この大物忌という名のように、、御饌を捧るために内宮へ向かう途中に 動物の死骸などがあれば、物忌みをして穢れをはらう。物忌みとは、一定期間飲食や行為を慎み、不浄を避けて心身を清浄にする(goo辞典)
それと、シャーマンニズムでいえば、神と同衾(どうきん)する巫女であろうか、大物忌は、穢れがない幼い童女の祭祀者(さいししゃ)でもある。、斎王よりも神の傍にいる存在であり、、ただ一人、もっとも神聖な、心の御柱(しんのみはしら)に近づける者であり、神嘗祭では、御柱に大御饌を捧げることのできる奉仕者でもある。
『この心のみ柱とは いったい何なのかわかりませんが、外見として、人の話では、心の御柱は、1.8m 直径30cm 正殿の真下の埋めてある。外宮では30cmほど地上に出ているとか』
859年11月15日、外宮の 度会高主の娘、宮了(みやりょう)は 大物忌として内宮へ御饌の奉しの道中、大水のため、勢田川で溺死した。
その、溺れた、(旧暦の11月15日)は、もっともめでたい満月の日であり、また、鬼宿日いう, 一年のなかで最大の吉日で 子供の七五三の日です。
妙見地蔵を安置してあった、岡崎堂がいつのまにか妙見堂になり 管理者はだれかしらないが、妙見地蔵は売られてしまった。寺も。
妙見菩薩で↑ 重要文化財は これ一つだけです。
大物忌の身代わりとしての 北斗の妙見地蔵は、1301年に作り直されたが、昭和16年旧国宝指定(現 重要文化財)、昭和31年に正力松太郎 読売巨人オーナーの所有になり東京読売ランドに祭られている。
おそらく、巨人の戦前の投手の沢村栄治の墓が 妙見堂のすぐそば にあり そのご縁? からだと思う。
なお 妙見堂は、諏訪湖の諏訪ゴルフ倶楽部に平成3年に移転。
はっきり言って われらが地元 学区の宝を 読売に、もって行かれてしまったのは、残念ですわ。