今年もマンドリンクラブ「ボニータ」の演奏会に。
捨猫の里親探しに奔走していた20年も前でした。
「最後に残った子を下さい」そう言って一番貧弱な
弱々しい黒猫を貰って下さった方がクラブ会員でした。
それ以来のお付き合いで招待状を持ってきてくれます。
クラブ会員の方々はお勤めをしながら練習に励み
ボランティアでディサービスを訪問し活躍されいます。
本当に頭が下がります。
「劇的序楽」細川ガラシャ夫人の最期の朗読と共に
流れた演奏には胸を打たれるほどでした。
バックの背景も赤に変わりフルートの音色が
ガラシャ夫人の無念な最後と悲しさを誘います。
下手な写真を4枚繋げて一枚にしてみました。
今回の選曲は実に良かったです、と、彼女にも伝えました。
ちなみに私は「篤姫」以来、歴女になりかけています。
ガラシャ夫人のこと調べました。
辞世のの句は有名ですよね。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ
意訳 :
花も人も散りどきを心得てこそ美しい。
細川ガラシャは
明智光秀の娘で、名は玉。細川忠興に嫁いだが、
1582(天正10)年、明智光秀が本能寺の変を
起こし、山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れると、秀吉に
遠慮した忠興によって幽閉された。しかし、1584年に
秀吉の計らいで忠興とガラシャは復縁し、ガラシャは
大坂の細川家屋敷の忠興のもとに戻った。キリスト教に
入信したのは1587年で、ガラシャの洗礼名もその時
からである。関ヶ原の戦いに際し、石田三成から人質と
して大坂城に入ることを強要されたが承知せず、家老の
小笠原小斎に胸を突かせて死に、細川家の面目を
保った。このことは、婦徳(ふとく)の鑑(かがみ)と称えられ、
世間の同情は細川家に集まる結果となった。
大変なおしゃべりをしてしまいました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。