goo blog サービス終了のお知らせ 

スピルバーグと映画大好き人間、この指とまれ!

カフェには、映画が抜群に良く似合います。
大好きなスピルバーグとカフェ、アメリカ映画中心の映画エッセイ、
身辺雑記。

「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」

2008-02-28 06:12:37 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」(1997

「ジュラシック・パーク」の続編。今回も原作者は、マイケル・クライトンで、ベストセラーになった。脚本は、クライトン自身と前作同様にデビッド・コープが担当した。特にコープは、この時期にトム・クルーズ主演の「ミッション・インポッシブル」の脚本も書いている。特殊効果の担当は、これもまた前作同様にスタン・ウィストン、デニス・ミューレン、マイケル・ランティエリ。

 インジェン社の会長がハモンド氏から甥のルドローにかわりジュラシック・ パークに恐竜を供給するための施設サイトBがある島に恐竜がいるとの情報をハモンドは知り前回の失敗を繰り返さないために視察団を現地に派遣した。メンバーは、マルコム、その恋人で古生物学者のサラ、ビデオジャーナリストのニック・フィールド、装備専門家のエディ、そして、マルコムの娘ケリー。ルドローは、アメリカのサンディエゴの近くに恐竜動物園をつくる大計画のため恐竜を生け捕りにきていた。

 恐竜の数、種類とも前回の「ジュラシック・パーク」以上に登場し、しかも、凶暴な肉食恐竜が多数現れるとあって迫力が増している。

 特に今回は「ジュラシック・パーク」以上に多くのスピルバーグの恐怖感の演出を堪能できるのが魅力だ。冒頭で、島で少女が小さい肉食恐竜コンビに襲われるシーン。島に上陸して初めてステゴザウルスと遭遇するシーン。そのステゴザウルスは、カメラの巻き上げる音に反応してサラを襲う、サラが子供に触れると親が暴れだし、尾にあるトゲに刺されそうになる。ここの尾を振り回しサラを襲うシーンはすごい。ティラノサウルスの登場のさせ方。最初に足跡だけを見せておいて前作へのオマージュが感じられる地響きとともに水溜りが振動する。ティラノサウルスが動き出す姿を俯瞰撮影でジャングルの樹が揺れる様子を見せて表現している。川辺でキャンプした一行をティラノサウルスが襲う。サラのシャツに付いたティラノサウルスの赤ん坊の血の臭いに誘われてやって来た。テントで寝ているサラとケリーを襲う。テントに映るティラノサウルスの影に気つ゛いたサラは、灯りを消すがそれが一層恐怖を増す。サラが2頭のラプトルと格闘し屋根から落ちるシーン。最後には、サンディエゴにティラノサウルスが上陸し、街を破壊するシーンなど。

 そして、なかでも彼の演出が冴えるのは、サムとニックがティラノサウルスの赤ん坊の傷の手当をしているときに子供を奪われた事を知った親が、トレーラーを襲うシーン。サラは、赤ん坊を親の元へ返してやるが怒りはおさまらずさらに襲う。このシーンのすごいこと。スピルバーグの「激突!」や「ジョーズ」を彷彿させる。ティラノサウルスは、トレーラーを崖から落とそうとする。後部車両が宙ずりになる。真下には荒れ狂う波がある。樹上高く設置された避難用のカーゴから見ていたエディは、ケリーをカーゴに残しトレーラーの救出に行く。エディがロープを投げたがティラノサウルスに食われてしまう。一方のサラとニックは、手の重みでガラス窓にひびがめきめきと入り海へ落下する危険がせまる。

 さらに、後半部分の草原のハンターたちをラプトルが襲う。ここも俯瞰撮影で草の揺れる動きとラプトルが通った痕跡を映す。ラプトルは、低い姿勢でハンターたちから見えないように隠れて背後からあるいは正面から跳びかかりハンターたちを食べる。本部地区通信センターでのシーン。ラプトルが迫ってきた。マルコムは、サラとケリーを屋内に逃がす。1人ラプトルと対決する。車に逃げ込むマルコムを襲うラプトル。特に助手席側にある窓ガラスをラプトルがぶち壊し、運転席にいるマルコムを襲うところは、「宇宙戦争」でも似たシーンがある。スピルバーグは、このカメラワークが好きなのだろう。一方、サラとケリーも屋内でラプトルに狙われる。しかし、ケリーがここで大活躍をする。学校で器械体操の賞を取ったほどの腕前を発揮する。鉄棒にぶらさがり回転してキックしてラプトルを倒す。ここは、伏線が張ってあり冒頭の方で父マルコムとの会話の中でこのエピソードが出てくる。

 この時期は、スピルバーグにとって3年間の充電期間だった。3年間も映画を撮らなかったのは過去を振り返っても無い。前作の「シンドラーのリスト」が彼の精神に多大な影響を与えたのだろう。監督復帰作が、エンターティメント性の強いアクション・パニック映画のジャンルになったのは、何とも彼らしいし、ファンとしては嬉しい限りだ。

 スピルバーグ監督作品の中でも一番カメラが生き物のように激しく動き回り彼の映像テクニックを存分に楽しめる映画。それもそのはず彼が得意とするジャンルの映画だからである。


「シンドラーのリスト」

2008-02-26 05:52:18 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「シンドラーのリスト」(1993

 

スピルバーグのルーツ、ユダヤ人をめぐる作品。実話を基にモノクロ撮影、移動型カメラを使用しシリアスなテーマだがエンターティメントに仕上げた。念願のオスカー監督賞受賞を始め作品、脚色、撮影、美術、編集、作曲賞受賞。

原作は、ドキュメント作家であるトーマス・キー二リー。彼は、この作品で1982年のイギリスのブッカー賞を受賞している。

実話を基にしたストーリーを脚本にするには、時間がかかり10年という歳月がかかった。この間に何人もの脚本家が断念した。結局、スピルバーグの満足がいく脚本に仕上げたのは、やはり、実話を基にした「レナードの朝」でオスカーにノミネートされたスティーブン・ザイリアンだった。彼の脚本の力とスピルバーグのこの映画に構想10年をかけた情熱と準備がこの映画を大成功に導いた。

 まず、映画の冒頭シーンが印象に残る。ユダヤ教の祈祷の声をバックにカメラは、燭台にある蝋燭の火をクローズアップで映す。火が消え煙が白く天井高く長く立ちのぼり場面は、雪で覆われたポーランドのクラクフに変る。雪のシーンが大部分を占めるのは、恐怖や悲しみを表現する手段。

 1939年9月1日。第2次世界大戦。ドイツのポーランド進攻が始まる。ポーランドの南部の都市クラクフにナチスが台頭する。その時、チェコスロバキアからオスカー・シンドラーがこの国にやって来る。彼は、ナチ党員であり多額の賄賂でナチス党員をたらし込む事業家、女とコニャックに酔いしれメルセデスを乗り回す道楽者。商売で一儲けしょうとこの国にやってきた。まず、彼は倒産した工場を手に入れ軍用のホーロー容器工場の経営に乗り出す。

 1941年3月。総督府44/91によりユダヤ人たちは、住み慣れた家を追われゲットー(臨時強制労働収容所)で暮らす。この労働力に目を着けたシンドラーは、ゲットーのユダヤ人たちを自分の工場に集めた。

 1943年2月。ゲットーの解体。ゲットーの閉鎖の日にシンドラーは、小高い丘の上からその様子を見る。住民を家畜のように追い立てる親衛隊。抵抗する者は殺される。隠れようとする子供たち。悲惨な光景を見つめるシンドラーの目に「赤いコートを着た一人の幼女」の姿が目に入る。とことこ歩いているなか目の前で少年が銃殺される。行列についていこうとした幼女は、脇の建物に消える。プワシュフ所長にアーモン・ゲートが赴任すると収容所は恐怖の場所と化す。ユダヤ人に襲いかかる過酷な運命に同じナチであるシンドラーが我慢できなくなる。

1944年ソ連が急速に西への攻勢に出る。ナチスは、死の収容所の一掃を始める。プワシュフでは、1万人以上の囚人が殺される。シンドラーは、あの赤いコートの幼女の死体を見つける。シンドラーの収容所が閉鎖。どんなことをしてでも自分の工場で働く者だけは守り抜こうとする。

