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日本の音楽

2010年01月13日 | 音楽・演奏とか
今日、BSの「第78回 日本音楽コンクール 本選会 作曲部門」を見た。(聞いた)
入選と入賞の計7曲を紹介したが、何れもいわゆる「現代音楽」。
一般に耳に心地よい、聴きやすい音楽 というものはなかった。
今コンクールはこんなんばっかりなのかな~?ちょっと残念。。。(個人的に)

でも、さすが1位の中辻 小百合 「消えていくオブジェ -北園克衛の詩による-」は他とは違う「何か」を感じました。よーわからんけど。。。

さて、この現代音楽も、理解して聴くと面白いん(と思うん)だけど、やはり一般には難解で、マニアックな世界ですよね。


現在同様に、馴染みがなくなって聞く機会も減ってしまった。しかしちょっと興味はあるぞ、という音楽が「日本の音楽」だったりします。
勿論、明治以降からの音楽ではありませんよ~
江戸以前です。


で、丁度今「日本音楽業書-5 歌謡」音楽之友社、木戸敏郎編集 という本を借りています。
まだ途中までしか読んでないけど、


この本は、劇場公演の際のプログラムが高い資料性があることに着目してそれを編集したものだということです。

「雅楽」から「唱歌」(小学唱歌ではない。「しょうが」と読む)、「御神楽」、「木遣り」等それぞれに解説と、その公演時の企画意図等が綴られている。

未勉強な私が読んだところで、細かいところなどは分からないんだけど、大まかなところで驚きもあったので、自分メモのつもりで少し書き出してみます。


まず、もともと「雅楽」は外来音楽であって日本起源の音楽ではない。
また皇室の音楽らしくなったのも明治以降のことで、それ以前は興福寺や四天王寺に所属する芸能団が伝承する性格が強かった。

本当の日本の伝統音楽の中枢は別のところにあり、国振りのウタの伝統がそれである。
御神楽(みかぐら)・東遊(あずまあそび)・久米舞(くめまい)・大和舞(やまとまい)・催馬楽(さいばら)・今様(いまよう)などである。

これらについて、まずやっかいな問題が旋法である。
雅楽は陽旋法。邦楽は陰旋法。(ここで色々議論を交わしているらしい)

中略

「唱歌」(しょうが)
小学唱歌ではない。平安時代以来の伝統的なもの。
笛の旋律を暗譜するために、楽譜を声でうたって記憶するウタを唱歌という。
唱歌を歌ったすぐ後に笛を吹く。しかし同じ旋律であるのに、唱歌は陰旋法でうたわれ、笛は陽旋法で演奏される。もともと笛の旋律であるから陽遠方がオリジナルな姿で、唱歌の陰旋法が訛であろう。しかしこれは誰がうたってもこうなるから、個人的な訛ではない。


篳篥
「徒然草」の二一九段に唐楽に関する興味深い話が紹介されている。
笙のの下の音と笛の五の音は対応するはずであるが音高が合わない。このことを竜秋は「笛には必要な音がなく、変な楽器だ。」といい、景茂は「笙は事前に調律したものを吹くだけだが、笛は吹きながら音高を調節する楽器で、音が合わないのは楽器のせいではなく、演奏家のせいだ。」といった。兼好は人はみな自分の基準が最も正しいと考えていることのおかしさを冷ややかに観察しているのだが、私(編者)には同じ旋律を合奏しても、しばしば音がすれる(ずれるではない。摩擦の意味のすれる)ことの最も早い記録として興味深い。

唐楽の三種類の管楽器で、笙は陽旋法、笛はやや陰旋法に近く、篳篥はほとんど陰旋法で演奏されている。(篳篥は音の高さを自由に調節でき、どんな旋法でも演奏できるという自由さがある)

たいていの日本人は篳篥の音色が好きではない。清少納言ですら篳篥の音をくつわ虫のようだと嫌悪の気持ちを「枕草子」に記している。
にもかかわらず、ウタモノに篳篥を愛用しているのは、かつての日本人が耳が良かった証拠であり、ウタが音楽的に健全であった証拠である。
そしてたいていの日本人が好む笙が全く使われていないことは、ウタモノがいかに陰旋法にこだわっていたかという証拠である。


御神楽の音
それぞれの楽器(声)が独自のシステムを持って同一の演奏をするのであるが、唐楽のように同時ではなく、一人ずつ順番に演奏する。人長(にんじょう)という司会者に一人ずつ呼び出された才男(さいのお)というミュージシャンは、庭上に設営されたたったひとつの軾(ひざつき)の上に入れ替わり立ち替わり登場して、それぞれの楽器(声)で、同じ旋律を順番にソロで演奏する。

