温泉大好き

趣味で ”うたごえ・喫茶”を行っています。
皆さんで 楽しく 大きな声で歌いましょう!

たむらさんの記事が掲載されました

2007年12月20日 05時51分21秒 | うたごえ
遊水池を描く
                     

 「渡良瀬遊水池が描きたい。」・・・前々からそう言っていた、私の先輩でもあり同じ絵画団体の仲間でもあるKさんと、Tさんが、はるばる東京や所沢から二泊三日の予定で初冬の足利までやってきた。

 東武伊勢崎線足利市駅に到着してすぐ遊水池に向かった。お昼はパンでも食べれば良いと言う。少しでも早く、遊水池をこの目で確認し描きたい!そんな彼の思いが強く感じられた。

 Kさんは、足尾鉱毒事件や田中正造についての知識は持っている。最近の遊水池は整備され昔ほどではないが、荒涼とした葦や荻の大湿原には、あえなく離散した旧谷中村の人々の思いが漂っている。・・・そんなことを話してはおいた。Kさんは、「荒涼」という言葉が気に入った様子だった。

 遊水池に着くと、Kさんは、正面から北風の吹く高台に陣取り、イーゼルをガードレールに縛り付け、立ったままで早速横長のキャンバスに描き始めた。傍らでTさんは水彩画を丁寧に描いている。私はその場を離れ別のところで描くことにした。車でかなり反対側に走っても、高台の上に黒いフードをかぶって描いているKさんの姿が確認できる。描いてはいるが、北風と戦っているようにも見えた。

 この日は空気が澄んでいて、南から富士山・秩父連山・その向こうに八ヶ岳、それから故郷の山、上毛三山・足尾・日光連山と見渡せ、東には筑波山も間近に望めた。

 やがて、日は西に傾き、湿原は刻一刻とその色合いを変えてゆく。Kさんは日没間際まで一回も休まず描き続けたと私に話した。ある時間から風もやみ、夕焼けは穏やかなものだった。

 最終日、遊水池で再び描き始めるKさんとTさん。私は、前日の夜、同窓会があり遅くまで付き合ったので、この日は疲れて描けない。カメラをぶら下げ、チュウヒや足元の草の実などを撮影して過ごした。こうして、三人にとって充実の三日間が無事過ぎた。

今月のある日、Kさんから一枚のハガキが届いた。「まる三日間全力疾走した。まさに魂を奪われて絵を描いていた感じでした。」また、「遊水池の後遺症で、二日ほどだるくて頭が痛くて眠れなくて・・・」と、私と似たような症状が書かれていた。

 しかし、その後に続く文章はすごかった。要約すれば、あのまま手を入れなくて良しと思っていたが、ちょうどそのころ行われた、我々の師である麻生三郎展を見てその厳しさを実感。「ああ、やっぱりだめだ。とくに夕空は俗っぽく恥ずかしい。印象が生きているうちにと、今、一所懸命になって描いています」と書かれていた。

 Kさんは、ビルの床掃除の仕事を何十年もしながら、ほとんどの時間を描くために使っている。私のような何でも屋ではなく、絶滅危惧的な本物の絵描きなのである。

                         2007年 12月16日掲載(東京新聞)

 今朝は8℃くらいでした。