つぶやき・のおと

のんびり・ぼちぼち・気ままに・ふぅ~

ウンコヤロー

2010年01月16日 | 庭・ペットとか
ウサギは反芻動物である。

とは言っても、胃は1つしかなく、また吐き戻せない体質なので、肛門から出たフンをもう一度食べて、残った栄養を消化吸収するのである。

というわけで、ウサギは2種類のウンコをする。
1つは草食動物によく見られる、乾いたコロコロのウンコである。
そしてもう一つが、ドロッとしたウンコ。

聞いた話だと、このドロッとした方がまだ栄養が残っていると言うことで反芻の対象となる。ちなみに、こちらは臭い(笑)。。。


しかし、ウチのあずきはその辺の区別がよく分からん。
というのも、どちらも食べる。
そしてどちらも残す。

ひどいときは、カーペットの上でドロドロウンチをして、拭き取りに難儀するのである。


昨日も起きたらケージの中でドロドロがひどいことになっていた。

ケージの中だから良いだろう、と思ったら大間違いである。

狭い中でひき散らかすので、当然その“おつり”は足の裏にくっついてくるのである。


そうとは知らず外に出してからケージの惨状を確認。
慌てて捕まえてひっくり返し、足の裏を確認。
焦げ茶のゴム底のようになっていた。(-_-)
更に、その行為に起こって、足を「ドン!」・・・・・・やめてくれ~カーペットにスタンプを押すな~(>_<)


夜、一生懸命足についたウンコを囓って剥がしていた。(一部食べていると思われるが・苦笑)
それを見ながら、なんとなく「ああ、自給自足だな」と思ってしまった私。。。

毛の付いたカスを散らかしながらも、足の裏、随分キレイになりました。
まだ届いてないところに少し焦げ茶がひっついてますが・・・


この辺の躾けって出来ないもんでしょうかね。。。



日本の音楽

2010年01月13日 | 音楽・演奏とか
今日、BSの「第78回 日本音楽コンクール 本選会 作曲部門」を見た。(聞いた)
入選と入賞の計7曲を紹介したが、何れもいわゆる「現代音楽」。
一般に耳に心地よい、聴きやすい音楽 というものはなかった。
今コンクールはこんなんばっかりなのかな~?ちょっと残念。。。(個人的に)

でも、さすが1位の中辻 小百合 「消えていくオブジェ -北園克衛の詩による-」は他とは違う「何か」を感じました。よーわからんけど。。。

さて、この現代音楽も、理解して聴くと面白いん(と思うん)だけど、やはり一般には難解で、マニアックな世界ですよね。


現在同様に、馴染みがなくなって聞く機会も減ってしまった。しかしちょっと興味はあるぞ、という音楽が「日本の音楽」だったりします。
勿論、明治以降からの音楽ではありませんよ~
江戸以前です。


で、丁度今「日本音楽業書-5 歌謡」音楽之友社、木戸敏郎編集 という本を借りています。
まだ途中までしか読んでないけど、


この本は、劇場公演の際のプログラムが高い資料性があることに着目してそれを編集したものだということです。

「雅楽」から「唱歌」(小学唱歌ではない。「しょうが」と読む)、「御神楽」、「木遣り」等それぞれに解説と、その公演時の企画意図等が綴られている。

未勉強な私が読んだところで、細かいところなどは分からないんだけど、大まかなところで驚きもあったので、自分メモのつもりで少し書き出してみます。


まず、もともと「雅楽」は外来音楽であって日本起源の音楽ではない。
また皇室の音楽らしくなったのも明治以降のことで、それ以前は興福寺や四天王寺に所属する芸能団が伝承する性格が強かった。

本当の日本の伝統音楽の中枢は別のところにあり、国振りのウタの伝統がそれである。
御神楽(みかぐら)・東遊(あずまあそび)・久米舞(くめまい)・大和舞(やまとまい)・催馬楽(さいばら)・今様(いまよう)などである。

これらについて、まずやっかいな問題が旋法である。
雅楽は陽旋法。邦楽は陰旋法。(ここで色々議論を交わしているらしい)

中略

「唱歌」(しょうが)
小学唱歌ではない。平安時代以来の伝統的なもの。
笛の旋律を暗譜するために、楽譜を声でうたって記憶するウタを唱歌という。
唱歌を歌ったすぐ後に笛を吹く。しかし同じ旋律であるのに、唱歌は陰旋法でうたわれ、笛は陽旋法で演奏される。もともと笛の旋律であるから陽遠方がオリジナルな姿で、唱歌の陰旋法が訛であろう。しかしこれは誰がうたってもこうなるから、個人的な訛ではない。


