オフィス・ヤハのトホホな日々

エホバの証人の一プログラマが聖書研究と自転車の趣味等を徒然なるままに

ヨセフの坑

2010年09月11日 | 聖書
    明日の「ものみの塔」研究記事では、ヤコブの息子ヨセフの試練から学ぶことができます。ヨセフが異母兄弟たちに投げ込まれた「坑」とは、自然の窪地ではなく、人工的な井戸の穴のようです。

    シェケムから移動してきたドタンで兄たちを見つけたということであれば、多分このような所ではなかったでしょうか。



    この写真は、テル・ドタンの南斜面の坑です。別の資料によれば、もっと平地に掘られた普通の井戸を「ヨセフの井戸」とクレジットしていました。いずれにしても、こうしたドタンのテルの周辺のなだらかな谷間の草原で、ヤコブの息子たちは羊を飼っていたのでしょうね。

    過去のものみの塔の資料では、ヨセフの際立った辛抱強さを、見倣うべき模範として読者に注意を喚起していました。今回も同様です。辛い試練を耐えた人物は数多く記録されていますが、ヨセフ程の不当な扱いを受けた人はそうは思い浮かびません。

    それもそのはずで、ヨセフはキリストの試練を予型的に示していたのですから。なぜ、ヨセフが忍耐できたのでしょうか。今回分析してみたのは、ここに至る経過とヨセフの置かれていた状況です。

    (1)ヨセフの誕生
     レアがルベン、シメオン、レビ、ユダを産む。ラケルの奴隷女ビルハが、ダン、ナフタリを産む。レアの奴隷女ジルパが、ガド、アシェルを産む。レアがイッサカル、ゼブルンを産む。レアが娘ディナを産む。ラケルがヨセフを産む。ヤコブ晩年の子ゆえ、ヨセフは寵愛される。
    (2)ディナ事件
     シェケムで、ディナ事件が起こり、シメオンとレビを始めとするディナの兄たちが虐殺・強奪を働く。ベテルに移動。
    (3)ベニヤミンの誕生とラケルの死
     ベテルからベツレヘムへの移動中に、ラケルはベニヤミンを産み、死ぬ。
    (4)ルベン事件
     レアの長子ルベンは、ヤコブのそばめビルハと寝て父の寝床を汚す。
    (5)ヨセフ十七歳
     父ヤコブはヨセフの敬虔な特質ゆえにもヨセフを寵愛し、長男に与えられるしま柄の長い衣をヨセフに与える。異母兄たちは妬む。
    (6)ヨセフの夢
     ヨセフは、父・母・兄弟たちが自分に仕える夢を見たことを報告して、一層異母兄弟たちに妬まれる。
    (7)ドタン事件
     ヨセフは父の指示で、ヘブロンからドタンにいる兄たちに遣わされる。そこで、エジプトに奴隷として売られる。
    (8)ヨセフの成功
     ヨセフはファラオの護衛の長ポテパルの家で、勤勉・有能ゆえ家の監督者とされる祝福を受ける。
    (9)ポテパルの妻事件
     誘惑を退けた故に、獄屋に。


以上の状況からすれば、ドタンで兄たちに捕まってエジプトに売られた時点では、ヨセフは父ヤコブから実質的な長子扱いされており、事実、異母兄弟たちの悪い性向はそれを裏付けていましたから、アブラハム契約の相続人として既に自覚していたことでしょう。(後に、ヤコブの臨終の預言ではっきりとしました。)

    しかも、ヨセフが見た二つの夢は、聡明なヨセフにエホバからの特別の何かがあることを確信させたに違いありません。それが証拠に、エジプトに売られても、すぐに祝福されて苦々しい恨みを抱く暇もない日々となりました。



    ポテパルの妻による冤罪も、少し時間が経過しましたが、やはりエホバからの祝福でファラオの夢の解き明かしという特権に与り、ファラオに次ぐ支配者に任命されるという夢のようなことが起きました。

