デザイナーの色メガネ

写真付きで日記や趣味を書く

空を飛ぶ 完結編ー1

2007-02-23 08:52:12 | 旅行記

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西海岸へ無事に帰ってきた私は、いよいよ

3度目の実技試験に挑戦するのだった。

時は既に12月。日本を発ってから3ヶ月

以上が過ぎていた。

どういうわけか、帰りたいとはまったく思わな

い。ホームシック皆無の私。

(実は今でも私は、できれば放浪の旅に出た

いなあ、と思っている根っからの旅好き。)

さて、実技試験は……、

あっけないほど巧くいったのだ。完璧!

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NYでの荒療治がこれほど

までに効き目があるとは!

試験官は操縦する私の横で

細かくチェックをしていたが、規定のコースを

飛行しながら、こうして幾度も眺めたサンフラ

ンシスコ湾やオークランド空港に心の中で

別れを告げる余裕さえあった。

飛行を終え、着陸をして定位置につけると、

試験官が「Good !」と言って肩をたたいてく

れた。

多分、合格…の手ごたえを得た私は、合否

の通知までの幾日かを、心置きなく遊ぼう!

と決めた。(もう、ココロオキナク遊んだだろ~

とつっこまれそう)

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↑は『Lake Tahoe(レイク・タホ)』の

ヘブンリーバレー・スキー場。

この雄大な景色を眺めながら頂上から滑降

したときは、まさにheavenlyな気分だった。

と書きたいところだが、雪がまだ少なかった

ため叶わず…。

一面真っ白になったこの山から、青い湖に

むかって滑り降りたらどんなに爽快だろう!

なんたって『天国の谷』なんだから…

(えっ?なんだかお陀仏してあの世で滑る

イメージが…)

一番上のカワイイ天使のイラストは、この

スキー場のパンフレットにあったものだが、

とても気に入ったので、帰国後自分で文字

などをデザインして入れ込み、ワッペンにして

スキーのジャンパーにつけたほどだ。

(滑れなかった悔しさを紛らわす私)

Img_4026 ←ヘブンリーバレーのチケット

と、帰りに寄った動物園の

パンフレット。

こうして、残り少ないアメリカ暮らしを私は

一生懸命満喫していたのであった。

西海岸はNYに比べて治安はいい、住民も

礼儀正しい。

決死のNYから帰ってきた私はとてもやすらか

な日々を送っていたのだが…

しかし、やはり私には悲(喜)劇が用意されて

いたのだった、ちゃんと…。


空を飛ぶ さらば、ニューヨーク!

2007-02-19 22:56:53 | 旅行記

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懐かしいこの風景。

夕日のリバティー島に立つ『自由の女神』。

10日間の徹底した気分転換を終え、私のNY

滞在も終わろうとしていた。

今回、記事を書くにあたって当時の写真などを

整理したが、前回にちらっと登場させた『ラジオ

シティー』で観た映画、星の王子さまの写真

が出てきた。

Photo_38 ←このシーンはどこだろう。

飛行機から降り立っている

主人公がなぜか透けているが、

なぜだったかもうすっかり忘れてしまった。

コルシカ島の沖合いで消息を絶ったパイロット、

サン・テグジュベリには、航空マンのはしくれ

として非常に興味があったが、奇しくも

こんなところで巡り会えるとは!

これは余談だが、私はNYの映画館で『男は

つらいよ』も観た。(日本では観たことがない)

ご存知フーテンの寅さんが、あの出で立ちで

「Hey You!」と現れた時は可笑しかった。

とまあ、想像もしなかった数々のエキサイテ

ィングな体験をさせてくれた街、ニューヨーク

は忘れられない街として私の記憶に刻印さ

れたのである。

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↑は、自由の女神の王冠から撮った写真。

右下に突き出ているのは埠頭。

その左には女神の影が海に映っている。

そして、遠くマンハッタンには2対のWTCの

ビルが高く、白く輝いていたニューヨークよ,

いざ、さらば!

