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デザイナーの色メガネ

写真付きで日記や趣味を書く

神田ラプソディー

2006-12-19 14:03:19 | 日常の中の物語

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私は東京生まれの東京育ち。

つまり、故郷は東京。

これはけっこう淋しいことなのだ。

なぜなら懐かしい風景は、もう記憶の中にしか

ないからだ。

私はモノゴコロというものがつく時代は本郷で

暮らしたが、それ以前は神田神保町で育った。

3歳くらいまでのことなので、はっきりした記憶

はない。

神保町の救世軍の建物(現存している)の入口

階段を、飽きもせず上ったり下りたりして遊ん

でいた、と母に聞かされても私にその覚えは

まったくない。

だが、私は今でもよく神保町へ行く。

変貌したとはいえ、この街の持っている空気

にやはり私は馴染んでいるようだ。

もちろん古書店を巡るのだが、立ち寄る店は

もう殆ど決まっているし、書棚のどのあたり

に興味ある書籍があるかもだいたい把握

している。

上の写真は『蔵書票』の本を目当てに2階を

覗くのが常の店。

この階段を上った左側のコーナーがいい。

ロンドンの古書店のような雰囲気だと思っ

ている。

(ロンドンの古書店は知らないけれど…)

さて、私は神田でたくさんの古書と不思議な

出会いをしてきたが、「惜しかった!」

今思い出しても残念きわまりない、縁が

なかった書籍もたくさんある。

「おお!これは買い!ですよ、ムフフ…」

と見つけたが、金がない。

「次回、金を用意してこよう。どうせだれも

こんな本は買わないだろう。」

と思いつつ、その本をそ~っと見えないよう

に奥へ隠して帰る。

それなのに!次に来た時にはなくなっている!

主人に尋ねると、「ああ、昨日、売れたよ。」

まあ逆に私が誰かの目当ての本をスルリと

買ってしまっていることもあるのだろう、とは

思う、が!悔しい…。

こんな攻防がこの街のあちこちで繰り広げら

れていることだろう。

休日になるとリュックを背負ったオジサン達

がルンルンとやってくるのも、神田ならでは

の風景だが、けっこう遠方から来る人も

多いらしい。

Img_2840 ←半世紀ちかくこの地で

愛され続けている

「大丸焼き」をみやげに買う。

というのも古書店めぐりのコースに入れたいね。

大通りはケバケバしい大型スポーツ用品店

がのさばり、古書店の数も減った。

エスワイル(洋菓子店)も移転してしまったし、

ランチョン(ビアホール)も改築して昔の風情

はなくなってしまったけれど、この「大丸焼き」

は変わらない、ところがスゴイ!

この店に入ると、かすかに故郷の匂いが感じ

られる。

う~ん、それは誠実な昔ながらの仕事の匂い。

で、キョウハワタシノタンジョウビデス…。


内蔵助と時の鐘

2006-12-14 23:18:27 | 日常の中の物語

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12月14日といえば…ご存知、忠臣蔵!大石

内蔵助らが吉良邸に討ち入りを断行した日。

と思うのは、もはや前時代人かもしれないな。

「今日は討ち入の日か…」とつぶやくと、次男が

「なに、それ?」ときたもんだ。

しかしせっかくの(?)14日なので、最近知った

「内蔵助と時の鐘」について今日は書きたい!

遡ること寛永三年(1626年)、江戸に時を知ら

せる鐘が始めて設置された。

(それまでは、江戸城内で打つ太鼓だけが時

を知らせる手段だった)

その場所は日本橋本石町(ほんごくちょう)

3丁目。(現在の日本橋本町)

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その後次々と時の鐘が設置

され、最終的には8箇所に

設けられ、江戸市中くまなく

鐘の音が聞こえるようになったそうだ。

さて、内蔵助がひそかに潜伏していた宿、また

討ち入りの作戦本部とした宿は「小山屋」。

この宿は「石町(こくちょう)の鐘」のすぐ近く

だった。

記録によると、内蔵助はこの鐘の音を合図に

討ち入りに出発したという。

Img_2796 「おのおのがた、討ち入りで

ござる、むむっ…」(古いねえ)

というシーンは日本橋で

行われていたわけだ。

江戸に来た蕪村もこの鐘の近くの夜半亭

巴人の内弟子となって俳諧を学んだとか。

  涼しさや鐘をはなるゝ鐘の音

この句は蕪村が石町の鐘を詠んだもの。

と、鐘の音がさまざまな歴史を呼び起こして

くれるのだ。

さて、なぜ私が「時の鐘」に詳しいか…

仕事のおかげ。

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←出来立てホヤホヤ!

日本橋の「ホテルかずさや」

さんの115周年記念誌の

企画、制作を任せていただいたのだ。

(宣伝:ホテル・レストランのマークも私の

デザインです)

ここの社長がとにかく歴史好き、江戸好きの

粋な江戸っ子。

もう長いお付き合いだが、楽しい仕事が多い。

ちなみに石町の鐘は鐘楼はないが、鐘は現存

しており、現在は小伝馬町の十思公園内に

あるそうだ。

近年まで、内蔵助と赤穂浪士たちは絶大な

人気を誇ってきたが、ここのところちょっと

忘れられ気味の感がある。

時間に追われ、目先のことで精一杯の現代人

には、あの浪士たちの心栄えが窺い知れなく

なってしまったのかもしれないな。

そうだ!除夜の鐘だけではなく、「時の鐘」を

撞いてみる、というのはどうだろう。

ゴ~~~ン~~…

「おお、はや暮れ六つか…そろそろ退社の

時刻か…」

なんていいと思うけれど…。


いつもそばにいた…

2006-12-05 00:36:42 | 日常の中の物語

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私の仕事部屋で、もうず~っと前から私を眺めて

くれているニッパー。

日本ビクターのマークとして知られている

ニッパーの物語については、以下の記事をご覧

いただければと思います。

http://maritan221.blog.ocn.ne.jp/maritan/2006/11/his_masters_voi.html

さて、私のニッパーは50年ほど前に私の実家

へやってきた。

私の父が当時のニッポン放送(ラジオ放送)

