少し前から気にかかっていたことがある。
野良猫を見かけなくなったことだ。
それはもう、奇妙なほど見かけなくなった。
庭に来ていた常連さんたちは、1年くらいは音沙汰なし。
すぐ近くの猫好きの家では、いつもごはんが用意してあって、
三々五々に猫たちが集まってきていたのだが、そこにもいない。
少し離れた猫の溜まり場でも、一匹も見かけなくなった。
それどころか、だいたい町を歩いていても猫たちの気配がない。
想像したくはないが、猫狩りでもあったのだろうか。
おかしすぎる。
猫たちがウロウロしている町は健全だと思うのだが、どうも
それは少数意見で、分が悪いらしい。
かたやペットとして可愛がられている深窓の猫たちが増えて
いるというから、猫たちにも格差が広がっているのだろう。
一昔前を思い出してみると、飼い猫も外をふらふらしていたし、
ノラたちももちろん、ふらふらしていた。
それでいて「迷惑だ!」と問題になっていたようには思えない。
まあいえば、猫たちも並べて中流だったわけだ。
今年は例年より、たくさんの曼珠沙華が咲いた庭。
24日の朝日新聞の夕刊に、曼珠沙華のことが書かれて
いたが、梵語では、天上に咲く花という花の名だそうだ。
庭に遊びに来ていた猫たちが、もし人間の「迷惑だ!」という
嫌猫権の犠牲になり、天上に行ってしまっているのなら、
そこでのんびり、ゆったりしてほしい。
誰もが権利を主張できる世の中になって、それは良いこと
だと多くの人は了承していたのだが、結局、強者や多数派の
権利がまかり通りやすくなったように思う。
嫌煙権などもそのひとつ。
いや、こちらは煙嫌いの私にとっては都合がいいのだが…。
という具合に、権利の主張など自分の都合でころころ変わる
といういい例ではないか。
正しい権利を正しく主張することは実に難しい。
それこそ流行の、人としての『品格』の問題ともいえる。
難しいことはさておき、
動物が身近にいると、人間が
いかに勝手な動物であるかと
気付かせてくれる。
そんな素朴な感覚は、えてして
忘れているものだ。