篳篥
「徒然草」の二一九段に唐楽に関する興味深い話が紹介されている。
笙のの下の音と笛の五の音は対応するはずであるが音高が合わない。このことを竜秋は「笛には必要な音がなく、変な楽器だ。」といい、景茂は「笙は事前に調律したものを吹くだけだが、笛は吹きながら音高を調節する楽器で、音が合わないのは楽器のせいではなく、演奏家のせいだ。」といった。兼好は人はみな自分の基準が最も正しいと考えていることのおかしさを冷ややかに観察しているのだが、私(編者)には同じ旋律を合奏しても、しばしば音がすれる(ずれるではない。摩擦の意味のすれる)ことの最も早い記録として興味深い。

唐楽の三種類の管楽器で、笙は陽旋法、笛はやや陰旋法に近く、篳篥はほとんど陰旋法で演奏されている。(篳篥は音の高さを自由に調節でき、どんな旋法でも演奏できるという自由さがある)

たいていの日本人は篳篥の音色が好きではない。清少納言ですら篳篥の音をくつわ虫のようだと嫌悪の気持ちを「枕草子」に記している。
にもかかわらず、ウタモノに篳篥を愛用しているのは、かつての日本人が耳が良かった証拠であり、ウタが音楽的に健全であった証拠である。
そしてたいていの日本人が好む笙が全く使われていないことは、ウタモノがいかに陰旋法にこだわっていたかという証拠である。


御神楽の音
それぞれの楽器(声)が独自のシステムを持って同一の演奏をするのであるが、唐楽のように同時ではなく、一人ずつ順番に演奏する。人長(にんじょう)という司会者に一人ずつ呼び出された才男(さいのお)というミュージシャンは、庭上に設営されたたったひとつの軾(ひざつき)の上に入れ替わり立ち替わり登場して、それぞれの楽器(声)で、同じ旋律を順番にソロで演奏する。

現代の音楽学では、音は空気の振動であって、振動が止むと音は消滅する。すなわち音は時間的な存在であり、音楽は時間の芸術である。西洋音楽の視座から眺めると御神楽の演奏のマニュアルは異様である。

唐楽も御神楽も演奏効果のねらいは音の密度を高めることであるが、唐楽がヘテロフォニーであるのに対して、御神楽はアルペジオ風のヘテロフォニーとでもいったらよいか、あたかもカラー印刷の工程のようである。
ここでは音は色に近く、一度発音された音は消滅しないでその場に止まり、後から発音される音はその上に堆積する。こうして結果的には唐楽と同じような密度の高い音の塊が完成することになるが、この過程にみる音の概念には時間がない。

御神楽はウタが主体であるが、日本では昔から言霊という語があり、言葉にはアミニズム的な意義をみとめていた。
一度発声(発音)せられた声(音)の霊は魂魄この世にとどまるようにその場にとどまって、次々と堆積してゆく。



日本人と歌謡    黛敏郎

大雑把に言って、日本人は、器楽的というより声楽的な民族ではないだろうか。

時代順に思いつくまま挙げてみても、まず神楽歌、東遊歌、大和歌、誄(るい)歌、久米歌。催馬楽、朗詠、歌披講などの宮廷音楽、伽陀、講式、和讃、祭文などを含めた仏教音楽聲明全般、早歌、今様など中世の世俗歌謡から平曲、謡曲、浄瑠璃などの物語り音楽、さらに江戸時代に入ってからの組唄、地唄、長唄、小唄、端唄、新内、歌沢・・・その他この分類に入らないおびただしい数と種類の民謡と、とにかく日本音楽の大部分は声楽によって占められている。
これは、おそらく、日本民族が、性癖として理知的であるよりは情緒的、抽象的であるよりは具体的、神秘的であるよりは現実的、叙事的であるよりは叙情的、といった理由にもとづくものではないかと考えられる。

催馬楽は、日本古来の馬子唄などの卑俗な俚謡が、雅楽関係の渡来楽器-笙、篳篥、龍笛、琵琶、箏などの伴奏をともなって歌われる。
本来、音階組織の根本的に異なる日本の歌と、大陸の楽器とがピッタリ合うはずがなかった。
こうした場合、普通に見られる現象は、はっきりしたピッチを持つ楽器の方に引きずられて、歌のメロディーの音高が変化してしまうという結果だが、催馬楽の場合そうはならなかった。近接した違った音(約半音)が楽器で伴奏されても、歌の方はかたくなにオリジナルの音高を保持して、絶対にそれに合わそうとしなかった。
私は、はじめ、こうした現象が、大陸音楽輸入当時の日本人の耳の悪さ、無神経さに起因すると思っていたが、だんだん考えが変わっていった。いまでは、むしろ、こうした微妙なピッチの違いからくる音のずれを楽しもうという積極的な意図が、衝突を衝突のままわざと残しておいたのだと信じている。
事実、半音違いで楽器に合わさずに歌い通すということは、技術的にとても難しい。それをあえて、しかも千年のあいだやり続けていたというところに、私は日本民族固有の音感のたくましさを感じるのだ。
(後略)


