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<経産大臣指定伝統的工芸品> 沖縄 八重山ミンサー

2021-08-24 21:14:18 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

Description / 特徴・産地

 「八重山ミンサー」

 八重山ミンサーとは?
 八重山ミンサー(やえやまみんさー)は、沖縄県八重山郡竹富町や石垣市で作られている織物です。起源は定かではありませんが、アフガニスタン地方で見られる絣の帯が中国を経由して伝わったものだと考えられています。琉装の角帯として用いられていました。
 八重山ミンサーの特徴は、経緯ともに木綿糸を使って織られるたてうね織りで、縞と絣の柄が使われることです。八重山ミンサーは普段着の帯として織られてきたもので、ミンは綿、サーは狭い帯を表しています。
 素材には、藍染の木綿糸が用いらます。絣模様は手括り(てくくり)で作られ、紺と白の鮮やかな対比が特徴的です。使われる染料は、インド藍や琉球藍、紅露(クール)、フクギなどの植物染料の他、近年では化学染料も使われます。
 高機で筬(おさ)を使う織り方と、使わない手締めという織り方があり、織り上がったものは手触りや締め心地が大きく異なります。

 History / 歴史
 八重山ミンサーはアフガニスタンから中国を経て、八重山地方に伝わった織物だとされる一方、木綿発祥の地であるインドから伝わったという説もあります。16世紀初めの琉球王朝時代には、木綿布(ミンサー)が使われていたことが古い文献からわかり、この頃すでに八重山ミンサーが織られていたと考えられます。
 八重山ミンサーはかつて通い婚だった頃、婚礼のしるしとして女性から男性へ贈られていました。5つと4つで図案化された市松模様のような絣模様の両側に、細い線でムカデの足のような縁取りがあり、これには「いつ(五)の世(四)までも、ムカデの足のように足繁く通って欲しい」という娘たちの思いが込められています。
 竹富町を中心に作られていたミンサーは、現在では石垣島でも織られています。かつては紺一色でしたが、現在は色も豊富で、芭蕉や苧麻、絹などさまざまな糸が使われたものもあり、観光客向けに小物や袋物などさまざまな製品が作られるようになりました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yaeyamaminsa/ より

 今も昔も島の暮らしに欠かせない宝物
 300年の歴史があるという八重山ミンサー。一本の細帯には、その時代時代に生きた人々のさまざまな思いが込められている。内盛さんにとって、ミンサーは一生の宝。これからもずっと織り続けたいという。

 
 未来の夫へ、新妻からの贈り物
 真っ白なサンゴの砂を踏みしめて石垣に囲まれた赤瓦の家をのぞくと、縁側に2台の機が並んでいた。ここ竹富島で生まれ育ち、幼いころから織物に親しんできた内盛スミさんの仕事場である。1台には絹織物、もう1台には、紺地に白の絣(かすり)の鮮やかなミンサーがかかっていた。
 ミンサーは、八重山のほか、与那国、読谷、首里と、沖縄県各地で織られてきた木綿の細帯。藍染めで幅10センチくらいのものが基本だが、土地によって模様が少しずつ異なる。
 八重山の柄は、4つと5つの長方形を組み合わせたもの。「いつ(5)の世(4)までも末永く」という願いが込められ、婚約が決まったときに、女性が織って男性に贈ったという。縁取りの模様は「ヤシラミ」、つまりムカデの足で、「足しげく通ってください」の意味だそうだ。


 しめ心地のよさは「手締め」ならでは
 内盛さんに織るところを見せてもらった。小柄な体をスルリと機にのせたかと思うと、シャッシャと手足を動かし始める。ふつうの機織りとはなにか動作がちがう。これが竹富島のミンサー独特の「手締め」という織り方だった。
 経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)を入れるとき、機の筬(おさ)でトントンと打たずに、刀杼(とうひ)を手前にグッと引くようにしてよこ糸を寄せる。力がいるし、帯の幅を一定にするにはかなりの熟練が必要だ。
 「手締めはたいへんですよ。でも、織り上がったものには味がある。ぬくもりがある。筬で織ったものは、本当はミンサー織りと言いたくないんですよね」
 戦後は筬打ちが増えたものの、今も手締めにこだわって織る人たちがいる。なるほど、ふたつを比べてみると、手締めのものは木綿なのにしっとりとやわらかい。目がつまっていて模様が浮かび上がる。なによりしめ心地のよさに定評があり、使えば使うほど味が出てくるそうだ。
 帯は一度手に入れたら一生使えるもの。こんな帯を手元において、自分も年をとりながら、どう変化していくのか見てみたいものである。
 長く使うものだけに、細長い一枚の布にはいろいろな思いが込められる。
 「うちのお父さん、主人のお父さんですけれども、子供のころ、この島でミンサーを織ってたおばあちゃんがお守をしたわけ。だからずっとそのばあちゃんの帯をしめてたですよ。私が嫁にきたときからね。あんまり使いすぎて端の糸が切れてたんですよ。私が新しいのと交換してあげようといったら、『お守をされたからお母さんの片身と一緒なんだよ』といって、絶対しめてくれなかった。半分に折ってずーっと使ってました。亡くなるまでずっとあの帯だった」


 竹富島の人たちを助けた時代
 内盛さんが最も盛んにミンサーを織ったのは、昭和30年代後半から40年代にかけてだった。竹富島を訪れる観光客が増え、おみやげとして人気を集めたのだ。米軍の将校夫人が集団でやってきて、帯やミンサーのテーブルセンターを買っていくこともあった。
 島の女性73人が織っても、間に合わないほどだった。家族は総出で手伝った。おばあちゃんが経糸を作り、お父さんが絣を巻く。藍染めも各家庭でやっていた。
 寸暇を惜しんで織ったおかげで、内盛さん夫婦は子供たちを進学させることができたという。ミンサーは内盛さんにとって一生の宝となった。最近は絹や麻を織ることが多くなったけれども、2台の機のうち1台は常にミンサーを織るように心がけている。
 「機から消したくないからね。好きなもんを織っていても、これはやらんといかんというのが心の片隅にある。ずっと機に乗せておこうという気持ち。私を助けてくれた大事なものなんです」
 竹富島で最も大きな行事である種子取祭のとき、人々はムイチャーという芭蕉布の着物にミンサーをしめて踊りに参加する。昔も今もこれからも、八重山の暮らしに欠かせないものであることに変りはないようだ。


 職人プロフィール

 内盛スミ (うちもりすみ)

 大正14年生まれ。
 母親の機織りを見て育ち、結婚後、本格的に取り組む。竹富町織物事業協同組合理事長。


 こぼれ話

 麻、芭蕉、絹……多彩な竹富島の織物

 豊かな自然に恵まれた竹富島では、八重山ミンサーのほかにも、麻の八重山上布、芭蕉布、木綿と苧麻のグンボウなど、古くから伝わる多様な布が織られています。
 麻は琉球王府の時代にもたらされたといわれています。首里城からきた役人が、仲筋集落のヌベマアという娘を連れていき、お礼に麻の苗と甕をくれたと言い伝えられています。

*https://kougeihin.jp/craft/0134/ より


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