江戸初期 数々の疑惑や陰謀がありました。大奥の話ではありません。
岡本大八事件 (1609~1612年)
肥前藩 藩主有馬晴信(ありま はるのぶ)が長崎港に入港したポルトガル船マーデレ・デ・デウス号を包囲し沈没させたことが始まりです。
それは、マカオで、晴信の朱印船の乗組員と家臣の50人殺され、積荷も奪われた報復でした。
そのボルトガル船を襲撃する 監視役(目付役)として派遣されたのが
岡本大八でしたが、つまり 有馬晴信から 金銀6000両をだまし取ったのです。 それは、旧領土の回復を家康に働きかける運動資金としてでしたが、大八は、全て 自分の懐にいれてしまった。
有馬晴信が騙されたのは、岡本大八が
本多正純の与力(子分)だったからです。本多正純といえば、家康の1,2を争う 側近でした。
岡本大八は死刑になるのですが、有馬晴信を道連れにしてやれと 晴信が、大八と同じ目付け役だった、長崎奉行の長谷川藤広を殺そうとしていると訴えました。
そのため 有馬晴信も結局 改易となり死刑になりました。
以上のような事件ですが、
岡本大八が いくら騙し取ったとしても金額が高すぎます。
そもそも、有馬晴信は 嫡男「直純」を家康の側近であり、正妻は、家康の曾孫の国姫です。だから、わざわざ岡本大八に6000両もの大金を渡して、 本多正純に家康に願いでてもらう 必要はなかった。 全てが作られた話しのようでもある。
一般的に切支丹弾圧のため本多正純がした謀略といわれています。
が 事件の登場人物として、有馬晴信、岡本大八、本多正純というの他に
長崎奉行の長谷川藤広がいます。
そうです、長谷川藤広 はソロバンの祖の長谷川藤広であり 。 家康の側室 清雲院の お夏の兄 です。 岡本大八事件には、もうひとり 隠れた登場人物 いたのでした。
藤広 が 目付け役 として、常に報告していた 人物 は 家康。
つまり、この事件は 本多正純の陰謀であっても、
奇妙な事件や突拍子のない事件は おおむね そこに謀略が潜む。
たとえば 千姫略奪疑惑とか 続く
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もう頭おかしくなるぐらいチムポしゃぶられたぞい!!
精 汁ゴクゴク飲まれて、マジ金 玉が空になった気分だ!!
しかも勢いのまま月30万報 酬で契約しちまったし
こりゃもう当分オ ナ ニ ーする必要ねーな!!wwwww