茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

2009年01月15日 | 気まぐれ日記
私は三味線本体や撥そして小物等々はそんなに凝るほうではないですが、敢えて云うならなかでも少しばかり気を配っているのが「駒」ではないだろうか?
海の向こうの大阪の山中に住み、悠々自適の生活をしている友達のように本当は道具に凝ってみたい気持ちはあるが、これには少々事情がありますので・・・(笑)

自分の奏法の関係上使用する駒は殆んど竹駒の高さ2分5厘~3分ですが、一応他の駒も持ってはいるがあまり使ったことはない。
不思議なもので昨日はこの駒が感じが良かったから、今日も良いかというと必ずしもそうではない。
その時々の諸々の条件によっての違いではあるだろうが、それにしても不思議なものだと思う。

駒の話からは少々それるが、最近ではこちらでも太棹の三味線が多くなってきて、隠岐の民謡を太棹で演奏する人がいるが、私個人としてはこれだけは絶対に譲れない気持ちです。
中棹を使用している自分の奏法としては、中棹にしてはどちらかというと撥は強めではあるが、太棹と中棹では「余韻」の面で云うと雲泥の差がある。
ましてや西物の民謡である、半ば余韻を無視して迫力を強調する必要はないと思う。
安来節の関係者の間でも太棹が勢力を伸ばしつつあるが、敢えて個人的な考え方から云うと何をか言わんやである。