モノクロ映像の中に赤いドレスを着た幼女が1人とことこ歩き母親を探しているのを丘の上から見ているシンドラー。ここから彼に善の心が芽生え始める。1200人のユダヤ人の救出が始まる。

 印象に残るシーンを挙げてみよう。アウシュビッツへ向う囚人が乗っている列車は、直射日光にさらされている。それをシンドラーは見て列車にホースで水をかける。ホーロー容器工場。砲弾の小さな細い所を磨くにはこの女の子の手が必要だとナチスの軍に連行されていこうとする子供を必死で連れ戻したシンドラーの表情。良心の芽生え。アーモン・ゲートを演じたラルフ・ファインズの狂気迫る演技がすごい。早朝起きて煙草をふかし用を足した後に暇つぶしのようにライフルを片手に持ちユダヤ人を次々と撃ち殺す。冒頭で夜、ナチが番犬を連れて狭く暗い細道の通路を通り抜けユダヤ人たちが住んでいる家を襲う。ここは、移動型カメラの効果と「第三の男」のような光と影の演出が素晴らしい。ユダヤ人の子供たちが、ナチに捕まらないように逃げる。ある男の子が泥水で一杯の地下水路に逃げ込みその上を捜索するナチ。捕まらないように殺されないようにと脅える男の子のアップ。そこへわずかな光が差し込む。希望の光。ユダヤ人たちが男女問わず裸にされ収容所を走りまわり殺される。ナチがユダヤ人たちを殺し高くうずまった多数の死体に火を放つ。

 そして、何と言ってもこの映画のなかで感動的な場面は、次の2つである。

 まずは、シンドラーが、ありったけの金をトランクに詰め、ゲートとの直談判に出かけチェコスロバキアに工場を移転し、熟練工と共にプワシュフの役に立ちそうな者たちも連れてゆくことに成功したが、その内の何十人かが何かの手続上の間違いでアウシュビッツ収容所へ移送され、地下のガス室で殺されそうになることを知った彼は、あらゆる手段を使って自分の元へ戻すことに成功するシーンがあるが、ここだけはこの映画の中でスピルバーグはドキュメンタリータッチを表現する移動型カメラを使用せずにいつものカメラでカットバック、テンポの速いクロスカッティングを多用して緊張感のある映像に仕上げている。しかも、シンドラー扮するリーアム・ニーソンの迫力ある演技に脱帽する。これは、彼自身の演技力とスピルバーグの演出の賜物である。カリスマ性を持ち身体が大きいリーアムをキャスティングしたスピルバーグ、オスカー・シンドラーの役に惚れ込み研究し尽くした感のあるリーアムの努力の結晶である。シリアスな映画でありながらエンターティメント性が感じられるのは、あのインディ・ジョーンズのようなヒーロー性がシンドラーにあるからだ。

 次に、シンドラーとユダヤ人の囚人たちの最後の別れのシーン。戦争終結、ドイツの敗北でアーモン・ゲートを始め多数のナチスが処刑される中、シンドラーに命を救ってもらったユダヤ人たちが、感謝のしるしに仲間の1人の金歯を抜いて指輪に加工してプレゼントする場面は、涙を誘う。また、映画の最後のシーンで画面がカラーになりオスカー・シドラーの墓をリーアム・ニーソンを始めとする演じた俳優たちと実際にシンドラーに命を救ってもらった人々が一緒に訪れる場面。批評家の人々は、この映画を大絶賛しながらもこの2つのシーンだけは「スピルバーグは、おセンチになり過ぎ」との批判の声があったが、私は、センチメンタルのどこが悪いのかと思う。むしろ、彼のセンチメンタリズムは私は大好きである。

 この作品がなぜ大勢の人々に評価されたかを考えてみると、やはり、「人間の良心の存在」を追求したからである


「ジュラシック・パーク」

2008-02-24 06:02:25 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

 「ジュラシック・パーク」(1993

 「E.T」の興業成績を塗り替え、特にC・Gの素晴らしさが話題になった。それもそのはず特殊効果を担当したのが、デニス・ミューレン、スタン・ウィストン、フィル・ティペットという大御所だ。 原作はマイケル・クライトンの大ベストセラー。脚本は、マイケル・クライトンとデビッド・コープが書いた。しかし、その脚本は、原作の10パーセントが生かされているもので大幅に書き換えられている。いつものスピルバーグらしい。「ジョーズ」でもそうだった。美術を担当しているのは、リック・カーターで、彼は、ハワイのカウアイ島をロケ地に決めた。リチード・アッテンボローが出演しているが、彼は、「大脱走」の主犯格を演じ、また、「ガンジー」でアカデミー賞の監督賞を受賞しているが、奇しくも同じ年にアカデミー賞の監督賞を競そったのは、「E.T」であった。

 檻の中に入れられていたラプトルが突如、監視員を襲うシーンで映画は始まる。ラプトルの目のクローズアップ。この眼の不気味なこと。ここで、すでに観客の心を惹きつけてしまう。

 恐竜のDNAによって甦った恐竜のテーマパーク化の計画の実現にあたって、公的な安全なお墨付きが必要であるためリチャード・アッテンボロー扮する実業家のハモンド氏が、サム・ニール扮するグラント古生物学者とローラ・ダン扮するエリー古生物学者、そして、ジェフ・ゴールドブラム扮する数学者マルコムを連れてジュラシック・パークへヘリコプターで向う。ここは、俯瞰撮影が素晴らしく私の好きな作品「タワーリング・インフェルノ」の冒頭シーンでやはりヘリコプターがサンフランシスコ上空を飛ぶシーンを思い出す。偶然だがどちらの作品もジョンの壮大でスケールの大きい音楽が印象に残る。自然の厳しさや山の美しさを見事なカメラワークでとらえ冒険心をあおる。そして、ヘリがパークへ直下降で到着するシーンは、周りにある海水のしぶきを跳ね飛ばしてカメラは、クレーン撮影を使ってダイナミックにヘリが地上へ降りてくるところをとらえパンしてパーク専用の車が映る。車体の横にあるジュラシックパークのロゴのクローズアップ。その後、カメラはパンしてヘリがパークを離れるところを映す。何とも心躍る楽しい始まり方だ。

 その後、ツアー開始。ティラノサウルスの登場のさせ方が、迫力がある。ハモンド氏の孫、ティム(演ずるはジョゼフ・マゼロ)とレックス(演ずるはアリアナ・リチャーズ)、グラント、エリー、マルコム、パークの投資家たちを代表する顧問弁護士ジェナーロが2台の車に分かれてパーク内をまわる。ツアーが開始されてもお目当ての恐竜は1匹も姿を現さない。肉食恐竜ティラノ・サウルスがいるであろうゾーンに来ても姿を現さない。そこで、ハモンド氏はめえー、めえーと鳴く山羊をおとりの餌にして檻に入れて試してみたが、いっこうにティラノ・サウルスは姿を見せようとはしない。ここは、非常に観客を怖がらさせながらも滑稽で笑わせてくれるシーンだが実はこの後、起きるティラノ・サウルスの襲撃シーンの伏線が張られている。やがて、ハリケーンが近ずいているせいで空模様が怪しくなる中でビジターセンターへ帰りを急ぐ彼らの前に突然雷雨が起きた。電子制御されていた車が止まりライトや道路灯も全て消え、車の中で立往生してしまう。暗闇の嵐の中、先ほどきたティラノ・サウルスのエリアに来た。さっきまで山羊が鳴いていたのに聞こえない。そして、大地を揺るがす振動が伝わってくる。これをスピルバーグは、ティムとレックスの車内にある透明な小さい飲料水用コップの中の水が揺れる様子をクローズアップでとらえティラノ・サウルスが現れる前兆の象徴としているところが上手い。その後、高圧電流とコンピュータのコントロール不能に陥ったパーク内を恐竜たちが襲う。その手始めとしてティラノ・サウルスがいよいよ登場する。ティラノ・サウルスの叫ぶ声。カメラは、レックスの目線でティラノ・サウルスをとらえる。レックスが高圧電流の電線がある方へ目をやり見上げるとそこにティラノ・サウルスがいてさきほどの山羊を一口で食べる顔のクローズアップ。ティラノ・サウルスがレックスの目線まで頭を下げてくる。眼のクローズアップ。鼻のクローズアップ。車のガラス越しにレックスに向けて鼻息を吹きかける。ティラノ・サウルスは、電線の金網を破り、レックスとティムが乗っている車を襲う。側面から襲いガラスが張り巡らしてある上のボンネットを壊す。悲鳴を上げる2人。ガラスが粉々に砕ける。今度は、車をひっくり返しタイヤを食いちぎり車体を押し潰そうとする。危機一髪!そこにグラントが車から出て2人を助けようと発炎筒に火を着け注意を自分の方へそらせようとする。何とかレックスとティムを車から救いだせたグラントだが、目の前にティラノ・サウルスが姿を現す。顔のクローズアップ。再度、鼻息を吹きかける。グラントの帽子が吹き飛ばされる。マルコムが発炎筒に火を着け注意をこちらに向ける。ティラノ・サウルスは、マルコムのいる方へ動きだす。一方ビジタ・センターに一足早く戻っていたエリーは、彼らのことが心配で現地までジープで行く。逃げるマルコム。ティラノ・サウルスは、その場を立ち去る。エリーの乗ったジープがマルコムの所にくる。ほっと一息するも束の間ティラノ・サウルスの鳴き叫ぶ声が聞こえる。そして、地響き。水溜まりが大きく揺れる。そこへ木々に身を潜めていたティラノ・サウルスが姿を現し彼らを襲う。ジープに乗り込む2人。追いかけるティラノ・サウルス。その様をスピルバーグ流の演出、ジープのサイド・ミラーを使用して表現している。エリーが運転するジープのサイド・ミラーに襲ってくるティラノ・サウルスの巨大な姿、特に頭、口が写る。ジープがスピードをあげてティラノ・サウルスから逃げる。ティラノ・サウルスがしだいに小さくなり、視界から遠ざかる。