ほんの冒頭を抜粋したにすぎませんが(それでも疲れた~)、これだけでも「邦楽」に対する見方(聴き方)が変わると思います。

特に、「音楽は時間芸術だ」という考えに、何も疑問を持ってなかった私には「御神楽」の考え方は衝撃でした。

昭和55年に、最初に御神楽を上演したとき、「このような退屈な上演物にはこれまで出会ったことがない」という批評がある雑誌に掲載された。
とも書かれていましたが、自分の尺度で(知らずに)向き合えば、おそらくほとんどの人がそう思っちゃうでしょうね。。。


現在、邦楽(Jポップじゃないよ)の理解と興味がどんどん失われていますが(一部ではブームらしいけど)、実は明治の頃、西洋音楽が入ってきたときの日本人の反応は、現在の邦楽に向けられているそれと似たものだったようです。
これはまた別の機会に触れたいと思います。

ま、私自身も、明治の「小学唱歌」以降の音楽が生まれたときから染みついてしまってるわけですが、黛敏郎さんの言う日本民族の性癖もしっかり受け継いでいると思ってます。

そんな自分の気持ちも大事にしながら、いろんな音楽に興味を持って取り組んでいかれれば良いな、と思う今日この頃なのでした。。。




「食べる行為室」

2010年01月12日 | 趣味・旅行とか
土曜日の話です。

東京は銀座にあるビルの1室で、タイトルにあります「食べる行為室」というイベントに参加してきました。

このイベントの主催者が、数年前からお付き合いがあります村井元さんというパフォーマーの方。

しかしこの会場となった奥野ビルという建物、銀座のただ中にこんな古びた妖しい建物があったんですね~
コンクリート打ちっ放しの内装。狭い玄関を入ると右にズラッと各部屋のポスト。え、マンション?
建物の中央に、手動扉のエレベーター(昔のアメリカ映画などでよく出てきたやつ)。しかし中のボタンは超新しい(笑)。
決して広くないフロアに1ルームの小部屋が入り組んで並んでる。しかも事務所だったりお店だったり画廊だったり・・・
建物の中心には階段。しかも2つ。
なんか、かなり理解不能なところの多い建物でした。

そういうところを1枚も撮ってないのが私らしい・・・(^_^;)

そんな中の1室。


村井さんという方も、不思議なパフォーマンスをされる方で、「生活の中に密着した部分で作品を作ってる」と(たしか)挨拶で言ってました。

「行為室」というパフォーマンスは、2007年に新宿の方で1年掛けて続けられてましたが(私は1回目に行きました)、今回はその食事版。

「鍋」をやる。ということで、各自材料か飲み物を持参。手ぶらの方は参加費1000円という何れをとってもリーズナブル(^^)

私は妻と、のこぎり友達のKさんを誘っていきました。Kさんは息子さんを連れてきた。初対面。

10人くらい集まりましたが、他のみんなもほとんどがそれぞれ初対面。


時間になって村井さんの挨拶と説明のあと、自己紹介はわざとなしで「食べる行為室」がスタート。

どういう事かというと、1枚目の写真の奥の壁に貼ってある紙、実はあみだくじになってまして、一定時間毎にあみだをする。そしてこれにしたがって鍋の具、及び付けるタレを決定してそれに乗っ取って食事を進めるというもの。

最初に投入されたのがツミレ。



タレはゴマダレでした。

続いて豚の薄切れ、更にミミガー(ミミガーを鍋で温めるというのは初めてでしたが、プルプル感が際だってすごく美味しかったです)、続いては韓国餅(名前忘れた)・・・と、なかなか野菜が登場しない。


そんな途中経過の写真。

ようやく白菜が選ばれたときは、場内拍手。こんなに喜ばれた白菜も珍しいでしょう(笑)。


今回の企画、とにかく純粋に楽しかったです。

ヤミ鍋ではないのでとりあえず何が選ばれても安心して食べられるし、どれも美味しかった。特に今回前半に肉系が集中したので、後半の野菜に良いダシが染み込んでて、シメが春菊だったんだけどこれがまた美味かった(^o^)。

で、(我々には)ゲーム感覚で進行していくから、初対面の人たちともなんの問題もなくおしゃべりできて盛り上がりました。

自分等の飲み会企画でも、これやりたいと思いましたが、進行役で統括の村井さんは黙々と大変そうだったので、自分で(パーティーとして)やる場合はそこら辺なんとかしないとね。。。