私は、またもや深夜の格安航空便で、

実技試験を受けるべく、一路オークランド

へと帰ったのだった。


空を飛ぶ 決死のNY編ー4

2007-02-04 10:26:00 | 旅行記

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写真は『ラジオシティ・ミュージックホール』の

ロケットダンサーズによるフレンチカンカン。

12月のクリスマス公演を観にいったのだ。

おお!まばゆいばかりの華やかさ!

Photo_32 ←これは劇場入口。

博学で名高いコピーライター

の先輩が、

「 NYへ行ったら、ラジオシティは必見だよ。」

と言っていたので、チケットを購入。

なぜか『星の王子様』の映画が上映され、

その後のショーでカンカン踊り…と奇妙な構成

だった。

まあいい、華麗なるNYの夜を堪能したのは

良かったのだが、既にアブナイ時間帯…。

こういう劇場は山の手の住宅街に車で帰宅する

人達や、それなりのホテルに宿泊している

旅行者が観に来ているわけで、歩いてあの

YMCAに帰る人なんて私くらいだっただろう。

とにかく急いで帰ろうと走った。

薄暗い通りを走り、YMCAの玄関を走り

ぬけ、階段を駆け登り自分の部屋へ!

鍵をかけ、一息ついて気がついてみると、

殆ど夕食らしきものをとっていなかった。

咽喉も渇いたし…近くのスーパーまでまた

ひとっ走りするか、と思ったのが運のツキ!

なんと私は部屋に鍵を置いたままドアを閉めて

しまったのだった。

「エッ!まさか!」と思ったが、時既に遅し。

ドアは押しても引いても開かない。アタリマエ。

こんな所でジタバタしていると、いつなんどき

あの腰にタオルを巻いた系のゴツイおにいさん

がやってくるかもしれない!

あせって受付へ行ったが、だれもいない。

「なんでいないんだあああ!」 と、

なにやら外が騒がしい…パーン!

と銃声が…。

その騒がしさがそのまま、受付で途方に

暮れている私の方へとざわざわやってくるでは

ないか!(もう、こりゃ映画だね。)

逃げよう!とした時、暗闇の中から現れたのは

……受付の女性だった。

(注:たいそう肥満の中年の黒人女性)

外が気になって見に行っていたらしい。

「行くなよ!まったく!!」

それからがまた、たいへんだった。

私の置かれている状況を英語で説明するのだ

が、わかってくれない。

「ドアがオートマティカリーに閉まった」

こんなアホな表現を使ったような記憶があるが、

とにかく彼女はエラそうに「ハァ~?!」

という態度。

彼女がなにか質問してもスラングがひどくて私

にはわからない。

スッタモンダしてやっとドアを開けてもらった時は、

あの薄汚い部屋が天国のように見えたっけ。

Photo_34 ←これが当時のYMCA.

いかにもアブナイ方々が

棲息していそうな風景。

(私もそのひとりか?)

この壁が中庭を囲んで建っていた。

そこに銃声が反響していたわけだ。

Photo_33 ←そして、これが私の

部屋の向かいの窓だ。

無造作に置かれた青い

スニーカーを今でもよく

覚えている。

こうして私の決死のNY生活も終りを向かえ

つつあった。

(私は一度もシャワーを浴びていなかった…)


空を飛ぶ 決死のNY編ー3

2007-02-01 00:09:47 | 旅行記

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YMCAは中庭を囲むように建物の壁があり、

その壁が反響板となって、毎晩すぐ近くで銃弾

戦が繰り広げられているような銃声が聞こえた。

疲れていても、とても熟睡はできなかった。

しかし朝になると不思議なほど元気になり、

地図を広げ、まだ歩いていない地域をチェック

しては揚々と出かけていったものだ。

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←これはエンパイアSBの

チケット。上の写真は絵ハガキ

やらパンフレットだが、真ん中にある字の穴

が開いているコインは地下鉄のコイン。

多分、現在は使われていないだろう。

さて、私は別に危ない所が好きなわけでは

ないので、しっかり美術館も巡った。

サービスデイには無料で入館できるので、

その日時を狙って「MoMA(近代美術館)」

や「グッゲンハイム」へ行った。

MoMAはグラフィック・デザイナーと名乗る

からには一度は訪れたい!と思っていた。

ここではグラフィック・デザインが芸術として

認められていることが心から嬉しかった。

1_4 グッゲンハイムはライトの

建築の代表作だけあって、

2_3 建物の構造も興味深く、螺旋状に

登りながらの壁面の作品鑑賞は

とても心地よかった。

ミュージアムグッズで欲しいものが

たくさんあったが、とにかく貧乏旅行なので、

しっかり目に焼き付けておくしかなかった!

