
「プライベート・ライアン」(1998)
スピルバーグ初の第二次大戦を本格的に描いた戦争映画であり、2度目のアカデミー賞監督賞を受賞した。彼がいずれこのジャンルの大作を撮ることは、14歳の時に撮った「エスケープ・トゥ・ノーホエア」というアマチュア映画を作っていることから推測できた。そのうえスピルバーグは、この頃自分の父親をヒーローとしてやっと見直すことができた。それがこの作品を作るきっかけになっている。なぜなら、スピルバーグの父のために作った映画でもあると思われるような父たちの時代の戦争を取り上げている。しかも、父は第二次大戦中ビルマ戦線で通信技師をしていたという。それは、この作品ではアパム伍長のキャラクターに反映されている。
この映画に共感できるのは実戦体験はないが語学力が買われて戦場に行くアパム伍長のようにごく普通の人が登場するからである。その際たる者はトム・ハンクス扮するジョン・ミラー大尉である。彼は、高校の先生をしていた。しかも先生らしく映画の最後の方で敵のドイツ軍の砲弾に当たり死の間際に命を救った若きライアン2等兵に対して「しっかり生きろ!」と言って命を絶つシーンがある。人生の師の象徴的な職業は、何と言ってもやはり教師がその筆頭に挙げられる。このシーンは、この映画の中でも特に印象に残る。私には、スピルバーグ作品の中ではセリフから生きていく勇気をもらえた作品だ。人生の応援映画のような気がする。「人生、どんな事があっても死んではいけない。生きるんだよ。人間、生きてこそ価値があり、いやな事もあるけど必ず努力すればいいこともあるんだよ」とスピルバーグがトム・ハンクスを通して語りかけていていたく感動して目頭が熱くなる。
この映画の特徴としては、ドラマ構成が明確になっている。動から静また動という3部構成。
最初のシーンのオハマ・ビーチの激戦は、冷酷、ドキュメンタリー、戦争の狂気・悲惨さがリアルな映像として伝わり、ラストシーンの多くの犠牲者を伴ってやっとのことでライアンを見つけたミラー大尉、帰ろうとしたところ当のライアンが、ドイツ軍の機甲部隊を待ち受ける戦友を見殺しにする形では国に帰れないと言い出す。ライアンの断固たる決意に説得を諦めたミラーは、共に踏みとどまってドイツ軍と一戦を交える。乏しい兵力と装備の中で戦闘準備に入るミラーの分隊。ヒューマンタッチ、愛国心への痛烈な風刺を表す。
編集、ハンディ・カメラの多用、効果音の素晴らしさ。特に砲弾が矢のようにすばやく飛び交う音、爆撃音。
シリアスな映画でありながらエンターティメント性も忘れていないスピルバーグらしく上空からは戦闘機が飛交い地上ではドイツ軍の戦車が行き交う。この戦車郡は、地響きを感じさせる演出でミラー大尉らを襲って来る。ここのカメラワークが素晴らしい。手持ちカメラが兵士たちの目になる。画面が揺れる。
最初の方で4人の息子のうち3人を戦死させてしまった母親。アメリカ中西部のアイオワ州の畑の中にぽつんと建っている一軒の家。息子の戦死をポーチに座り込む母のバックショット、軍の関係者の車が家に向って来る映像だけを使って巧みに演出している。そして、母の愛する息子たちが戦死し、1人生き残った息子を帰して欲しいという母の想いが強く現れている。また、このシーンには、スピルバーグが好きな画家ノーマン・ロックウェルやアンドリュー・ワイエスの影響が見える。1人生き残った息子を母親のもとへ帰してやる心温まる戦争映画。しかし、兵役義務としてその作戦に強制的に参戦させられた兵士たち、その中にはミラー大尉を始めてとして犠牲者になったものもいる。この皮肉。彼らにも愛する友人、恋人、両親、家族がいるのにその者たちと別れて敵地の中から救い出す無謀とも言える異例の任務に出かけたのである。
この作戦に参加したものたちの心の支えは、故郷を思い出すことだった。それは、ミラー言わく「ライアンなんて赤の他人だ。彼を探し出して早く妻の元に帰る」のセリフに凝縮されており、他のものも家族に手紙を書いたり、妻や恋人の事を思う。また、死んでいくものは「ママ」と叫ぶ。この映画にも見事にスピルバーグの永遠のテーマである「家族」が取り上げられている。
「リアルな戦争映画」。写真家のロバート・キャパの写真を思いだすような感じ。「史上最大の作戦」のようなカッコイイ戦争映画ではなくて、ドキュメンタリータッチの中に戦争に駆り出された個人の視点、それも私たちと同じごく平凡な人々の視点で戦争の悲惨を訴え、改めて平和の願いが込められた作品である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます