【3月11日(月)】
何日か良い天気が続いたのですが、昨日、今日と真冬に逆戻りです。
早く暖かくなってほしいものです。
さて、3月の定例議会も7日(木)で終わりました。
最終日は「北秋田市病院事業会計予算」の採決の前に『賛成討論』を行いました。
細かい内容につきましては、後日「北秋田市ホームページ」や「議会だより」に掲載されると思いますので、そちらをご覧いただきたいと思います。
私は、「医者不足に対しての当局の努力なしによって『予算の反対』を行うものはいかがなものか。」という点です。
医者不足は『北秋田市民病院』のみならず、地方病院の多くがこの問題に悩まされているのです。
これまでの、国の「医療費抑制政策」や従来、大学病院など特定の病院においてのみ研修が可能であったのが、一般の民間病院においても研修が出来るようになった、2004年に始まった「新医師臨床研修制度」によるものが医者不足の大きな要因です。
この「新医師臨床研修制度」により、都会へ地方大学の医学生は卒業時に流出し、地方の大学病院が高水準の医療を維持するため、医局の人事による地方病院に派遣を行っていた多数の医師を病院側に引き上げられてしまいました。
その為に地方の病院から「医局人事による医師」がいなくなり、医師不足に陥ってしまったのです。
そしてこれらは、当局、市長、厚生連の責任だけではなく、そして押し付け、批判だけするのではなく、我々市議会も地域住民も一丸となって施策や提案を行い、取り組んでいかなければならない問題なのではないかと思うのです。
自分なりに医師不足の早期解決に向け考えを提案し、病院事業が軌道に乗るように努力していきたいと思います。
話は変わって、今日で『東日本大震災』から大震災の発生から今日で2年となります。
この、巨大地震の発生時、私は「3月定例議会」の健康福祉常任委員会の付託案件の審議中で、長く大きな揺れで何度も庁舎から避難したことを今でも思い出します。
その後は停電により常任委員会は中止となり帰宅しましたが、車や携帯電話のテレビに映し出される津波の映像にこれから日本はどうなるんだろうと、恐怖で慄いたものです。
国のまとめによりますと、今月8日現在で、▽死亡が確認された人は1万5881人、▽行方不明者は2668人で、▽避難後の体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は去年9月末までに2303人確認され、震災による死者と行方不明者は少なくとも2万851人に上っているそうです。
被災地では、犠牲者を追悼する行事が各地で行わるそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
私も議員やボランティア仲間と被災地に「炊き出し」や「物資輸送」などで何度か被災地に訪れましたが、その後、ここ数ヶ月被災地には残念ながら行っていません。
機会をつくり訪れてみたいと思います。
また、昨日の10日に訃報がありました。
秋田県建築士会北秋支部の常務理事である佐藤均さんがお亡くなりになったとの連絡でした。
建築士の先輩であり、仕事の関係もあり、そして親戚関係でもありました。
亡くなった私の父が、高校生の自分に、
「親戚でこのようにがんばって設計事務所を開いている人がいる。将来、お前もがんばってこのようになりなさい。」と言って建築の仕事につくよう促したのを憶えています。
父は生粋の大工でしたので、設計事務所の先生は非常に憧れだったのかもしれません。
私はその後、大学で建築学部に入り建設会社に就職し、建築士の資格を取得したのです。
今の自分があるのは佐藤さんによる影響が大きいものなのです。
ここ数年体調を崩され、闘病生活で入退院を繰り返していた佐藤さん。
ご冥福をお祈りいたします。
何日か良い天気が続いたのですが、昨日、今日と真冬に逆戻りです。
早く暖かくなってほしいものです。
さて、3月の定例議会も7日(木)で終わりました。
最終日は「北秋田市病院事業会計予算」の採決の前に『賛成討論』を行いました。
細かい内容につきましては、後日「北秋田市ホームページ」や「議会だより」に掲載されると思いますので、そちらをご覧いただきたいと思います。
私は、「医者不足に対しての当局の努力なしによって『予算の反対』を行うものはいかがなものか。」という点です。
医者不足は『北秋田市民病院』のみならず、地方病院の多くがこの問題に悩まされているのです。
これまでの、国の「医療費抑制政策」や従来、大学病院など特定の病院においてのみ研修が可能であったのが、一般の民間病院においても研修が出来るようになった、2004年に始まった「新医師臨床研修制度」によるものが医者不足の大きな要因です。
この「新医師臨床研修制度」により、都会へ地方大学の医学生は卒業時に流出し、地方の大学病院が高水準の医療を維持するため、医局の人事による地方病院に派遣を行っていた多数の医師を病院側に引き上げられてしまいました。
その為に地方の病院から「医局人事による医師」がいなくなり、医師不足に陥ってしまったのです。
そしてこれらは、当局、市長、厚生連の責任だけではなく、そして押し付け、批判だけするのではなく、我々市議会も地域住民も一丸となって施策や提案を行い、取り組んでいかなければならない問題なのではないかと思うのです。
自分なりに医師不足の早期解決に向け考えを提案し、病院事業が軌道に乗るように努力していきたいと思います。
話は変わって、今日で『東日本大震災』から大震災の発生から今日で2年となります。
この、巨大地震の発生時、私は「3月定例議会」の健康福祉常任委員会の付託案件の審議中で、長く大きな揺れで何度も庁舎から避難したことを今でも思い出します。
その後は停電により常任委員会は中止となり帰宅しましたが、車や携帯電話のテレビに映し出される津波の映像にこれから日本はどうなるんだろうと、恐怖で慄いたものです。
国のまとめによりますと、今月8日現在で、▽死亡が確認された人は1万5881人、▽行方不明者は2668人で、▽避難後の体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は去年9月末までに2303人確認され、震災による死者と行方不明者は少なくとも2万851人に上っているそうです。
被災地では、犠牲者を追悼する行事が各地で行わるそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
私も議員やボランティア仲間と被災地に「炊き出し」や「物資輸送」などで何度か被災地に訪れましたが、その後、ここ数ヶ月被災地には残念ながら行っていません。
機会をつくり訪れてみたいと思います。
また、昨日の10日に訃報がありました。
秋田県建築士会北秋支部の常務理事である佐藤均さんがお亡くなりになったとの連絡でした。
建築士の先輩であり、仕事の関係もあり、そして親戚関係でもありました。
亡くなった私の父が、高校生の自分に、
「親戚でこのようにがんばって設計事務所を開いている人がいる。将来、お前もがんばってこのようになりなさい。」と言って建築の仕事につくよう促したのを憶えています。
父は生粋の大工でしたので、設計事務所の先生は非常に憧れだったのかもしれません。
私はその後、大学で建築学部に入り建設会社に就職し、建築士の資格を取得したのです。
今の自分があるのは佐藤さんによる影響が大きいものなのです。
ここ数年体調を崩され、闘病生活で入退院を繰り返していた佐藤さん。
ご冥福をお祈りいたします。