そういえば食費を削るために、よくスーパーへ

行ったが、スーパーで銃や銃弾がなにげなく

売られているのにはやはりギクッとしたものだ。

弾痕もなまなましい車も平気で走っているし、

「お国柄の違い」などというなまやさしい光景

ではなく、社会の根幹が違う国が地球上に

あるんだということが実感としてわかった。

「警察官に呼び止められて、ポケットから

パスポートを出すときは注意しろ!」とは

言われていた。右手で左ポケットに手を入れる

と、銃を出すととられて即座に撃たれるからだ

そうだ。いやはや…。

夜はとにかく危ないので、なるべく日暮れと

ともに宿に帰りつくようにしていたのだが、

ある日、少し遅くなってしまったときのこと、

私は自分の部屋に入れない!という事態

に遭遇してしまったのだ。


空を飛ぶ 決死のNY編ー2

2007-01-27 15:55:42 | 旅行記

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ハーレムと地下鉄には近づくな!と飛行学校の

教官に強く念押しされていた。

さすがの私もハーレムは遠巻きにやり過ごし

たが、地下鉄は…乗ってみたかった。

Photo_27 そして、乗った。

←この落書きだらけの車両。

のんびり写真など撮っていたら

なにをされるかわからないので、隠し撮りした。

まあ「無法地帯とはこういう状態か」と納得の

状況だった。

私は比較的体格が良く、日本にいるかぎり

は身体的に人から威圧感を受けることはあまり

なかったので、この時、車両の中に自分より

デカイ連中が並び立っていることにかなり衝撃

を受けた。

それこそレスラーのような黒人たちなのだ。

Photo_28 私は初めて身体的に弱い

立場の女性の気持ちが

わかるような気がした。

とにかくオドオドしないよう、スキを見せない

よう、囲まれないように注意しながらも観察

は怠らずに楽しんだ。

無事に地下鉄を降りると、とにかく街中を

見てやろう、と歩きまわった。

そして歩きつかれて映画館へ入った時のこと。

ここも風紀が良いとはいえないところだったが、

地下鉄よりはマシ、と思って席についた。

すると、いつの間にか横に座っていた黒人が

「ヘーイ、メ~ン!」

となんともいえない発音で呼びかけてきた。

振り向くと、暗闇に白目、そして私の脇腹に

ナイフが光っていた。

なにやら言っているがひどいスラングなので

わからない。が、親切な事を言っているのでは

ないことはワカル。

どうせ金よこせ!だろう。

「こんなヤツに渡す金なんかあるもんか!」と

咄嗟に立ち上がるや、座席を後に飛び越えて

すごい勢いで逃げた。

通りに出て振り返ると、映画館の入口のところ

で苦々しそうに男が笑っているのが見えた。

なんたって警察官だってアテにならない。

この街では「自分の身は自分で守る」のが、

西部開拓時代からの鉄則だと身を持って

知った。

こうしてNYの洗礼を受け、夕方疲れ果てて

部屋へ戻った私はシャワーを浴びようと

シャワールームへ向かった。

すると、なにやらオゾマシイ空気が…。

なんとシャワールームの周りを、ドデカイ

(としか言いようがない)男色の黒人たちが

何人も腰にタオルを巻いてウロウロしている

ではないか!!

そして私を見ると、トロ~ンとしたアブナイ目

つきで上から下まで眺めるではないか!!

冗談じゃない!とまた逃げ帰る。

部屋に戻りカギをかけ、ベッドをドアの前へ

ひきずり、やっと私はホッとして倒れ込んだ。

いやあ、想像以上の街だった。

疲労困憊して床についた私の耳に、今度は

銃声まで聞こえてきた。

「ホンマかいな?!この街は…」と朦朧と

しながら浅い眠りについたのだった。