単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

遠距離恋愛のようなもの

2024-09-17 | 暮らし・ジョギング

 

国道112号からでも見ることのできる寒河江ダムの本体部分です。

御覧の通り、岩石を積み上げて堤体を築くロックフィル・ダムです。

余水吐け等の構造体は堤体のお山を挟んだすぐ左にあります。

今、時刻は午前7時過ぎ、山峡の冷んやりとした空気のせいか、急に霧が出てきました。

 


 

先週、”片通“ の憂き目に遭い、診療時間ギリギリになってしまったので、早めに家を出た。

ネット情報に依れば規制は「終日」とあったのでその覚悟で来たら、作業開始前の全線解除中。

こんなんだったら、もう一時間寝ていられたなあ・・・途中、道の駅で時間調整の二度寝。

 


 

ここに通って一か月、これまで週一の頻度で療法士の施術を三回受けてきました。

今日はリハビリの後、医師の診察があり、多少期待して来たのですが、正直、ガッカリ。

医師は立ったまま患部を診ることもなく、言わずもがなの話をして1分もかからず終了。

以前、膝の治療で世話になった理学療法士さんがつぶやくように言った言葉を思い出した。

「先生(医師)は症状に病名をつけたらお終い、治すのはボク等です」

その時の膝はほとんど完治、以来、初めてリハビリ効果を信用するようになったんだ。

 


 

ここのボクの担当と思われる理学療法士のNさんには、とても良い印象を持っています。

今日は宿題として、ダッシュ時のアキレス腱への負荷を減らすための筋トレを指導してくれた。

ボクの病名は大学病院の医師がつけたし、あとは理学療法士に頼るだけということか。

言いたかないけど、衝撃波治療機があるからって、ここを紹介されたんだぜ。

思い切ってそのことを医師に話しながら、治療機の修理の目途も訊いたけど、他人事かよ。

毎週、この山道を往復四時間近くかけて通う価値を改めて疑いだしてきた・・・けど。

それを食い止めてくれるのは、衝撃波治療機の早期復活とN療法士さんへの信頼しかないよ。

月山を挟んだ、ボクとNさんの遠距離恋愛のようなもの・・・あっ、Nさんは男子だからね。


東北っ子

2024-09-14 | 暮らし・ジョギング

 

マウンド上のピッチャーの周りに監督と内野陣が集まり、監督がピッチャーに何か話している。

この直前、相手バッターを追い込みながらも、デッドボールを与えてしまったんだ。

相手バッターのデッドボール前の空振りは、小さい身体に力をみなぎらせた凄いスイングだった。

 


 

さあ、ピッチャーのキミはその小さな体で次のバッターにどう立ち向かうか・・・投げた!

引き込まれてしまったボクは走りを中断し、しばらく羽黒橋の上から戦況を見守ることにした。

いい球投げるねえ、空振りだあ! あっ! キャッチャが後逸・・・振り逃げかあ。

更に次のバッターの第一球、えっ! 続けざまのキャッチャー後逸でボクは再び走り始めた。

ガンバレ! 小さな大投手。

 


 

ここに集まる野球少年たちも、大谷君のフィフティ・フィフティを応援してるんだろな。

多分、ここで我が子を応援しているお父さんもお母さんも、大谷君のファンだろうしね。

世代を越え、家族みんなが画面の向こうの大谷君を応援しているなんて、凄いよ大谷君は。

 


 

そうだ、大谷君のふるさとも、キミたちが生まれたここと同じような町なんだぜ。

たぶんそんなこと言われなくたって、この子たちは大谷君を身近に意識してるはずさ。

大谷少年も東北っ子なら、キミ等も同じ東北っ子だもんね・・・羨ましいよ、キミ等が。


履き違え

2024-09-13 | 暮らし・ジョギング

 

8月13日以来、ちょうど30日ぶりになるのですね。

完治するまでは、思い切ってランニングは止めようと意志を固めたんだけどなあ。

 


 

ボクが走ろうが走るまいが、内川で生きるキミ等には全くどうでもいい話だけどね。

そんなふうに見えるキミ等を横目で見ながら走るってことが、とっても素敵なことだったんだ。

ようやく、そのことがわかったのさ。

 


 

さあ! 走りましょう、ゆっくりね。

一か月間のブランクによる影響を身体がじわじわ感じ始めたぜ・・・この感覚が嬉しいねえ。

両のアキレス腱に負荷を掛けないよう、その分を両の膝と大腿四頭筋がカバーしてくれている。

 


 