    この時点で、ヨセフの予感はまさに劇的に現実となりました。もう、何もうらむことはなくなりました。まぎれもないエホバからの祝福であることが明らかになったのです。

    イエス・キリストの場合もそうですが、極限の苦難という試練にぎりぎりで耐えられるのは、やはり単なる辛抱・忍耐ではなく、その先に見えているとてつもない報いがあるという希望が支えとなっていたということでした。

    それと、ヨセフは、自分の父祖たちのこともよく観察し、黙想していたことは明らかです。直接の父親のヤコブも、エサウに憎まれて20年間の苦難を余儀なくされました。それでも、父がエホバにどのように導かれ祝福されたかの結末を見ていたわけですから、自分も同じような試練を予期しそれに備えていたに違いありません。

    祖父たちのアブラハムも然り、イサクもリベカと結婚して20年間子供ができませんでしたから、やはり試されました。しかもエサウのカナン人の妻に苦しめられました。敬虔な信仰の人が経なければならない忍耐の過程をヨセフは知っていたのでした。
  

         

空に架ける橋

2010年09月10日 | 日記
    台風一過の秋晴れのさわやかな午後を、定期巡回コースを少し外れて、上三川町ゆうきが丘ニュータウンを訪れてみました。南の県道71号線から入って北上し、下神主(しもこうぬし)から宇都宮市茂原町に抜けるルートでした。

    十年以上前だったでしょうか、住宅地図の現地調査で来た当時はまだ家がまばらだったのに、今ではすっかり密集地帯になっていました。街路を抜けて東北新幹線の側道に合流しようとした時、息を呑む光景に遭遇しました。



    東北新幹線の高架橋のその遥か上を北関東自動車道が通っていました。この瞬間、新幹線を跨ぐ橋桁を架ける工事が当時話題になっていたことを思い出しました。確か、「押し出し工法」とかいう方法で、新幹線を止めずに短時間で立体交差の部分を組み立ててしまう工法だったと思います。早朝の見学会も催されたように記憶しています。

    この一日は近辺の農家があちこちで稲の収穫を行なっていて、黄金色に香る空気を味わえました。その一日を締めくくる光景は、まさに「空に架ける橋」でした。


ビアンキな日々

2010年09月04日 | 日記
    8:00起床。まず血糖値測定です。このところ赤ワインをやめているので、少し高めの111です。昨日、酷暑の中29km走ったにもかかわらず、結局一日中柿の種と煎餅とコーヒーくらいしか食べてないので、さすがに今朝は少し食事が進む君で、500kcalは入ったでしょうか。400kcalのメロンパンに100kcal強のレトルト中華丼の具にコーヒー、マルチビタミンとマルチミネラル、それにしびれの錠剤(キネダック錠50mg)と立ちくらみの錠剤(リズミック錠10mg)、そして即効性インシュリン注射を軽く2単位。

 おはよう、ビアンキ君。


出発前には必ず点検・整備。理由(わけ)あって後輪圧は7.5barと高め。
こんなわずかな作業でさえ少し休憩を取らないと動悸息切れとは、悲しいほど情けないです。



いってらっしゃいませ(飼い主だった私の両親よりも長生きしている(笑)犬のリリーさん♂)。


すぐ近くの実の姉のМ子さんの様子に変わりはないかちょっと前を通って。


これまたすぐ近くの、県総合運動公園の日陰周回コースでウォームアップ。


2~3周程走って体調が悪くないようなら、いよいよ宇都宮環状線に出ます。出るとまず左側に自衛隊の飛行場が。


酷暑ゆえ、定期周回コースをショートカットして、東北新幹線側道コースを南下します。夏はだいたいいつも逆風です。


約1km走ると王国会館高架下駐車場。


この何カ月かの間ずっと全面通行止めで迂回を余儀なくされていた道がやっと開通です。
おっと、今追い越して行った1258は、午前の野外奉仕を終えて帰宅されるY縣K子お姉さまでは。
この私も、もう少し調整できればH-Hの奉仕も夢ではなくなりました。


雀宮駅東開発で、王国会館向かい側の田んぼに図書館や工業高校を建てています。


風はアゲンストとはいえ、若干下っているため、途中数か所の信号無し交差点を通過しながらの4km程の直線舗装路は快適です。
フロントインナー・リア4~6速・ケイデンス70~90で、16~30km/h巡行といったところでしょうか。ハイエンド・ロードバイクがフェラーリ・ランボルギーニなら、今の私が駆るビアンキはFFオープン・コンフォート2座フィアット・バルケッタ!(12年前の私はこれを嫌って、マッチョにロードスターで走りたかったのでした)。
上の写真は、宇都宮市南端の茂原グリーンパーク(ごみ処理場)。


グリーンパークを左に見れば、上三川町ミニストップ大山店が間近です。


わずかなアップダウンを繰り返しながら、県道71号線をイーブンペースで東進。
宇都宮市中心部を流れ下ってきた田川も、ここでは清流に。


上蒲生南(かみがもう・みなみ)交差点に来ると、新国道4号線。


新4国を地平線に向かって北上。ミニストップを出てからの10kmはほとんど日陰無し。灼熱地獄。


もう背中が熱くて仕方ありません。太陽電池パネルでも背負っていたら理想的だったでしょうが。意識がもうろうとしてきます。
北関東自動車道・上三川ICを過ぎたところにあるエネオス鈴与に避難します。冬はストーブ、夏はエアコンがガンガン効いています。


20分程涼んでエネオスを出発し、トロトロと時速15kmくらいで走って力が湧いてくるのを待ちます。
そのうちに瑞穂野団地入口に。左折して宮環、残り6km。ここまで来るとなぜか元気が出る私です。


定期周回コースの最後に、ゴールスプリントの500m。宮環・若松原交差点⇒南警察署⇒サトーカメラへの下りです。
ここで初めてビッグギアを咬ませて全力走行します。今日は珍しく西風のアゲンスト。トップスピードが頭打ちです。

 本日の走行距離、27.84km。

 平均速度、16.6km/h。

 最高速度、43.0km/h。

 累積走行距離、3574.5km。

走行中、携帯ラジオで聞いていたNHKラジオ第二放送で覚えている事。フランス語講座の「世界一の美女(ないものねだり)」、「レ・ミゼラブル」。英語ニュースの米軍イラク撤退。ドイツ語講座はシャワーを浴びてさっぱりしたら、全部忘れてしまいました。あとは、お昼のラジオ体操。


お帰りあさあせ。(黒うさぎのリリー(本名、文代(ふみよ)猫♀)。 









 


フェラーリ&ランボルギーニ

2010年09月01日 | 自転車
    ロードバイク2011年型が続々と発表になっているようですが、今年最大の話題はやはりLOOK 695でしょうか。名車中の名車と言われている595のモデルチェンジですから満を持しての発表ということらしく、クランクまでカーボンで決めてきました。

    何か面白い情報はないかと、昨晩寝床に就く前に検索していたらこんな写真を見つけました。この辺ではまずお目にかかれない光景ですね。コメント欄に「フェラーリとランボルギーニ」と表現されていましたが、正しく当を得ていると思いました。

    「一歩前進できるかな?」2010/8/24の記事から借用させていただきました。前の白い方がLOOK595で、後ろの真っ赤な方がTIME RXRということで、ハイエンド・バイクに履かせたカンパニョーロ・ボーラが、都会的な雰囲気満点でした。今の私の健康状態でさえ、40km巡航を可能にする高性能は、スーパーカーに例えられます。







こちらも同じブログからの借用です。やっぱ、スーパーカーが二台です。




    こういうブロガーの情報は、インプレライターたちの記事からでは絶対に聞けない本音が率直に書かれているので、実体を把握するのに非常に役立ちます。