2時間ほどの会。

最後には全部キレイに食べ終えて、みんな満足で終了でした。
くじ引きをしながらゆっくりと食べるので、結構満腹感もありました。

妻も大喜びで、ホントに楽しい企画でした。
ありがとうございました。





もう7日

2010年01月07日 | 日常・生活とか
今し方ニュースの中で「今年ももう1週間が経ちましたね~」という言葉で思い出した。

七日といえば、七草がゆ

「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」
一応言えますよ(あえて平仮名(^^))

しかし、すっかり忘れてました。。。(-_-;)

今年もこんな調子でいきそうで、ちょっと寂しい気もしますが、少しずつでも自分の中で盛り上げていかれればと、密かに思います。。。


そういえば、以前実家の庭からセリを移植しました。
繁殖力旺盛で、ブワッと育ったんですが、そうなってから親から
「そういえば、セリのもどきがあって、見分けが付かないけど毒性があるらしいわよ」などと言われた。
それじゃあ、使えないじゃないか~・・・(T_T)



早水曜日

2010年01月06日 | 日常・生活とか
あとで書けばいいや とか思ってると、あっという間に日にちだけ経ってしまいます。。。

ボチボチ皆さんも通常業務に戻られてると思います。

私もボチボチ戻りつつ、しかしまだ大して忙しくやってないのに一昨日くらいから口の中が口内炎で痛いです(;_;)
体がなまりすぎてる???(-_-;)

そういえば、ビリーも最後までやって(1巻)大汗かいてからはやってないな・・・
時間を上手に作って、また始めるか・・・



今日はのんびり

2010年01月03日 | 日常・生活とか
1日は実家、そして昨日は2ヵ所の挨拶回り。

写真はその一つ、ミュージックセンターの中西さんの部屋から見た富士山。
横須賀の湘南国際村からの景色です。

この日は風もなく、ホントに穏やかな晴天でした。
こんなに静かな天気の日は珍しいそうです。高台にある所為か普段はとにかく風がスゴイらしいです。

ご近所に住んでいる我々と同世代(?)の女性も来て、5人でおせちをいただきました。
しばし歓談しながらまったりのんびり。

夕方早い時間においとまです。


間、鎌倉が市内通行止めになってるため海岸しか選ぶ道がなく、それなりの渋滞でした。(往きは午前中だったお陰か、スイスイと走れました)

正面に夕日と江ノ島。そしてその後方にシルエットとなった富士山を眺めながらのんびり走ります。

風はなく穏やかな1日でしたが、波は結構高くて、午前中は多くのサーファーが海に出ていました。


帰宅前にホームセンターで広告に出ていた時計を買いました。
壁掛けようの電波時計(針式)で998円!


帰宅したときにはもう日も沈んで薄暗くなってしまいましたが、今度は歩いて友人の家へ。
先ほどは車だったので飲めませんでしたが、今度は飲みます(^-^)

30分くらい歩いた先の友人宅。高校の同級生で今年は3人集まって飲んでました。
みんな頭に年齢を感じるようになったな~・・・(-_-)

楽しく飲みながら過ごします。(ちなみに両方とも夫婦で出かけてます)


それほど飲んだーというつもりはなかったんだけど、帰りには意識があやふや。
うーん、弱くなったな~・・・(私はここに年齢を感じるようになった・・・)
今年は意識的に飲み過ぎないようにしよう。。。

3日目の今日は、1日中家にいました。

年末から書き始めた曲の続きを作ってましたが、今ちょっと止まってしまいました。
スゴイ変な(不思議な)曲になってきていまして、それでも少しずつ書き進めたんですが、途中まで書いて出口が見えなくなりました。
つまり、広げた風呂敷のたたみ方が解らない。と。。。(^^;)

まあ焦っても仕方がないので、のんびりと出口を見つけたいと思います。
無事に完成すれば、面白い曲になると思うので、とにかく完成だけはしたいものです。



あけましておめでとうございます

2010年01月01日 | 日常・生活とか
時というものは誰にでも平等に流れるものでして、私にも無事に新年がやって参りました(^o^)

思えば昨年は妻の交通事故等で大変な年明けでしたが、今年は有り難いことに穏やかに新年を迎えることが出来ました。

大晦日の晩は、のんびりと家でテレビを見ていました。
年の変わりの「ジルベスターコンサート」はやっぱり楽しいですね。
その後はチャンネルを代えて「年の初めもさだまさし」。なんか見てしまいます(笑)。


元日はのんびりと実家で過ごしました。(徒歩30分)

途中に白旗神社があるんですが、日中は(初詣に)スゴイ行列だったので、そのままスルー。帰りの夜にはスッキリと誰もいなくなっていたので、しっかりたっぷりと初詣してきました(^o^)
おみくじも引きましたよ♪


今年は今まで以上に本腰入れて頑張りたいと思ってます。


本年もどうぞ 宜しくお願いいたします。