 ビジター・センターに戻ったティムとレックスが一息ついてティムがケーキをレックスがフルーツゼリーを食べ始めた。その後カメラは、レックスが食べているゼリーが大きく揺れているカット、恐怖におののくレックスの顔のクローズアップ。小型肉食恐竜ヴェロキラプトルの登場だ。ここでもスピルバーグは、怖い恐竜が現れる前兆として振動を表現していて上手い。レストランルームは、円形になっていて壁は外の光が差し込むように白く薄い材質でできているようだが、そこの壁にはラプトルの絵が書かれている。それにクロスするように本物のラプトルが低い喘ぎ声をあげながらのしのしと動いている。とても映画的な映像である。ティムがレックスの顔を見る。「何で姉さんは、振るえているの?」と言わんばかりの表情をする。ティムは、レックスの見ている方向へ顔を向けるとヴェロキラプトルが姿を現す。あわててティムとレックスは、調理場へ逃げ込む。ここからのシーンは、ジョンの恐怖の音楽をバックにスピルバーグ演出の醍醐味を堪能できる。調理場に入るとラピトルが襲ってこないように照明を消すレックス。キッチンの下に身を潜めて隠れる2人。そこへラプトルの足音が聞こえてくる。キッチンへ入るドアの所までラプトルが来ると円い窓に顔を当てる。不気味なあの眼のクローズアップ。正面に向きを変え鼻息をかける。体当たりしてドアを開けキッチンへ侵入してくるラプトル。手と足には各々3本の指に湾曲している鋭い爪があり、その爪を上下に動かし音をたてる。「獲物はいないか?」という感じで。この爪が武器である。これだけでも恐いのにそれに輪をかけるようにラプトルが仁王立ちになり顔を上に向け鳥のように鳴き叫ぶ。すると、相棒がやってくる。2頭による狩りが始まる。隠れているティムとレックスのそばにあったおたまが床に落ちて大きな音がする。その音に耳を傾けるラプトルのクローズアップ。そして、キッチンの上に敏捷に跳び上がる2頭のラプトル。雄叫びをあげる。体を交差する。カメラは、パンしてティムとレックスがいるキッチンの下を映す。2人は、キッチンの下を動きまわる。陽動作戦開始。レックスが先ほど落ちたおたまを拾い床に叩き続けて注意を自分に向ける。その間にティムがキッチンから外へ出る事に成功。その後、レックスを襲ってくるラプトル。そこでレックスは、キッチンの納戸に入り込む。正面のキッチンに反射して写るレックスの姿に突進してくるラプトル。ラプトルが倒れる。そのすきにレックスは走り出し入り口のドアへ向う。ラプトルは、起き上がり入り口めがけて突進してくるところをレックスはドアに鍵をかけて逃げる。

 その後、レストランにティムとレックスが戻るとエリーを探しに行っていたグラントと合流。グラント、エリー、ティム、レックスの4人は、一息していたがラプトルがやってきた。彼らは、急いでコンピュータルームへ行く。追ってくるラプトル。ドアに鍵をかけようとするエリー。そこで、何とかパークを管理しているコンピュータ・システムを立ち上げて元に戻し恐竜たちがあばれるのを食い止めようとベジタリアンでコンピュータおたくのレックスがコンピュータに向かいパスワード等を入力し見事成功するが、ラピトルがコンピュータルームに侵入。今度は、事務机に跳び上がり彼らを襲う。グラントは、天井の空調扉を開けてそこから皆を脱出させる。その時、グラントに襲いかかろうとするラプトルを彼は手にしていたライフル銃でなぐりつける。ここのラプトルから見た目線のカメラアングルが素晴らしい。天井へ逃げる彼らを下から怖く鋭い眼をして見上げている。空調の何やら象形文字が刻まれている金網がラプトルの体全体に反射しているのがやたら気味悪い。しかも、レックスが逃げ遅れそうになりラプトルがいる下へ落下し危うく食べらそうになる。ラプトルが跳び上がり彼女を食べようとする。恐怖におののくレックスをズーム・イン、ズーム・アウトして映しいてめまいカットと呼ばれるカメラワークを使っている。名前からもわかるとおりヒッチコックが「めまい」で使用したもので、スピルバーグは「ジョーズ」でも使っていた。グラントが彼女の手を引っ張り助かる。巨大な恐竜の標本の骨格が展示されている部屋まで来た彼らは、またしてもラプトルに襲われる。恐竜の骨格に飛び乗って下へ降りようちとしたところを2頭のラプトルが追随して彼らを食べようとする。グラントらは、ラプトルが一緒に飛び乗ったため骨格が壊れラプトルごと下へ落下。次々に骨格の破片が降ってくる。骨格が体に当たらないように身を守る彼ら。その際ラプトルらは、倒れて退散したかにみえたが左右に分かれて彼らを狙う。じりじりと距離を狭められる彼ら。ラプトルは2本の前足を伸ばしている。今にも彼らに飛び掛かり食べようとしている時、今度は、再びティラノ・サウルスが現れる。ここで、観客は彼らがティラノ・サウルスに食べられてしまうのではないかという思いをいだく。しかし、スピルバーグは今度はある面でヒーローとして登場させた。彼が、このようなエンディングにしたのは恐竜の世界における弱肉強食を描きながらティラノ・サウルスは、恐竜の代名詞、象徴であり、子供から大人に至るまで恐怖の対象でありながらも実は憧れとしたかったからである。そして、何よりも恐竜は、今はもう絶滅していないが人間の夢の産物である。

 ラストシーン。パークに訪れたハモンド氏ら全員がジェット・ヘリに乗って帰路に着くとき、その周りを並行して鳥たちが大きな翼をはためかせ飛んでいるシーンが映る。これは、恐竜の進化したもの、スピルバーグが尊敬する監督の1人ヒッチコックの「鳥」へのオマージュであろう。そして、最後に夕日を映しているが彼にとって夕日は主人公たちの今後の幸せを予感させる象徴なのかもしれない。

 恐竜が大好きなスピルバーグの気持ちが投影された作品。彼が、恐竜映画を撮るのは推測できた。私も含めて多くの男の子が、恐竜に夢中になる頃があるが、スピルバーグもそうだった。そして、既に彼の初期の作品「激突!」と「ジョーズ」で効果音として「恐竜映画で使われた恐竜」の鳴き声を入れているのだ。


「フック」

2008-02-23 05:44:08 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「フック」(1991

   ピーター・パンの後日談。ディズニー・アニメの名作「ピーター・パン」の実写版の映画で、しかも、家庭を持った中年の父親という設定であり興味をそそる。

 脚本は、ジム・v・マートとマリア・スコッチ・マーモが担当。撮影は、シャープでスピーディーな映像で有名なディーン・カンディが担当している。彼は、特にSFやホラー映画で印象的な仕事している。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズや「ハロウィン」「ザ・フォッグ」「ニューヨーク1997」「遊星からの物体X」「ゴースト・バスターズ」などである。

