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<経産大臣指定伝統的工芸品> 東京 東京手描友禅

2021-02-28 06:19:32 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「東京手描友禅」

 東京手描友禅(東京友禅・江戸友禅)の由来
 友禅染は、江戸時代の貞享(じょうきょう)年間(1684-1688)に京都の扇面絵師であった宮崎友禅斎(日置清親_ひおききよちか)により創始されたと伝えられています。

 扇面絵師として名を知られていた友禅斎が呉服屋の依頼により、小袖に小紋模様の多彩色の図案を描いたのが評判となり、友禅模様として脚光を浴びることとなりました。

 徳川家康が江戸幕府を開設したこと(1603年)を契機に大名家の参勤交代制度に伴って、絵師や染師も他の職人達と同様に京から江戸に移り住むようになりました。京のみならず各地方の各種技術・技法の交流がはじまり伝承され、江戸特有の文化にも育まれて、より洗練されたものづくりがされるようになりました。染物には水資源が欠かすことのできない重要な要素となり、このため隅田川や神田川の河川流域には多くの染師や職人が住んでいました。

 延宝元年(1673年)に日本橋に越後屋呉服店(現在の日本橋・三越)が開設されて、近年には、その染工場が神田川上流域の高田馬場付近に造られ、多くの染師や染物関連の職種に携わる人達が移り住むようになりました。

 特に関東大震災や第二次世界大戦を契機に東京の地場産業として、目覚ましい発展を遂げて来ました。その中にあって東京手描友禅は構想・図案・下絵・糸目糊置き・友禅の色挿し・仕上げまでの工程がほぼ作者の一貫作業となっており、華やかさを抑えて単彩のなかにも秘められた美しさと溢れる気品は、江戸の粋を現代に伝えています。

*https://tokyotegakiyuzen.or.jp/yurai より

*https://kougeihin.jp/craft/0202/ より

 江戸っ子の反骨精神を表していた、江戸友禅
 「昭和も早い頃までは、川で友禅流しをする光景が見られたんですよ。今はもう、古き良き時代の遠い記憶になってしまったけれどね……」
物心ついたときから絵を描くことが好きで、おもちゃのかわりに白い紙ばかりほしがっていた、という安達雅一さん。神田で染色工芸を創業した父に触発され、大学を卒業するとすぐ友禅染めの技法の手ほどきを受けた。
 京友禅が多色多彩できらびやかであるのに比べ、江戸友禅は渋くて地味である。江戸の町で友禅が町民の間に広く行き渡ったのは文化文政(1804~30)の頃。武士が凋落して商人が台頭し、江戸の文化は爛熟期を迎えていた。幕府は階級ごとに食事や着物などについて厳しい規制を敷き、とくに町人には華美な服装を禁じたのだ。町人たちは表向きはお触れに従ったかのように、無難で地味な縞模様などの着物をまとった。
 「ところが、吉原へ遊びに行くときなど、羽織りの裏をひょいと返せば華やかな金銀をあしらった生地がお目見えする。きっかけは権力に対する反骨精神だったものが、ふだんは隠れていて見えないところにこそお洒落をする、江戸っ子の粋に通じていったんだねえ」


 後継者育成のため心動かされるものを着物に写しとっていく
 爾来200年。今、東京の友禅は、多分に現代絵画の発想に近づいている。そもそもは「何を描くか」がテーマだったが、現代では「いかに描くか」に焦点が当てられるのだ。図案は花鳥風月であっても、単なる写実に終わるだけではない。自分ならではの花や鳥を表現するため、目に見えない発想の部分を重視し、着物自体に物語性をもたせるのだという。
 「もちろん、写実という基本的な技術をなおざりにしてはいけません。私自身、デッサンの練習は今でも欠かさないしね。向島の百花園、本郷の後楽園、六義園、皇居の東御苑なんかに、よくスケッチしに出かけていきますよ。」
技術の上に何を積み重ねていくか。それは、職人個人個人の感性と発想力の豊かさにかかっている。安達さんは、どこへ行くにも常にアンテナを張り巡らせているという。
 「麗しいもの、哀れを誘うもの……その瞬間瞬間でたくさん感じるものがある。たとえば、京都からの帰り道、ふと目に止まった黄昏時の近江富士、どんな名所旧跡よりも心に響いてきたね。そんなふうに心動かされるものを、着物に写しとっていきたいんですよ。」


 伝えるためには、変わっていくことも必要
 安達さんには、友禅を通して世の中に語りかけたいことがある。もはや右肩上がりの経済成長はありえない、ゼロ成長の時代をどう生きるか――。
「本物の技術でつくられたいいものを大切にして、あなた一人の代で終わらせず、子供さんやお孫さんに手渡すことを考えてほしい。ものと一緒に価値観をも次の世代へ伝えていく。それが本当に豊かだということなんじゃないでしょうか。」
そのためには、伝統工芸も変わっていかねばならないというのが安達さんの持論だ。伝統の技法を用いながらも、新しい時代の感覚に添うよう自己改革すべきではないか、と。ときには、既製の概念をいったん壊すことも必要になるだろう。発想の豊かさを強調する安達さんの創造力は、とどまるところを知らない。何と今、縄文にハマっているという。
 「縄文文化に触れていると、肌で土の匂いを感じて胸が高鳴りますね。デザインソースは1万年前のものだけれども、友禅という作品として高めるときは私独自の表現でなければならない。一度壊して再びつくり上げていく、それは心踊る仕事ですよ。」
かつて京から江戸へと伝わったとき、友禅は土地の気風に合わせ融通無碍(ゆうずうむげ)に変化していった。今また、時代は大きな変わり目を迎えている。どうやら東京の友禅には、時空を軽々と飛び超える翼があるらしい。友禅を愛したゆまぬ創造を続ける人、その物語に引き込まれ袖を通したいと願う人の対話が途切れぬ限り、東京手描友禅は再生を繰り返しつつ後の世まで伝わっていくことだろう。

 一筆一筆、丹念に色を挿していく。

 安達さん独特の「うつし糊絵」技法。糊と染料を混ぜ合わせたものを糊筒に入れ、乾いては挿し乾いては挿しを繰り返す。友禅では重ね挿しは色が濁るから邪道とされていたが、あえて伝統の禁忌(タブー)に挑戦した

 職人プロフィール

 安達雅一

 1935年生まれ。
 父とともに完成させた「うつし糊絵」は、従来の友禅の既成概念を打破する画期的な技法。友禅染だけでなく、染屏風の分野でも活躍。

*https://kougeihin.jp/craft/0202/ より


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