機器の故障とは言え、思うように治療が進まず、気持ちも身体も物凄くモヤモヤしていたんだ。

こんなんじゃ、走らないでいることに何の意味があるんだ!なんて思い始めてさあ。

クリニックの医師や理学療法士に何か喧嘩売ってるみたいだけど・・・そんなんじゃない。

 


 

「完治させる」ことに、ボクは余りに振り回されていたと思うよ。

完治した先に見えてくる景色も魅力的だけど、そんな ”先” よりも ”今” が大事なお年頃。

アキレス腱に負荷を掛けまいとするあまり、気持ちに負荷を掛けちゃってるもんね。

完治より大事なことを見失っていたね・・・どこで履き違えたんだろうなあ。

そう、走って治すんじゃなくて、これからは、走りながら治そうっと。


ムダ足かな?

2024-09-10 | 暮らし・ジョギング

 

待ち時間20分の看板が立つ国道112号。

旧朝日村から西川町までの40キロ区間に、どんだけ片側通行箇所があんだい!

最初は余裕かましてたけど、ここでは待つこと15分・・・・、どんだけ待たせんだい!!

 


 

”片通”を想定して出てきたつもりでしたが、あの15分が祟り、着いたのは予約時間数分前。

時間10分前までと言われていたので、後にまわされると覚悟したらすぐに呼ばれた。

あとは「衝撃波治療機」が戻ってきていればと期待したけど・・・、もう、がっかりだよ!!

 


 

今回がリハビリ3回目、今日の療法士さんはたぶんボクの施術は初めてじゃないかなあ。

ボクが話すこれまでの経過を初めて聞くような様子・・・これで大丈夫なのかなあ。

以前通ったクリニックでは、最初の療法士さんが最後まで面倒見てくれたんだけどね。

 


 

衝撃波治療機があるからと大学病院の医師が紹介してくれたんだけどさあ・・・

超音波治療と今日の様な施術だったら、片道二時間かけて月山越えるなんて無駄じゃね?

言いたかねえけどガソリン代の方が・・・、いやいや誰のせいでもないし、無駄じゃないから。

帰ってきたら、赤川堤の桜並木が「早く戻って来いよ!!」って言ってくれたぜ。


薬師寺釈迦三尊像

2024-09-08 | 暮らし・ジョギング

 

薬師寺東塔の修理工事を取り上げた「新プロジェクトX」を諦観の思いを抱きながら観た。

学生時代、初めて歩いた「奈良路」を再び訪れることはないだろうなあ・・・

奈良教育大の学生寮(古かったなあ!)に臨泊しながら、文字通り、歩き通した一週間。

アンドレ・マルローの「征服者」が、激しい飛鳥時代の舞台にボクを導いたって感じですかね。

 


 

三代目んちに眠る当時のアルバムを開いて薬師寺の写真を探したら、たった二枚だけ。

当時はフィルムカメラだったし、貧乏学生のボクにとってフィルム代は決して安くなかった。

カメラも級友のムラセ君から借りたハーフサイズカメラ(今の若い人は分るかなあ)でした。

これがデジカメだったら、あとで整理が嫌になるほど撮りまくっていたと思うよ。

 


 

奈良の旅を思い返す時、いの一番に浮かんでくるのが薬師寺の「釈迦三尊像」

金堂に足を踏み入れ、最初に現れた「月光菩薩像」を観た瞬間、例えようのない心持ちに陥った。

すべての感情がその一瞬で消失してしまい、相当の時間、像の前から動くことが出来なかった。

菩薩像を仰ぎ見ていると、どんどん不思議な境地に落ちていく・・・恍惚感って言うのかなあ。

深くて柔らかい光沢、しなやかな曲線を描く立ち姿・・・、語彙も審美眼も未熟で表現できない。

写真の数が少ないのは、寺社仏閣内部や安置された仏像等の撮影が禁じられていたからだね。

 


 

東塔を写した当時の色褪せた写真を、年代物のアプリで修復してみた。

東西両塔のうち、当時存在したのは東塔だけで、焼失した西塔が再建されるのは十年後のこと。

山門、本堂、仏塔、講堂等で構成される「伽藍」を知ったのも、「奈良の旅」のおかげです。

 


 

中途半端な知識のままにアプリを駆使してみたら、結構なまでに画像がリアルに近づいた。

ボクの今の心模様を写し取るのか、どうやってみても「セピア色」っていうのが残るんだよね。

あれから50年かあ・・・、随分、変わっているだろうなあ。

再び奈良を訪れることがあるとしても、あの時の感情は思い出の中に止まったままでしょうね。