の『勝ち抜きのど自慢大会』で優勝した時に

ビクターの最高級電蓄とこのニッパーを賞品

としてもらってきたのだ。

父は小さいころから勉強は大嫌い、しかし

器用で運動神経は抜群、そして歌がとても

うまかったらしい。

いつも歌っている父に呆れていた母は

「そんなに歌いたいなら…」と冗談半分で

日本ビクターがスポンサーをしていた『のど

自慢大会』に応募したんだそうだ。

出場が決まって父は言われるがままに

放送局へ行き、得意な歌を熱唱したところ、

審査員たちに絶賛されたとか。

応募した張本人の母も、まだ小さかった私も

そんな事とは知らない間に、父は勝ち抜き

続け、毎週局へ通っていたらしい。

ある日突然、局から連絡があり、「来週、

優勝されますから、ご家族で局へお越しくだ

さい!」

「え~っ!!」と驚く母。

そして当日、母に連れられて私と妹は父の

優勝の番組を見るために放送局へ行ったのだ。

歌い終え、優勝が決まった。

キンコンカンコン♪と鐘が高らかに鳴り、拍手

の中で花束をもらって満面笑みの父。

Img_2618 副賞が電蓄とニッパー

以来私はずっとこのニッパー

を大切に大切にしてきた。

何年か前に偶然、骨董屋でニッパーを見つけ、

店の主人と話をしたところ、私の持っている

作りのものはもう殆どないだろう、と言われた。

確かに骨董屋にあったものも、私のニッパー

より新しい。

作りが安易でのっぺりしている。

「これはいくらで売っているの?」と試しに聞いて

みたら…

「それは売らないよ!」

そう、彼もニッパーファンだったのだ。

Img_2625 優しく賢そうな目。

首をかしげて耳を立てて

懐かしい彼の主人の声を

聞いている姿は、いつ見ても心を慰めてくれる。

Photo_18 ←最後に、これはイギリスの

古い琺瑯看板。

琺瑯看板ばかりを集めた

書籍の中にあったが、なんとも

いえない味がある。

いいなあ~、やっぱりニッパーは!


消えゆくものへ 2

2006-10-14 16:02:11 | 日常の中の物語

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1ヶ月ほど前、事務所から駅にむかって歩いて

いたときのことだ。

駅に向かう道の一本東の筋にあるMさんの

家の様子がおかしい。

「Mさん」は知り合いではない。

私がただその家を好きなのだ。

佇まいが静かで知的でしかも風流。

塀はなく、生垣からず~っと庭が見渡せるの

だが、やさしい日本古来の草木が居心地良さ

そうに植わっていて、小さなせせらぎも作られ

いた。

その水音もゆかしく、前を通ると心が和んだ。

ところが!その庭に小さなブルドーザーが

入っている!表札も取り払われている!

「ええっ、まさかこの家も壊されるのだろうか」

思えば私が好きだな、と感じた家はどういう

わけか、殆ど壊されてしまうのだ。

この街は都内でも有数の高級住宅街と言われ

て久しいが、一方でどこか淋しい街だ。

門の両側にキンモクセイとギンモクセイの大木

があった洋館も壊された。

車回しのある品のあるKさん宅も、もう随分前

に取り壊された。

それぞれに事情はあるのだろうが、あまり楽し

い事情ではなさそうなのはわかる。

今日、こわごわMさんの家の通りを歩いてみた

ら、家は壊されず、そのまま持ち主が替わる

ようだった。

しかし、庭のせせらぎは埋められ芝生が敷かれ、

ゴテゴテしい鉄柵がつけられていた。

あ~、でもまだ家が残っているだけよしとしよう

Img_2144

庭の片隅に白い花が

ブルドーザーの爪を

免れて残っていた。

そういえば、以前書いた「大きなヒマラヤ杉」。

やはり切り倒されることになった、と伐採反対

運動をしていた方から聞いた。

愛した風景が消えていくことは…つらいなあ。


秋の声

2006-09-22 00:11:00 | 日常の中の物語

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庭の彼岸花が咲いた。

今年はフジバカマは遠慮がちだが、彼岸花

は元気いっぱい。

_446 秋の陽射しの中で

美しい着物の柄の

ように鮮やかだ。

秋の季語に『秋の声』というのがあるそうだ。

春の声、夏の声、冬の声…はない。

そう言われてみれば、他の季節の声は奇妙な

感じがする、というか声を想像できない。

しかし、秋は空気も澄んで、遠くの物音も

よく聞こえる…ではないか。

夜ともなれば虫の音に混じってジーンと音なき

音が感じられるような…。

俳人の感性、というか日本人の感性は素晴らし

いものだ。

http://www.senshoku-take.com/index.html

↑は友禅染めの作家、嶽野好伸さんのHP。

眺めていると、日本人の色に対する思いが

伝わってくるようで、時々拝見している。

「秋の声」を感じながら美しい色を眺める…。

う~ん、なかなか芸術の秋だ!

_433 「うひょ~っ!」

と笑う栗。

こちらもかわいい『秋の声』だね。