 美術は、「未来世紀ブラジル」を手がけたノーマン・ガーウッド。衣装は、3度のオスカーに輝く名デザイナーのアンソニー・パウェルが担当した。

 演ずるは、ロビン・ウィリアムス。ピーターは40歳になるアメリカ人弁護士。猛烈仕事人間である彼は、家では子供たち、妻からも嫌われている。ピーターの過去は、乳飲み子の頃に親とはぐれ、ジュリア・ロバーツ演ずるテインカーベルに救われウェンディたちとネバーランドでの大冒険をして大人になることを避け続けてきたがウェンディの孫モイラと結婚、過去を忘れてしまい年齢を重ねて今に至っている。ところが、ある日ダスティン・ホフマン演じる宿敵フック船長が、ピーターの子供2人をネバーランドへ連れ去ってしまう。そこで、子供を取り戻すにはピーターが子供の心を持った大人に変身しなくてならなくなる。

 スピルバーグが44歳の時の作品。そして、この作品は父、母、息子、娘という典型的な家族構成の一家の家族を初めて本格的に描いている。

 父親が子供といっしょになって楽しめる映画として定期的に見たい作品の一つ。それと同時に再度ディズニー・アニメの名作「ピーター・パン」も見たくなる相乗効果を持った作品である。

 特にピーターの妻が「子供が子供でいるのは短い。その大事な時を仕事の忙しさで通りすぎてしまうのは残念」と言っているが自分が父親となった今、教本のように感じられる。

 セットは、かつてのMGMの「風と共に去りぬ」「オズの魔法使い」が製作された歴史的スタジオに建てられた。現在はソニー・ピクチャーズ・スタジオになっている。

 そこにネバーランド、巨大海賊船ジョリー・ロジャー号をつくり海賊映画の名作「シー・ホーク」のような剣を使ったアクションが展開されるシーンが素晴らしい。そのアクションは、バレエダンサーのようにリズミカルに、バックにはジョンの音楽が流れる。

 彼の好きな作曲家コンコルドの「海賊ブラッド」「シー・ホーク」、特に「ロビンフッドの冒険」のような冒険活劇の曲が場面を盛り上げる。ビクター・フレミング、マイケル・カーティス監督が好きなスピルバーグらしい。また、そのジョンの音楽は、最後の方でウェンデイの家が映し出されピーター家の召使であり執事格のトゥートルズがテインカーベルに魔法をかけられ2階の窓から空へ金粉を撒きながらロンドン上空を飛び続け有名な時計塔までくるとピーター・パンのフライング・テーマが流れ、「監督スティーブン・スピルバーグ」とエンドクレジットが出る。このシーンにかかる音楽も印象に残る。

 しかし、スピルバーグ初のほぼ全編を大規模なセット撮影でつくった意欲作であったが、彼は映像派の監督である。セット撮影を多用するよりもやはりロケ地での屋外撮影をしたほうがダイナミックな映像がもっと楽しめたような気がして残念。しかし、ロビン・ウィリアムス、ダスティン・ホフマン、ジュリア・ロバーツという豪華なキャストは今見てもわくわくするが、その中でもロビン・ウィリアムスは、コメディ役者からスタートとしているだけあって容姿からいっても中年の草臥れた腹の出たピーター・パンは適役だった。

 大人を子供心に帰してくれる純粋な意味でのファンタジー映画の最後の作品。また、演出面におけるディズニー映画の影響力の決別。しかし、プロデューサーとしてのスピルバーグは、エンターティナーとしてのウォルト・ディズニーの尊敬の念は変らない。


「オールウェイズ」

2008-02-22 05:22:25 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「オールウェイズ」(1989

 1940年代から1950年代のアメリカの軍隊にいるようなノスタルジックな雰囲気が全編に漂う。この時代が好きな人には、たまらなく魅力的な作品。また、ハワード・ホークス監督の「コンドル」を始めとする1930~40年代の航空映画の匂いがする。

 ダルトン・トランボの脚本によるスピルバーグもお気に入りの監督ビクター・フレミングの「ジョーと呼ばれた男」がもとネタである。これを2度にわたりエミー賞に輝くジェリー・ベルソンが脚本を書いた。しかも、ストーリーをチャンドラー・スプラーグとデビッド・ボームという2人が書き、脚色にフレデリック・ハズリット・ブレナンがあたっている。

 純白のカクテルドレスを恋人のビート(リチャード・ドレイファス)にもらったドリンダ(ホリー・ハンター)は、2人でダンスをする。バックには2人の思い出の曲でもあり、また、この映画のテーマ曲でもある往年のオールディズの名曲「煙が目にしみる」が流れる。それを大勢の空中消防隊の男たちが憧れのまなざしで見る。ドリンダは、紅一点の女性。ドリンダ演じるホリー・ハンターの役は、同じ女性消防隊員で管制官。鼻っ柱が強く行動的で小柄で美女ではないが仕事を生き生きとこなしている姿が素敵。この点は、女性にも愛されるキャラクターでホリー・ハンターの演技が素晴らしい。

 撮影を担当しているミカエル・サロモンの映像により時の流れの早さを感じさせず逆にゆったりとした気分でこのラブロマンスの映画を堪能できる。靄や霧がかかった映像、逆光の映像は彼の特徴であり、冒頭の基地の酒場でのダンスシーン、基地、ビートが住んでいる家、飛行機が飛ぶ空、天国でビートとハップが会う黄金色した草原、モンタナの山、森が映し出されるシーンが印象的。

 ロケ地も魅力のひとつ。ここを探したのは、美術を担当したジェームズ・ビゼル。モンタナ州、ワシントン州で行われたが特にモンタナ州は山々の緑が素敵でリビーでは映画の冒頭シーンとなる空中消防活動の基地として撮影された。

 山火事の消防飛行に命など省みずに火と闘い続けるピートは、根からの空を飛ぶのが大好き。それを心から心配するドリンダ。これをスピルバーグは素晴らしい演出で見せている。管制塔から彼の乗っている飛行機を見守る彼女の顔のクローズアップ、持っているペンに力がはいる手のクローズアップ。そして、彼の命が無事であることを確認すると一目散に愛用の自転車を跳ばして彼を迎えに行く。

 ところが、ピートはドリンダがあまりに心配するので飛行機に乗るのをやめ彼女の願いを聞き入れ教官になることを決めた直後に友人を救う為大空で命を落としてしまう。ドリンダにはそれが信じられなかった。つい数時間前まで元気だったピート。人なつこくて優しかった彼。かけがえのない恋人を失い悲しみにくれるドリンダ。天国へむかうピートは、途中でハップに出会う。彼女は、彼の持っている全ての知識を彼以外のパイロットの1人テッドに伝えるためこの世に戻らなければならないと言う。彼は、テッドの守護天使になりりっぱなパイロットになれるように努力する。そして、ドリンダが自分なしでも生きていけるように生き方を示す。そうすることで自身の天国での自分の位置を見つけることができる。

 ピートの姿は、他人は見えない。声も聞こえない。ドリンダには、ピートの姿や声を聞いたりできないが彼がそばにきていると心で感じることができる。この脚本と演技が素晴らしい。思わずおかしくて笑ってしまうシーンもある。観客は、ピートが生きているかのように姿も声も聞こえる。

 スピルバーグ言わく「これは、生命と愛について、そして誰かが死んでしまった後でもどれほど愛が人を結び付け合うかについての物語。ある1つの現在とある永遠の現在という2つの世界をまたに掛けるロマンスだ。見えも聞こえもしないのに愛した人があなたの肩の上にいて何か伝えようとしている考え方には、どことなく信じられるものがある」と。まさしく、それが映画のメッセージだ。その事を実感するシーンが映画のラスト、ドリンダの単独飛行のシーン。以前からパイロット志願だったドリンダ。深夜、山火事発生の連絡が本部に入る。地上の消火隊が火で逃げ場を失って一刻の猶予もないことを知ったドリンダは、飛行機にとび乗り現場へ向かう。ドリンダは、ピートのアドバイスを受けて消火剤を投下するが高度が高くてうまくいかずピートの指示ですごい火の中をいちかばちかの低空飛行で突っ込み消火隊を救う。しかし、ドリンダとピートを乗せた飛行機は、燃料が切れて湖の中へ落下。ピートがドリンダに手を差し出すとドリンダは彼と手をつなぎ水面に出られた。この映像は、スピルバーグの「ジョーズ」「未知との遭遇」「E.T」「A,I」を彷彿させる。ピートの霊的、神的存在の象徴として明るい光が水中に差し込まれる。「ジョーズ」のあおりのカメラワーク、「未知との遭遇」「E.T」「A,I」における「夢を信じ続け持ち続ければ叶う」。「E.T」でのエリオットとE.Tが指をおたがいに触れ合うことでコミュンケーションが交わされる点など。

