茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

手記

2009年01月03日 | 気まぐれ日記
昨日のブログで落語家の三遊亭楽太郎師匠の話題を取り上げましたが、島根県の広報誌でもある「シマネスク」2001年秋号に、師が「父の島-隠岐」と題し手記を寄せておりますので、以下抜粋して原文のまま紹介します。


「佐渡は島でも隠岐は国」いきなり佐渡の人にしかられそうな書き出しだが、かんべんしてください。
これは私が言ったのではなく、21年前に亡くなった親父が私に言ってた口グセ、ですから父に文句言ってください。本当に隠岐の好きな人でした。
世話好きで、金もうけが下手で、欲がなくてやさしい・・・手前エの親をほめたって石に布団は着せられず。もうちょっと長生きしてほしかった。
そんな父が私に残してくれた物より思い出は、何度となく連れて行ってくれた自分の生まれ故郷隠岐。一時はいやがる母をつれ、隠岐で焼肉屋と自分の趣味のしゃくなげの店をやっていた。
あの頃が父の一番幸せな時期だったと思う。私がまだ前座なのに隠岐高校の体育館で一門会をやったとき、うれしそうに切符をさばいていた(あの時売りつけられた皆さんごめんなさい)。

父の親兄弟は、今や隠岐には一人もいない。オジ達も今は山梨にいる。
父はいなくても父を知ってる人達が、私が隠岐へ行くとやさしく迎えてくれる。
いまだに何年かに一度は都万目(つばめ)へ墓まいりをしている。血縁が生んでくれた、東京生まれ下町育ちの私の故郷が隠岐。
東京にいると、もう少し便利ならなあとか、こんな商売やれば、とか考えてしまうが、たまに行く隠岐は少しずつ良くなってきているし、このままでいてくれればと感じる。
都会モンのわがままがいらない島かもしれない。人はやさしいし、自然はかっこいいし、歴史はあるし、これからの地方のあり方を考えるなら、人の手を加えるべき所と加えてはいけない所をきちんと持っている島だと思う。
離島の不便さと大切さから、人のつきあいの楽しさと人間関係のわずらわしさが分かる。
島根県隠岐郡西郷町(注:今は隠岐の島町)、あと何回行けるかわからないけど父の縁でできた故郷、万歳!

(写真は小野皇と阿古那の悲恋物語で知られる、都万目地区にある顎無し地蔵です)