現代の音楽学では、音は空気の振動であって、振動が止むと音は消滅する。すなわち音は時間的な存在であり、音楽は時間の芸術である。西洋音楽の視座から眺めると御神楽の演奏のマニュアルは異様である。

唐楽も御神楽も演奏効果のねらいは音の密度を高めることであるが、唐楽がヘテロフォニーであるのに対して、御神楽はアルペジオ風のヘテロフォニーとでもいったらよいか、あたかもカラー印刷の工程のようである。
ここでは音は色に近く、一度発音された音は消滅しないでその場に止まり、後から発音される音はその上に堆積する。こうして結果的には唐楽と同じような密度の高い音の塊が完成することになるが、この過程にみる音の概念には時間がない。

御神楽はウタが主体であるが、日本では昔から言霊という語があり、言葉にはアミニズム的な意義をみとめていた。
一度発声(発音)せられた声(音)の霊は魂魄この世にとどまるようにその場にとどまって、次々と堆積してゆく。



日本人と歌謡    黛敏郎

大雑把に言って、日本人は、器楽的というより声楽的な民族ではないだろうか。

時代順に思いつくまま挙げてみても、まず神楽歌、東遊歌、大和歌、誄(るい)歌、久米歌。催馬楽、朗詠、歌披講などの宮廷音楽、伽陀、講式、和讃、祭文などを含めた仏教音楽聲明全般、早歌、今様など中世の世俗歌謡から平曲、謡曲、浄瑠璃などの物語り音楽、さらに江戸時代に入ってからの組唄、地唄、長唄、小唄、端唄、新内、歌沢・・・その他この分類に入らないおびただしい数と種類の民謡と、とにかく日本音楽の大部分は声楽によって占められている。
これは、おそらく、日本民族が、性癖として理知的であるよりは情緒的、抽象的であるよりは具体的、神秘的であるよりは現実的、叙事的であるよりは叙情的、といった理由にもとづくものではないかと考えられる。

催馬楽は、日本古来の馬子唄などの卑俗な俚謡が、雅楽関係の渡来楽器-笙、篳篥、龍笛、琵琶、箏などの伴奏をともなって歌われる。
本来、音階組織の根本的に異なる日本の歌と、大陸の楽器とがピッタリ合うはずがなかった。
こうした場合、普通に見られる現象は、はっきりしたピッチを持つ楽器の方に引きずられて、歌のメロディーの音高が変化してしまうという結果だが、催馬楽の場合そうはならなかった。近接した違った音(約半音)が楽器で伴奏されても、歌の方はかたくなにオリジナルの音高を保持して、絶対にそれに合わそうとしなかった。
私は、はじめ、こうした現象が、大陸音楽輸入当時の日本人の耳の悪さ、無神経さに起因すると思っていたが、だんだん考えが変わっていった。いまでは、むしろ、こうした微妙なピッチの違いからくる音のずれを楽しもうという積極的な意図が、衝突を衝突のままわざと残しておいたのだと信じている。
事実、半音違いで楽器に合わさずに歌い通すということは、技術的にとても難しい。それをあえて、しかも千年のあいだやり続けていたというところに、私は日本民族固有の音感のたくましさを感じるのだ。
(後略)


ほんの冒頭を抜粋したにすぎませんが(それでも疲れた~)、これだけでも「邦楽」に対する見方(聴き方)が変わると思います。

特に、「音楽は時間芸術だ」という考えに、何も疑問を持ってなかった私には「御神楽」の考え方は衝撃でした。

昭和55年に、最初に御神楽を上演したとき、「このような退屈な上演物にはこれまで出会ったことがない」という批評がある雑誌に掲載された。
とも書かれていましたが、自分の尺度で(知らずに)向き合えば、おそらくほとんどの人がそう思っちゃうでしょうね。。。


現在、邦楽(Jポップじゃないよ)の理解と興味がどんどん失われていますが(一部ではブームらしいけど)、実は明治の頃、西洋音楽が入ってきたときの日本人の反応は、現在の邦楽に向けられているそれと似たものだったようです。
これはまた別の機会に触れたいと思います。

ま、私自身も、明治の「小学唱歌」以降の音楽が生まれたときから染みついてしまってるわけですが、黛敏郎さんの言う日本民族の性癖もしっかり受け継いでいると思ってます。

そんな自分の気持ちも大事にしながら、いろんな音楽に興味を持って取り組んでいかれれば良いな、と思う今日この頃なのでした。。。




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