 その後、基地に着いたドリンダとピート。おたがいに顔をしばらく見つめあう。ドリンダは、これで新しい未来に希望を抱き、おそらくパイロットとの仕事とテッドを愛して行くのだろう。ピートに背を向けてテッドが待つ場所へ歩き出す。一方のピートは、天国での自分の位置を獲得するために希望を持ち、しばらくドリンダが歩いてゆく方へ目をやり、そして、自分が働いていた場所、基地を見回す。これは、この世とはこれでさらばだ!と別れの決断ができた行動であろう。この時のリチャード・ドレイファスの明るい笑顔が素晴らしくこの映画の中でも1番印象に残るシーンだ。しかも、基地内のシーンであるが最初は基地内全体に灯かりがあったがリチャード・ドレイファス扮するピートが1人立ち尽くすこのシーンになると彼にスポットライトが当てられているあたりは、「未知との遭遇」「E.T」のラストシーンを見ているようで感動的であった。

 この時期、ゴーストを題材にした映画が数多く公開された。「フィールド・オブ・ドリームス」や「ゴースト/ニューヨークの幻」、日本では、「異人たちとの夏」など。それまでは、SFやアクション映画が全盛期だったが見飽きたと同時にもっと心温まる映画を観客が求めるようになったのだ。特に「ゴースト/ニューヨークの幻」は、大ヒットした。「人は、愛する人を突然亡くしてしまった時、どのように心の整理をして立ち直り前向きに生きていけるのか?」というテーマや仲立ちをするキャラクターなど類似点が多い。「ゴースト/ニューヨークの幻」は、若手俳優パトリック・スウェイーズとデミ・ムーア、そして、霊媒師役にウーピー・ゴールドバーグを起用し、一方の「オールウェイズ」はリチャード・ドレイファスとホリー・ハンターに天使役で大スターであるオードリー・ヘップバーン(私の一番好きな女優だが惜しくもこの作品が遺作となった)キャスティングさせている。この俳優陣とスピルバーグなら大ヒットすると私は公開当時思ったが結果は「ゴースト/ニューヨークの幻」に軍配が上がった。

  しかし、映画の巨匠スピルバーグが、繰り返しになるがリチャード・ドレイファスとホリー・ハンター、そして、オードリー・ヘップバーン起用して男女の愛を初めて描いたことがうれしい。この分野は初めての挑戦。そして、へップバーンが、天使役で登場していると先ほど触れたが、そういえば、スピルバーグが大好きな作品「素晴らしき哉、人生!」にも天使が幸せを運ぶ助っ人として出てくる。 しかも、愛する人を亡くしてしまった時の悲しみを癒すには、たいてい時が解決するしかないがそんな時に亡くなった人が、自分の心の中に現れて、勇気ずけ「ゴースト/ニューヨークの幻」にはない設定である新しい恋人を登場させて未来に目を向けさせている点に価値がある作品。


「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」

2008-02-21 05:09:06 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」(1989

 インディの父親役にショーン・コネリー、インディの少年時代を今は亡きリバー・フェニックスが演じている。

 原案にルーカスとメンノ・メイエスがあたっている。メイエスは、「カラー・パープル」でオスカーにノミネートされ、また、「太陽の帝国」では、スピルバーグ、トム・ストッパードともに共同脚本を担当した。歴史的な背景の描写が得意な人物である。

 脚本を書いたのは、ジェフリー・ボーム。彼には、スティーブン・キングの「デッド・ゾーン」やスピルバーグの製作総指揮の「インナー・スペース」がある。恐怖とユーモラスをブレンドした脚本が上手い。

 撮影は、前2作に引き続きダクラス・スローカム。彼は、映画のカットごとにストーリーの重要な要素を強調するライティングを使うことで有名な人。

 美術は、エリオット・スコット。SFXのスーパーバイザーに「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」でオスカーを獲得したジョージ・ギブスが担当している。

 ナチスの時代、不老不死となる永遠の命が与えられるキリストの聖杯をめぐるインディとナチの闘いと、インディがその聖杯に絡んで行方不明となった父を探しに行く冒険の旅の物語。

 1912年ユタ州の砂漠のシーン。インディの少年時代。スピルバーグが尊敬する監督の1人ジョン・フォードの「駅馬車」を始めとする数多くの西部劇に登場したモニュメント・バレーを背景に始まる。また、ちなみハリソン・フォードが住んでいるのは、同じユタ州である。岩山の下の洞窟を探検するボーイスカウトの1人が13歳のインディ。実は、スピルバーグも少年のころボーイスカウトに入っていた。そこで、スペイン人の宝物を盗もうとしている3人の悪党と会う。宝石を散りばめた金の十字架を掘り出す。中世史を教える大学教授を父に持つインディとしては、本来博物館に収められるべき十字架を放っておけなかった。十字架を上手く悪党から奪うが、追いかけられる。ここからの移動撮影がすごい。馬に乗って走るインディを悪党らは、車2台で追跡する。インディ・ジョーンズ1作目の砂漠の追跡シーンやジョン・フォードの西部劇の馬が疾走するシーンを彷彿させるスピード感あふれるダイナミックな映像が楽しめる。追いつかれそうになったインディは、通りがかったサーカス列車に飛び移る。悪党どももすかさず乗り移ってくる。屋根ずたいに逃げるインディを悪党が追う。ここは、ユタ州の緑豊かな森林をバックにアクションが繰り広げられる。サーカス列車は、煙と汽笛を鳴らしながら走る。コミカルな場面もあるのであのお洒落なニュー・シネマの西部劇の名作「明日に向かって撃て!」の列車爆破シーン、演ずるはロバート・レッドフォードを思いだす。そして、列車の中に逃げ込むと無数のヘビやライオン、サイまでいるのでアクションシーンが盛り上がる。サーカス列車らしくインディは、マジックを使ってまんまと列車から逃げ出すことに成功する。ところで、この場面でサーカス列車を登場させたのはスピルバーグが父と初めて映画館で見た映画、セシル・B・デミル監督の「地上最大のショー」がサーカスを舞台にした映画で列車衝突のシーンがすばらしく印象に残っているからである。

 2機のメッサーシュミット機にインディとヘンリーは車に乗っているところを低空飛行で突然執拗に狙われる。その姿は、「ジョーズ」のサメのようであり、スピルバーグが尊敬する監督の1人ヒッチコックの「北北西に進路をとれ」でケーリー・グラント扮する主人公が広い畑で飛行機に狙われるシーンを彷彿させるものがあり、ハラハラドキドキ感がたまらない。その後、2人が乗った車が標的にあい爆破され、危機一髪、絶体絶命のまさにその時にヘンリーが持っていた傘を広げて何をするかと思いきや浜辺にいた多数の鳥たちを脅かし始める。すると、鳥たちは大空へ飛び始める。そこへ敵の飛行機が突進してくる。コックピットの操縦士は、鳥によって視界を遮られ飛行機は墜落し大爆破となる。小道具に傘を使った心憎い演出だ。また、ここでもヒッチコックにオマージュを捧げているかのようで彼の作品「鳥」を思いださずにはいられない。

 ナチス戦車対馬に乗って闘うインディ・ジョーンズのシーン。ナチスらドイツ軍は、マーカスを連れ去り彼が持っていた聖杯地図を使いスルタンの私兵を引き連れ戦車、ジープ、馬、ラクダで砂漠へ出発。ヘンリーは、ナチスの戦車に乗り込みマーカスを助けようとする。しかし、ナチにマーカスともども捕まる。そこへインディとサラが馬を数頭引き連れて救出に来る。ここからのハリソン・フォードの演技のかっこいいこと。スピルバーグに「今、昔のジョン・ウェインのようにかっこよく馬に乗りこなせる俳優は、ハリソンだけ」と言わしただけのことはある。馬に乗っているハリソンが素晴らしい。戦車の大砲弾が飛び交う中を逃げ回り、馬から戦車の屋根に飛び移ってナチスの兵士たちとの闘いが始まる。特に戦車のキャタピラを使ってのアクションがすごい。

