライオンを倒した1人の男で漆黒の肌を持つ24歳の男。彼は英雄であったが、拉致され奴隷船テコラ号でハバナへ運ばれた。そこで、スペイン人のルイズとモンテスに仲間と鎖につながれアミスタッド号に乗せられる。長い航海で白人が自分たちアフリカ人に暴力をふるい虐殺まで行う。港を出て3日。船は、キューバ沖で荒れ狂う嵐の中、船底でシンケは首につけられていた鉄の鎖をはずし武器を手にしたアフリカ人たちは、甲板に出て自分たちを苦しめた乗組員を次々に殺す。そして、シンケをはじめとする奴隷たちは自由のために闘い船を乗っ取る。その後、舵取り役で奴隷商人であるスペイン人ルイズとモンテスに騙されてアメリカに着く。

 しかし、2ヵ月後にアメリカの沿岸警備船ワシントン号に取り押さえられシンケたちは、アメリカで殺人と海賊行為に問われ刑務所に投獄される。死刑を待つのみ。そんな中、彼らを救おうと立ち上がったのがアメリカ革命の父であるジョン・アダムズの息子であり元大統領であるジョン・クイシー・アダムズである。

 夜の船上における奴隷による乗組員殺戮シーンの映像が本当に恐い。このシーンの撮影は、ヴァンナイにあるサウンドステージに建てられた船のデッキ上で行われた。特殊効果班が液圧で波による船の揺れを発生させる装置を並べた上に船のセットを建設し、大波を作り出す巨大タンクに雨や雷の効果を組み合わせたものだ。その特殊効果により一段と恐怖感を出している。

 ジョン・クイシー・アダムズ扮するアンソニー・ホプキンスの演技が素晴らしい。悪役のイメージが強い彼だが、存在感のある演技はヒーロー役でも存分に生かされている。また、若き弁護士ロジャー・ボールドウィンに扮したマシュー・マコノヒーの演技、アフリカ人リーダーのシンクに扮したジャイモン・ハンスウの演技も素晴らしい。

 シンクと白人たちは言葉が通じずさまざまなコミュニケーションを試みるがその中でも特に印象的なのが弁護士がどこから来たのかを尋ねようと土に棒で地図を書いてみるが彼らにはわからない。しかし、両者は歩みようと努力する。白人側は彼らの言葉を覚えようとしたり通訳を探す。

 奴隷船における黒人奴隷の反乱の史実で、アミスタッドとはスペイン語で友情の意味で奴隷船の名前。アメリカの法廷で黒人達の反乱。犯罪派、自由を奪われた者の当然の権利派。スペイン女王は、国の財産として奴隷の返還を求める。アメリカ海軍の将校は、捕らえた者としての所有権を主張。他に奴隷解放論者。若手弁護士ボールドウィン(マシュー・マコノヒー)は、奴隷解放のためといった正義感からではなく黒人奴隷の財産権は、どこにあるのかという法律上の解釈で闘う。様々な立場の者が、それなりの言い分をもって権利や主張を言い合うところは、興味深く面白い。 元アメリカ大統領のアダムズ(アンソニー・ホプキンス)の力も借りて黒人側の勝利。彼の言、「彼らが誰なのかを知れ。そのために彼らの物語を法廷で語らせること」被告とされた黒人奴隷の一人が、裁判所へ行く途中クリスチャンの一団から一冊の聖書を渡され獄内でキリストの挿絵をみてその一生に深い関心を覚える。このキリストの物語により心のなぐさみ、救いの希望と勇気を与えた。スピルバーグのストーリーテイラーの本領が発揮された。

 スピルバーグが初めて白人の立場から黒人問題に取り組んだ作品だけあって「カラー・パープル」にはない我々黄色人種にとっても共感する部分が多い。白人であるスピルバーグがいかにして黒人とコミュニケーションをとって黒人が人間の生まれながらにして持っている権利、「自由」を勝ち取るまでを描いている。こうして、彼が黒人問題を映画化した背景には、昨今の社会に対する黒人の影響力の強さを彼も感じ始めているからである。その現れとして彼自身「ロスト・ワールド」では、主役の娘に黒人を起用しプライベートで2人のアフリカ系アメリカン人を養子としている。