 ナチスたちは、聖杯がある太陽の神殿を発見するが神殿に入るには3つの難関を突破しなければならない。ナチスの命令で入口への階段を登るスルタンの私兵だったが、何かに首を切られてしまう。後から追っていたインディたちは、ナチスの兵士に見つけられ、聖杯を取りにいけと命じられても拒否したインディ。そこで、ナチスはヘンリーの腹部に銃撃する。聖杯のもつ癒しの力だけが父ヘンリーを救えると知ったインディは聖杯を手に入れるべき3つの試練に立ち向かう。父のために。クイズ形式のように3つの難問を聖杯日誌片手に立ち向かうインディの姿と死の境をさまよう父をカットバックで映し息子にアドバイスを与える。そして、やっとのこと聖杯を手に入れ水を入れ父の傷口に注ぎ込むと父の傷が治る。その後、神の怒りをかってか、神殿が崩れ始める中、人間は欲の塊で強欲、特に不老不死でいられる聖杯なるものがあるとすれば必死になるのも当然だろう。地割れが起き始めたため聖杯が地中へ落ちてしまいそうになる。それを必死に取りに行こうとするインディ。考古学者の使命、ナチスの悪の魔の手に渡るのを防ぐというよりはむしろインディも人間、自分も不老不死でいたいとの願望からであろう。そこで、父ヘンリーの一言「インディ、インディアナ」のセリフ。ショーン・コネリー演ずるヘンリーの顔のクローズアップ、その表情には「もう、やめろ、いいだろう」とつぶやいているかのようだ。カットバックでインディのクローズアップ。地中へ落ちてゆく聖杯のクローズアップ。父は息子へ手をさしのべて助けようとする。そこで、インディは決断する。「永遠の命は欲しいが、今は、自分の命、人生のほうが大切だ。そして、父との絆が重要である」と気がつきインディは、聖杯を諦め父の手を握るのだ。息子と父親の和解、愛情溢れる演出だ。

 最後のシーン。大破壊された太陽の神殿を後にインディ、ヘンリー、サラ、マーカスが馬にまたがりそれぞれ1人ずつ駆け抜けて行く。ここからインディ・ジョンーズのテーマ曲が流れ夕日に向かって行くインディら4人が横1列に並ぶシルエットが感動を呼ぶ。そして、エンド・クレジットが出てエンド。

 スピルバーグの父への想いが脚本の中に詰まった作品。インディ・ジョーンズのシリーズは、期待度が大きい作品だけに脚本に時間をかけるが、特にこの作品は、練りに練られた脚本である。スピルバーグが、父と初めて映画館で見た映画「地上最大のショー」の思い出を皮切りに父を以前は家族を見捨てた男として憎んでいたが、自分も父になり父の気持ちが少しずつわかってきた感情が反映されている。それを彼が尊敬するジョン・フォードとヒッチ・コックの演出の影響をうけながらインディとヘンリーの息子と父の物語を作った作品。


「太陽の帝国」

2008-02-19 06:03:34 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「太陽の帝国」(1987)

 戦争により両親と離れ離れになってしまった主人公の少年ジムが、様々な人との出会いと別れを通して少年として成長する物語。

 長まわし撮影や彼の特長の一つであるクレーン撮影等カメラワークが見事である。尊敬する監督デビット・リーンの「戦場にかける橋」や「アラビアのロレンス」の映画を見ているようだ。偶然にもこの映画は、最初リーン監督が映画化する予定だった。

 原作は、ニューウェーブSFの旗手と言われているJ・G・バラードの自伝的小説で、1984年に発表されると戦後、発表された最も偉大な小説として絶賛されたもの。この原作を基に脚本を書いたのは、トム・ストッパードである。スピルバーグの「原作に忠実に脚色するように」の指示のもと素晴らしい脚本を書いた。彼は、「未来世紀ブラジル」の脚本やイギリス演劇界で活躍している人。

 時代考証の素晴らしさ。これは、美術を担当しているノーマン・レイノルズの功績が大きい。彼は、依然にも「レイダース/失われたアーク」で1930年代を再現していたが、今回も1940年代を見事に再現している。主要キャストが魅力。

 衣装デザインを手がけたボブ・リングウッドのジムの着る衣装が印象的。仮装パーティで着る赤と黄の羽がついたターバンに白いシルクのシャツ、下は赤と黄のスカート。何ともと滑稽だ。上海に戦禍が迫り逃げ出す際のエンジの帽子にジャケット、これは聖歌隊用のユニフォーム。胸に英国のエンブレムがあるのでイギリス貴族のような高貴な感じ、良いとこの坊ちゃんという感じがでている。そして、何と言っても収容所で着る衣装だ。つりズボン。色はミリタリー色をしたグリーンに上は、こげ茶のシャツ、また、時々ベイシーからもらった腕にアメリカのエンブレムが貼り付けてある皮ジャンを着るジムに逞しさを感じる。

 製作に4年の歳月をかけハリウッド映画としては初めて中国ロケが許可された。16週間に及ぶ撮影期間に雇ったエキストラは1万5千人。スケールの大きさ、ロケーションが映画に大きな魅力を与えている。映像でストーリーを物語るスピルバーグの演出力が最も発揮された作品。ファーストタイトル、ストーリーのプロローグがテロップで流れる。「1941年、中国と日本はすでに4年前から戦争状態にあり中国の都市と国土のほとんどは日本軍の占領下にあった。租界都市、上海では数千のヨーロッパ人が外交特権に守られて19世紀に英国人がこの街に入って来た時と同じ暮らしを続けていた。彼らの建てた銀行、ホテル、オフィスビル、教会そして、住宅は故国のそれをまねしたもので、リバプールやサレーからそっくり移したものと言ってもおかしくなかった。だが、彼らの暮らしも終わりを告げようとしていた。上海を一歩出るとそこにはもう日本軍が迫っていた。真珠湾攻撃は目前だった。」バックは黒で文字が白、やがてオレンジ色した太陽のマークが挿入」される。タイトルの文字が出る。この始まりかたが印象的である。

 ファーストシーン、バックに主人公ジム少年が所属する聖歌隊のコーラスの歌が流れる中、画面は、上海の港の水面に浮かぶ平らな1枚の板切れがゆらゆらと揺れ動く様子をローポジション、クローズアップでとらえる。これは、戦争によってジムをはじめとする多くの人々が心を翻弄されて安定した生活が崩れ始めようとしている様を上手く演出している。その後、カメラはゆっくり上海上空をパンすると戦禍の様子を映す。

 群衆シーン。迫り来る戦争を前に上海を脱出し始めようとしたが、日本軍が上海市街に進攻してくる。砲弾、銃声が鳴るなかジムは両親と離れ離れになる。大事にしていたゼロ戦の模型も群衆の中で無くなってしまう。ここは、撮影監督のアラン・ダビオのカメラワークと編集のマイケル・カーンの素晴らしさに尽きる。カメラは、ジムの目の高さ、ローポジション、ハイポジションにそして、ローアングルで上空を飛んでいる零戦を写すなか、両親、ゼロ戦の模型を持っているジムのクローズアップ、ズームイン・アウトを交互にカットバックさせている。

 上海の街に日本軍が進入してくるシーンの数々をスピルバーグはオートバイに乗り込んで撮影し、また、クレーン撮影を多用しての俯瞰撮影が印象に残る。

 空を自由に飛びたい願望を持っているスピルバーグらしくジム少年は、ゼロ戦闘機のパイロットになるのが夢である。それは、小道具にも表現されている。ゼロ戦の模型・紙飛行機。特に印象的なシーンは、両親と一緒に出掛けた仮装パーティが退屈で、大好きな模型飛行機を持ってパーティ会場を抜け出し、野原へ出た。そこには、撃ち落された日本軍の戦闘機があった。ジムは、コックピットに乗りいつしか大空を飛ぶ夢を見る。模型飛行機を大空に飛ばし日本軍の戦闘機のコックピットに乗る。操縦桿を握り向かって来る自分が飛ばした模型飛行機めがけて銃撃のまねをする。その後、カメラが丘をパンすると日本軍の戦車が駐留している。

 人々との出会いもこの作品の素晴らしいところである。飢えに苦しむジムを救ったのはジョン・マルコビッチ扮するアメリカ人のベイシーだった。ところで、このジョン・マルコビッチの演技がいい。ジムに生きる知恵を教える船員を演じている。 蘇州の収容所で知り合ったナイジェル・ヘイバース扮するローリンズ医師から「どんなことがあっても最後まで生き延びろ!」と教えられる。それからと言うものジムは、スティーブ・マックイーン「大脱走」で演じたヒルツ大尉やデビッド・リーンの「戦場にかける橋」アレック・ギネスのように精神的・肉体的に強くなり成長していく姿が素晴らしい。ベイシーの使い走りとして収容所を忙しく立ち回る。収容所の所長格のナガタ軍曹に近つ゛き多くの食料を得ようとする。ここらあたりのジム少年を演じているクリスチャン・ベールの過酷な状況の中でも物事を楽観的に考え行動し、その場をできるだけ楽しむ演技が素晴らしい。ナガタ軍曹を演じているのは伊武雅刀、厳しい日本軍人でありながらもやがてジム少年と奇妙な友情が育まれる演技が見事であり、まるで「戦場にかける橋」の早川雪舟のようである。自分と同じように空を飛ぶことに憧れる日本人少年との友情と別れ。演じたのは、片岡孝太郎。この彼の演技も忘れがたい印象を残す。

 ある日アメリカ空軍ムスタングが収容所を急襲する。戦争が終わりへと向かう。このときのダイナミックな映像がいい。ムスタング数機を俯瞰撮影でとらえる。ムスタングがその後、低空飛行で飛び爆撃するシーン、上空を飛ぶムスタングを見上げるジム、そして、ムスタングを憧れの眼差しで見るジムの目線と同じ目線で飛ぶムスタング。歓喜するジム。

  夕日をバックに逆光で憧れのゼロ戦に触れようとするジム。特攻隊として飛び立つ日本軍の別れの杯を交わすシーンでも夕日をバックにロングショットでこの映像を撮っている。どちらも夕日の映像を挿入しているがスピルバーグのセンチメンタリズム、ロマンチストの一面が現われている。

 「E.T」少年版。エリオット君をもう少し年齢的に高くした成長物語。少年の視点から第二次大戦を描く捕虜収容所物語。また、とりわけ心象風景の演出は、スピルバーグが昔から尊敬するジョン・フォードとデビッド・リーンをお手本にしている。


「カラーパープル」

2008-02-18 06:41:52 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「カラーパープル」(1985

 主演にウーピー・ゴールドバーグ、ダニー・グローバー。撮影にアラン・ダビオ。音楽がクインシー・ジョーンズ。クインシー・ジョンーズは、ジャズミュージシャンとしての側面もあるが、私にとっては「夜の大捜査線」、「ゲッタウェイ」(スティーブ・マックイーン主演のもの)などの映画音楽の作曲家としての彼である。本作においては、アメリカ南部を感じさせる重厚のある、また、爽快感漂うアコーステックなサウンドが素晴らしい。

 この映画は、スピルバーグが30代最後の年に撮った作品で、作品的には彼らしからぬ衝撃的な作品。そして、この1985年は、個人的・芸術的な分岐点となった年で、夫となり父となりこの大人向けの映画を撮った。原作は、黒人女性アリス・ウォーカーのピューリッツアー賞作品。舞台は、アメリカ南部の1909年~1937年。少女14才の主人公セリーの出産シーンからスタートする。2人目の子で、彼女の父親の子である。生まれてすぐ最初の子と同じくどこかに連れ去られて行く子。しかも父である男は、次にセリーの妹、ネティーをも欲望の対象にしている。登場する男性は、皆、粗野で下半身の欲望の塊でダメ男。自分の子どもを性的欲望の対象とするセリーの父親。セリーの半生を通して男社会を告発し女性の自立をうたいあげる。母の死、父の再婚、セリーの結婚。(3人の子ずれの男ミスター、演じるのはダニー・グローバー)ネティーの父の欲望の魔の手から逃れるためにミスターの家で暮らす。セリーは、妹に文字を習う。ミスターが妹を犯すのに失敗し、怒ったミスターは、妹を追い出す。姉妹の別れ。妹からセリーへの手紙が唯一の楽しみ。性がからむストーリーなので見ているのが辛くなるが、夫の長年の愛人、歌手のシャグが病気でセリーが面倒みてくれたので、セリーの歌をつくり、セリーは性の喜びをはじめて感じたのをきっかけに夫のもとを43歳ではなれて、自立の道をはじめる。人間関係が、かなり複雑でわかりずらい面がある作品なので図式化するといい。参考までにパンレットをお持ちのかたは載っているので見てください。それを見たあとDVD等で観直すと色々な発見があります。

 主人公セリーの心の支えは、もちろん、きれいで頭もよく自分というものがある妹のネッテイだが、自我が、とうさんやミスターのせいで押し殺されていた。しかし、ミスターの元愛人であるシャグの出現がセリーの人生を明るくし、自立の道を歩ませるきっかけをつくった。そして、興味深いことにそのシャグの父は神父なのである。神の代理である父を持つシャグがセリーの救世主となっているわけで、ここにスピルバーグの映画の特徴である神秘性を感じるのだ。これは、彼の生い立ちのところでも触れたが彼の最初の視覚的記憶が神の象徴的存在である教会であるところからきているかもしれない。

この作品はスピルバーグが好きなアイテムである「夕日」をバックにした映像がとても印象的。会話する姉妹、ロッキングチェアやポーチにある長椅子に腰掛けるセリーの姿。黒人ミュージシャンであるクインシー・ジョーンズの音楽(ジャズや映画音楽の作曲者として有名)、主人公セリに扮したウーピー・ゴールドバーグの演技が素晴らしい。特にウーピーの演技は、原作者が推薦した女優だけあって存在感がある。そして、撮影はアメリカのノースキャロライナを中心に行われたがその映像の美しさたるやスピルバーグの中では1、2位を争うものだろう。ノースキャロライナという場所を私たち異国の日本人にも強い印象を与えるものだった。ファーストシーン。おそらくコスモスであろう紫の花があたり一面に拡がる。その中をダイナミックに走りかけまわる少女セリー。そのカメラは、アイ・レベルで紫の花を映しながらやがて、セリーの視線になり妹ネッティと歌う映像に変る。麦藁帽子を被って仲良く手を合わせて「わたしたちは、一緒でマキダダ、決して離れないマキタダ、海も裂けないあたしたちの間をマキダダ、あたしたちは、一緒マキダダ」と唄う。

 ところで、この映画はいつものスピルバーグのようにカメラが活発に動きまわったりせずに安定している。それは、「風と共に去りぬ」、ジョン・フォードの名作「捜索者」を彷彿させる。

「捜索者」では、家の玄関前にあるポーチが主人公たちの心象風景となっていたが、この「カラーパープル」もそうだ。そして、「風と共に去りぬ」のように南部の大地に根をはったしっかりした女性を主人公にした人間ドラマに初めて挑んだからであろう。

 スピルバーグが「大人の人間ドラマ」に初めて挑戦した。それは、今までのスピルバーグのように特撮や映像テクニックに頼るものでなく、俳優の演出(それも全員黒人俳優)と風景の演出に力を注いだ意欲作。しかし、アカデミー賞では10部門にノミネートされたが、無冠に終わる。しかも、スピルバーグはノミネートされなかった。これは、アカデミー会員のねたみか?私は、今もって納得できない。


「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」

2008-02-17 05:54:15 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」(1984

 

 主演にハリソン・フォード、ケイト・キャプショー、キィ・フォイ・クワン。インディ・ジョーンズシリーズ中の異色作。1作目と3作目が、正統派冒険考古学映画とするとこの2作目は、大いに羽目をはずした作風になっている。

 原案は、ルーカス。脚本は、「アメリカン・グラフィティ」の脚色者であるウィラード・ハイクとグロリア・カッツ。撮影は、前作同様のダグラス・スローカムが担当。美術は、エリオット・スコットがあたっている。彼は、イギリスMGMの美術チーフで、初期のヒッコック作品やジョン・フォードの「モガンボ」、ミュージカル作品など数々のセットデザインを担当している人。この人をスピルバーグが起用した理由は、ヒッチコックとジョン・フォードを尊敬しており、また、本作の冒頭にミュージカル場面を用意したためであろう。

 特殊効果には、「E.T」でオスカーを受賞したデニス・ミューレン。彼は、「スター・ウォーズ」と「未知との遭遇」の特撮も担当している。そして、ジョージ・ギブス。この人は、何と「サンダーバード」で特撮を担当しておりびっくり。私が小さい頃に夢中になって見たあの「サンダーバード」の面白さの理由のひとつにこの人の技術力があったのだ。また、彼は、「スーパーマン」やルーカスが夢中になって子供時代に見たテレビシリーズ「フラッシュ・ゴードン」の映画版の特撮も担当しているすごい人物である。

 邪教集団支配の大国で奴隷化した子どもたちをインディ、歌姫ウィリー、カンフーが得意でニューヨークヤンキースの帽子が良く似合う少年ショート達が救出する話。邪教王国の王者で僧侶であるモラ・ラムが、少年王子をマインド・コントロールして世界制覇を企む。その手段として聖なる石、5個のうち未発掘の2個を地下の洞窟から採取するために子どもたちを働かせている。

 上海のクラブ、オビ・ワン(もちろんこの映画のプロデューサであるルーカスが「スター・ウォーズ」で生み出したキャラクターに因んでいる )で始まるファーストシーンがまず目を引く。この映画は、パラマウント映画であるがその映画会社のロゴ付の銅鑼を叩く。すると、ケイト・キャプショー演ずるクラブ歌手ウィリーのアップ。タイトルが出る。バックには「エニシング・ゴーズ」の音楽が流れる。1930年代のワーナー映画のミュージカル振付師レスリー・バークレイのようなシーンがすごい。スモークを炊いての撮影、何人もの美女が現れ長い脚を利用してのダンスショー。その脚線美をカメラが追うカメラワークが見事。

 パンコット宮殿内にある洞窟の中が恐ろしい。超自然現象・オカルトの世界が展開しているのだ。インディらが子どもたちの居場所がその洞窟であることをつきとめる。しかし、ラムにウィリーとショートが捕まり、とうとうインディも囚われの身となる。巨大なカーリーの神像があり群衆が集い残酷な生贄の儀式が行われていた。バックに流れるウィリアムズの音楽が不気味。モラを演じるアムリッシェ・プリの顔の表情は、クローズアップ、ズームイン・アウトを効果的に使って怖い。モラが素手で生贄の男の心臓を掴み出す。男はかごの中に入れられ溶岩の中に降ろされてゆく。男の泣き叫ぶ声と共にモラが手に持っている動く心臓が炎を発して燃える。カーリーの像の下には、サンカラの石が3個輝いていた。

 この作品でもスピルバーグ映画の特徴であるキーワードのひとつ「コミュニケーション」がインディたちの運命を左右することになる。モラは、インディに仲間に加わるように生贄の血を飲ます。一方でウィリーの儀式が始まりかけている。ウィリーは、溶岩の穴へ落ちてゆく。ウィリーが危ない。ショートがインディに近つ゛くと、インディは彼をはねとばした。友人と思っていたショートは涙ぐむ。インディは悪の呪いにかかってしまったのだ。それを救ったのはショートである。炎が燃えさかっている松明に木の棒を近つ゛けて火をつけ、その木の棒をインディの顔の前まで持ってゆき「インディ、目を覚ましてよ!好きだよ!」と言うとインディが正気に返りいつもの頼もしく強いヒーロー、インディ・ジョーンズになる。ショートの一言でインディらがハッピーエンドになるきっかけをつくり胸を打つ感動的なシーンだ。

 そして、何と言ってもこの映画の最大の見せ場であるパンコット宮殿の洞窟内で繰り広げられるトロッコ・チェイスシーンが凄い。洞窟からトロッコを使って脱出するインディら。インディ、ウィリー、ショートを乗せたトロッコは、猛スピードでトンネルの中を爆走する。モラが徴兵をトロッコに乗せてインディらを追跡させる。後ろから銃を撃つ徴兵のトロッコが迫る。インディは、枕木を線路に投げたり、土砂を落としたりして車線を変更したりと必死で逃げる。 なかでも同時並行して走るトロッコを介してのアクション・特撮は目を見張るものがある。インディの乗っているトロッコに徴兵が乗り込んできてインディと素手で格闘するシーンがカッコイイ。線路が切れて段差がある。ジャンプ。インディのトロッコは、レールの上に乗った。徴兵のトロッコは、着地に失敗して大破し溶岩の餌食となる。これらの迫力ある映像は、スピルバーグ自身がセットの中を専用の台車にカメラを付けて乗り込んで、彼お得意の横移動撮影の演出の賜物。スピード感を出す為にコマを落とす。それに加えてデニス・ミューランのミニチュアの人形・トロッコを使ってのストップモーション撮影の功績が大きい。

 余談になるが、つり橋のシーンの撮影は、スリランカで行われたがそこではかつてスピルバーグが敬愛するデビッド・リーン監督の「戦場にかける橋」が撮影された。

 エンターティメント色の濃い映画ジャンルのスピルバーグの多才な演出が堪能できる作品。


「トワイライトゾーン/超次元の世界」

2008-02-16 05:50:29 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「トワイライトゾーン/超次元の世界」(1983

 1950年代のSF映画を彷彿させる映画。テレビシリーズ「ミステリー・ゾーン」や「トワイライトゾーン」の生みの親は、ロッド・サーリングスピルバーグは彼の創るスタイルやテーマに尊敬しており、サーリングは、「猿の惑星」の脚本も書いている人。

 4話からなるオムニバス映画でそのうちの第2話「幻想の超次元」を監督脚本・脚色は、リチャード・マシソンを筆頭にジェージ・クレイトン・ジョンソン、ジョシュ・ローガン。その中でも、マシソンは、SFと恐怖小説の中間的な作風で有名な作家・脚本家である。彼は、小説、映画、テレビで大活躍をしている人で、その作品も膨大な数にのぼる。そして、何といっていってもテレビシリーズ「トワイライトゾーン」の中心的ライターであり、スピルバーグの「激突!」の原作者。いかにもスピルバーグが好む作家である。音楽は、ジェリー・ゴールドスミスで、彼はテレビのオリジナル版を手がけたバーナード・ハーマンと共に作曲したことがあり本作の映画版でもそのスコアのエッセンスをうまく取り入れている。

 スピルバーグいわく「私のエピソードは、失意にある老人ホームの男女がおどろく変身をとげ、子供の心にかえって生きる喜びを見いだす話」と。童心に帰ることの大切さをファンタジックに描いている。それは、主役を演じているスキャットマン・クローザース扮する老人ホームを訪れる人生の魔術師とも呼ぶべきミスター・ブルームが老人たちに言うせりふ「人間は遊びをやめた日から歳をとり始めると私は思うんですよ」に集約されている。

 また,スキャットマン・クローザースの渋い演技が素晴らしい。

 そして、この映画の特徴として挙げたいのが小道具を使ってのスピルバーグの演出である。まず、ミスター・ブルームが手にしているつえ。老人が若さを取り戻すためには、つえでブルームが老人たちと呪文を唱えなければならない。空き缶。これは、缶けり遊びに興じている子供になった老人たち。子供時代の代表的な遊びの1つとして誰でも共感を覚えるだろう。

 ところで、この映画には皮肉な面もある。それは、老人たち全員が若さを取り戻せるわけではないことだ。子供の心を持つことの大切さを信じないもの、馬鹿にしたものは不可能である。その一方、老人になっても子供の心を持つことはできると信じたものは、一夜にして若さと人生を楽しむことができる。その象徴的な人物がいる。サイレント映画時代の大スター、ダグラス・フェアバンクスに憧れている老人で、身も心も子供になってしまいピーターパンのように真夜中、家の窓から飛び立って消えてしまうのだ。

 「フック」の先駆け的作品で、ピーターパンの老後を彷彿させる。また、「高齢化社会をどう生きるか?」が現在問われているがそのテーマを時代を先取りしてスピルバーグらしいメッセージを私たちに贈った佳作である。